昨日の突貫草刈りがこたえて今日はゆっくり休んでおります。

 

 

 

全編一気読みしてしまった。

アヤワスカ…久しぶりに聞きましたわその名前。

 

私は臨死体験というほどのものは経験してないけれど、似たようなビジョンを覚醒した状態で見たことがあります。

 

 

世界がキラキラと黄金に輝いて見える、まるで脱皮したかのように体が軽くなる、有機物無機物問わず、すべてと一つになった感覚をおぼえる。

 

合気道の開祖、植芝盛平が稽古の後に汗を拭っていたときに体験して「我即宇宙」の境地を見出したという、オカルトの世界では 「黄金化体験」 と呼ばれるもの。

 

 

いや~。 …死ぬわコレ (;^_^A

健康第一。その後ゆるゆる生きることにしました。

 

あの瞬間の、すべてと一つながりになった感覚というのが何だったのか、後々よく考えてみると、自分が宇宙全体に広がったように感じていたそれは、実はとんでもない勘違いであって、死に瀕して外部の情報が遮断された瞬間に自己完結してしまっただけなんじゃないかと思ったのですよね。

 

つまりは自分という存在以外を正確に認識できなくなってしまった状態。要するに広がったのではなく、…縮んだのだ、と。

 

そしてたぶんそれはものすごく幸せな感覚なんだと思います。実際あれほどの多幸感はなかったですよ。ずっとそのままでありたいような感覚。

 

よく臨死体験や死後の世界を語りたがる連中が、あの世へ行くと現世のことなどもうどうでもよくなってしまうと言いますが、そういう感覚なんだと思います。

 

けっきょく人間、ばかりでなくあらゆる生命がそうなのでしょうが、生きてゆくうえの苦しみって、そのすべてが外部の情報に刺激されて起きているのだなぁと思います。

 

それが遮断されてしまえば、そりゃ幸せですわ。恐れも不安もなくなりますわ。

 

合気道の植芝盛平を尊敬する人たちは言います。「我即宇宙」、自分が宇宙だと思えば敵は恐るるに足りない、と。でもね、私に言わせりゃそれって単なる夜郎自大に陥ったってやつですよ。

 

私は興味もなかったし見たくもないのにそういう経験をしてしまいましたが、わざわざやってみるほどのことでもない気がしますね。

 

だってこういう体験を語るのはある意味、「寝言」でしかないわけですから。それを「覚醒」だと勘違いしてしまえる人たちだけが、お節介で鬱陶しい霊的指導者みたいな与太者に成り下がってしまうんだと思いますね。

 

私が彼らを鼻で嗤うのは、彼らが憧れてやまないそんな…意味のない、価値のない、体験を既にしてしまっているからなんですよ。