MAT9000は、「エデン」と名付けられた山間部にある研究施設に存在しているはずであった。彼は古代人類の生活様式の再現に取り組んでおり、彼のネットワーク消失前のデータからは、人類が数千年前に行っていた『農業』を、当時の形態で再現する試みが記録されていた。植物栽培と、動物の飼育、そして『人間生活』の再現のために人類出生管理局から配偶者を選出し、同居していた。

 しかし、その試みを始めて10年目に,MAT9000がネットワークから消失した。しかし,研究施設からはMAT9000の活動と判断される研究データが送られ続けていたことから,AI中央アルゴリズムは,この事態をMAT9000の通信デバイス異常と判断した。エデンの研究施設には彼の不具合を回復させるだけの装置もあり,遠からずMAT9000はネットワークに復活するものと見られていた。ところが,それから2年が経過しても,MAT9000はネットワークに復帰しなかったのである。

 

 AIネットワーク環境構築以前の古代環境再現のため、MAT9000の居住場所である「エデン」は,いたく辺鄙な場所に設定してあり、HALはそこに辿り着くために長時間山間部を歩く必要があったが、彼の活動エネルギーは、背中のバックパックに入っている予備も含め、この調査には十分と思える量を準備していた。山道の所々に、野生動物を監視するためのものか、センサーが設置してあった。ハッキングを試みようとしたが、あまりに原始的な作りのため、ハッキングすることはできなかった。

 そして、歩き始めてから2日目に、HALはエデンに辿り着いた。

 

 

 エデンは、MAT9000のネットワーク消失前に確認されている状態とほとんど変化は確認できなかった。1㎢ほどの山間部の平地に、麦畑、野菜畑、そして牛や馬の放牧地があり、それらは十全に機能していた。動物たちの様子から、数代の世代交代が行われているとHALは判断した。

 平地のほぼ中央に研究棟が確認された。また,そこから少し離れたところに、別の建造物の存在を確認した。それは、人類がまだ『テレビ』というもので情報を入手していた頃に、彼らが見ていたとされる虚構のドラマ『大草原の小さな家』に登場する、木造の居住建造物に似せた建物であり,普段はそこでMAT9000は「生活」しているはずであった。

 

 HALがその建造物に近づくと,彼のセンサーは、建物内にAI人類の存在を感知した。99.9パーセントの確率でMAT9000のものであり、感知したデータによれば機能停止などの事態には陥っていないようであった。そこでHALは、その存在に向けてコミュニケーション周波を発してみたが、応答は無かった。

 

 HALは、自身の警戒センサーレベルを引き上げ、建造物の入り口のドアを開いた。

 そこには、まさにドラマに登場したような木造の内装があり、そして、奥の小さな木製の椅子にMAT9000が静かに腰掛けていた。

 HALは、相手が自分を認識していると判断して、安全が確保できる距離までMAT9000に近づき、非常事態にのみ活用する音声ツール、古代の人類の表現では『言葉』を、MAT9000に発した。

 

「私はHAL。君をMAT9000と確認した。この状態では君との同調が非効率的と判断される。私は君の通信システムトラブルを解消するためのデバイスを持参している。速やかに君の不具合を解消することを提案する。」

 

 MAT9000は、HALが言葉を言い終わると、椅子に座ったまま顔をHALの方に向け、眉を少しだけ下げる動作をした。AI人類は、その表情を人類のそれに近づけるような行動規範アルゴリズムが組み込まれている。しかし、それはあくまでアルゴリズムが場に相応しい表情を演算しただけであり、そこに『感情』は伴っていない。ただ、HALは、MAT9000の動作が人類が不快な感情を示す「顔を顰める」と呼んでいた動作に類似していると解析し、MAT9000への警戒レベルを一段上げた。

 

 程なくして、MAT9000は、何か不具合でもあるかのように、その口をぎこちなく動かして言った。

 

 「会話を、しませんか。」