私は神仏のごときものは特になにも信じていない人間ですが、他人の信仰を嘲笑ったり、そんなもの持つんじゃないとその手から叩き落として足で踏みつけたりするのはキライです。
ただ、信仰無き人間としてこんなことを思うのですよ。
もし世界でそれを信ずる者が自分一人になっても、それでも信ずるほどのものでなければ、その信仰には価値が無いんじゃないかと。
信仰に仲間が必要かと言えば、私には要らない気がするんですよね。それはたぶん神仏を欲している以前に(自分に都合のいいことを言ってくれる)人を欲している姿だと思います。
当然、教化や折伏、ミッションといったものも私には要らぬものに思えるし、人間の欲にまみれた醜い行為にしか見えません。
もともとユダヤ教やその分派のイスラム教などでは神に名はありません。アラーというのは「我が神」という意味です。私の好きな中国の墨家が仰いだのは漠々とした「天」でした。けっきょく人は自分の中に自分の神を見つけるしかないんじゃないですかね。
誰かよそさまのこさえた神を信じることもない気がします。