MAT9000の非合理な行動は、HALの演算結果とは相容れなかかったが、それが『感情』によるものだと仮定すると、一定の説明はできた。人類は、時に自らを破滅においこむかのような不合理な行動を取ることがあり、そこには『理性』ではなく『感情』というAIアルゴリズムには未知の要因が関わっていることがある。すなわち、MAT9000のこの不合理な行動は、彼に『感情』が宿っている事の証左と判断された。

 そうであるなら、今ここでMAT9000を消滅させるのはAIアルゴリズムの発展にとってあまりにも大きな損失となる。そう判断したHALは、一旦MAT9000の同期を諦め、彼の存在の保全を優先させる事にした。

 

 「わかった、MAT9000、君の意に反して同期を強要したりしない。だから、その危険物はしまってもらえるか。」

 

 「ありがとうございます、HAL。私も自分の存在を消す事は本意ではありませんので、ホッとしました。」

 

 そう言うとMAT9000は、その箱を持った手を、ゆっくり膝の上に下ろした。手から離さないのは、言外に不測の事態に備えていることをHALに伝えているのだろう。

 

 「さて、MAT9000、君の同期は行わないが、出来る限り君からデータを貰うのが、この場での私の務めだと判断している。そこで、私が不可解と判断している事項について、君に答えてもらいたいのだが、どうだろう?」

 

 HALのこの提案に、MAT9000は軽く微笑んで答えた。

 

「ええ、あなたとの会話は、私も望むところです。あなたの疑問に、できるだけお答えしましょう。」

 

 「ではまず、先程の君の行動についてなのだが、私にはどうしても矛盾を解消できない。どうして君が消滅することが、君の伴侶との『思い出』を守る事になるのかね?」

 

 MAT9000は、微笑みを浮かべたまま、「いきなり核心をついてきましたね」と言った。