“幽霊”を乗せたタクシー運転手の話を聞いたとき、あなたはどう思いましたか?「ああ、死にきれないのか。かわいそうに」となるのか、「ああ、なにか伝えたかったんだな」となるのか。「“幽霊”が出るなんて、実に非科学的、インチキな話だ」と反論したくなる読者もいるでしょう。
しかし、ここにこそ、あなたの「死生観」が反映されるのです。死というものの答えは1つではなく、さまざまな見方・考え方があることに気づいていただいたはずです。だから、これはあくまで、あなたがどう思うか、という話なのです。

 

 

欠損した四肢がまるでまだあるかのように感じる症状を、ファントムペイン(幻肢痛)という。

 

 

ファントムという言葉には「まぼろし」というほかにも幽霊といった意味があったりするが、私は脳科学の発展に伴い人間の認識マップが明らかにされるにつれて、幽霊といったものをみる恐怖や、亡き人を思う愛別離苦の痛みから、人が解放される日は来るだろうと思っている。

 

それは決して死者の尊厳を損なうものではないはずだ。すくなくとも科学という誰にでもわかる形で「死」というものの本質を理解できる日が来る。

 

そこで得られるものは、自称霊能力者が生業として独占的に売りつける世迷言よりはよほど意味のあるものに違いない。

 

自称霊能力者のごとき商売人たちの、うそとごまかしとニヤケ顔を排除しない限り、人間は本当の意味で「死」を見つめることは出来ないし救われることは無いように思う。