この国に限らず、天才といわれた人々はどこか厭世的だったり皮肉っぽかったりするのは、そういう人間がどこか「よそもの」扱いを受けているのがこの世の常だというのをよく証明している気がする。

 

知能指数、IQに関わらず色んな分野で幼少のうちから特異な才能を発揮する子というのは現れるもので、それを 「神童も、大人になったらただの人」 にしてしまうのは、ずいぶんもったいない話ではあるし、社会にとっての大きな損失でもあると私には思える。

 

 

私自身は自らをギフテッドであったとは微塵も思っていないが、幼い頃から「人間的にすごくパカ」と周囲からよく言われがちだった私は、小学五年の時に薄磯海水浴場で海パンの隙間からクラゲの触手が入ってチンコが「ほや」のように腫れあがってしまった(ギャー)経験から、クラゲに興味を持ち、小学六年の自由研究で、クラゲが人を刺す仕組み──ある部位に接触するとそれが引き金になってバネ仕掛けのように毒針が飛び出す──を、親に買ってもらったオリンパスの光学顕微鏡と本で読んだ染色の技術を駆使して書き上げた。しかし担任教師はそれを見てニヤニヤしながらこう言ったものである 「なんだ?親が書いたのか?」 。

 

…いくら図太い私でもショックを受けなったわけではない。その後、いいあんばい歳くってから水産分野の研究者と知り合いになり、実は俺さぁガキの頃クラゲに興味持ってこんなもん書いてたんだよね、と見せると、アンタこれ大学生の研究だよ、と驚愕しておられた。

 

そのとき担任教師に認めてもらえなくとも、せいぜい感心ぐらいしてもらえていたら、私は今ごろ山の人ではなく海の人、圃場の人ではなく漁場の人であったかも知れない。

 

とはいえ、そういう子というのは割り切りも素早い。

 

…なんだこんなものか、フッ。

 

と成人する前にこの世を見限ってしまったりするものである。

 

そして才ある者はこの世界のためにその才を捧げよ!などと戯言を言い出す者たちのためには指一本たりとも動かそうと思わなくなる。

 

「鬼」の素性とはそんなものだろう。