「加齢とともに体力が落ちていくので、仕事量では、いつか若手に負ける日が来てしまう。本来は、なるべく早期の段階で『人をマネジメントする』『チームを率いる』経験をして、高い給料がもらえる“替えの利かない”ポジションを獲得するべきですが、まずは評価者である上司に、自身が達成するべき定量的な目標を確認するのがいいでしょう」

 

「日本の会社は、“ざっくり評価”が多く、正確なフィードバックをもらえないまま、中年社員に突入する可能性があります。もし、会社側でできないのであれば、ヘッドハンターや転職をサポートしている企業など、人材のプロたちから、率直な分析をしてもらうのも良いでしょう。今後は、成果主義やジョブ型社会にいや応なく移行していく可能性が高いので、早めに自分の能力を“棚卸し”することで、無駄な仕事に時間を費やすこともなくなるでしょうし、会社と自分の評価の認識にズレも生じないはずです」

 

こんなに頑張っているのに!という地道な努力というのは他人には一切評価されない。組織が所属する者に求めるのは組織を愛する心でもなければ目には見えない研鑽努力でもない。実利、ただそれのみである。

 

自分の家族や友人ならいざ知らず、餓狼の群れのごとき、おぞましい人間社会の中に在ってそんなどうでもいいような頑張りの部分を赤の他人に認めてもらおうと躍起になれば、ほぼ間違いなく首を傾げられるか鼻で笑われるだけで、虚しいか悔しいか、いずれにせよ落胆する以外には無いと思う。

 

だから私は自分で自分をほめる自己評価なんてことは一切せず、評価なんぞぜんぶ人さまに丸投げして、思う存分、好きなようにやらせてもらっている。

 

call me   (`・ω・´)  what you will 

 

というのが私の若いころからの一貫した考え方であるのを、たびたび書いてきたが、正解だったかどうかはわからないけれど、間違いではなかったのかも知れない。

 

…が、それをしみじみと、

見よ、我が思いは正しかりけり。として満足するほどおめでたい感じに耄碌したくもない。

 

(ゴヤ、80歳の自画像 「まだ学ぶ」)

 

なお、ブログではよく 「ようやった俺ヽ( ´▽`)ノ」 などとシレっと言っているが、人さまに評価してもらう気も無ければ必要もないネット上の話ゆえである。