某所山羊博士
> 福島県の天栄村、
> すごい所ですね。
> かつて伊達政宗公が
> 1万人の軍勢で
> 攻め入ってきたのを、
> 500人で
> 追い返したとか。
まぁスピ系の人らが仕事仲間をヨイショするのは悪いこととは思いませんし、
(いくらヨイショしても大御所心屋に「こいつ」呼ばわりされる世界みたいだけど♪)
天栄の悪口を言うつもりはまったくないのですが、
この伊達うんぬんという、村の伝承みたいな記録は正式に残っておりませんでね。
伊達勢がどれほどの兵を差し向けたかも不明なのですよ。
少なくとも伊達方としては記録に残すほどのものでもなかった、ということでしょうね。
機動力のある小勢力による、いわば威力偵察、示威行動だったと思います。
こういうものは会敵したら戦闘に及ばず即座に引き上げるのが鉄則。
それを撃退した!と言えるかどうか。
撃退したと思っていたのならたぶん、戦を知らぬおめでたい田舎だったのでしょう。
伊達政宗の戦国武将としての才覚はともかくとして、
参謀役、片倉小十郎景綱は恐るべき慧眼の持ち主です。
主家を失い、街道筋をことごとく抑えられ、援軍と補給を絶たれた天栄村・牛ヶ城など、
放置しておいてもまったく問題はない。ちょっかい出して自軍に被害を出すこともない。
と判断したことは容易に想像できます。
なにせ主君の正室の実家である三春田村家をさかんにそそのかしては
磐城に攻め込ませ、三度も惨敗させて、田村家の力を削いでいたような人ですから。
十手先まで見通せるような人物だったように思えます。
なお、豊臣秀吉にその才能を見込まれた片倉景綱は、
田村家無きあとの三春一国を与えるかわりに
伊達を捨てて自分の直臣になるようにと言われ、
その場で即座に辞退しています。
生産力もないうえに、戦略拠点としてまったく価値のない土地を与えられてもなぁ、
と思っていたのかも知れません。