妻が、「面白そうなタイトルのアニメがあるよ」と、深夜枠放送のアニメを紹介してくれた。

 

 タイトルは、『出来る猫は今日も憂鬱』。

 

 人の大きさ程の巨大な二足歩行する黒猫「諭吉」と、その飼い主であるOL「福沢サク」の日常を描いたファンタジーコメディ、とでも言えばいいだろうか。

 

 録画予約して毎週見ていたが、結構面白かった。

 

 このアニメの奇妙な面白さは何だろうと考えたとき、それは巨大猫「諭吉」が非常に「猫らしく」描かれている事だろうと思った。

 

 このアニメを知っている人はこれを不思議に思われるだろうか。

 

 「諭吉」は、二足歩行するし、料理はプロ並み、掃除や洗濯が趣味、何なら整体やマッサージまでしてくれる『出来る猫』であるが、話すことはできない。なので飼い主のサクやその他の人と会話はできない。

 

 しかし、諭吉はサクをはじめとして彼の周囲とのコミュニケーションには全く支障をきたしていない。

 

 もちろん空想のファンタジーの世界であるから、ある程度の御都合主義はしょうがないだろう。ただ、それでも、「言葉を持たない」諭吉と、その周囲の人々とのコミュニケーションがとても自然に思えるのだ。

 

 猫飼いの方には分かってもらえると思う。猫(特に飼い猫)との間には、言葉がなくとも結構なレベルでコミュニケーションが成立する(と、飼い主という名の猫の「下僕」は思っている)。

 

 そういえば、「言葉」を与えられなかったにも関わらず、周囲とのコミュニケーションを完璧に取って成功した前例として、我が熊本県が誇るキャラクター「くまモン」がいる。

 

 「諭吉」や「くまモン」、そして我が家の猫である「未来(ミキ)」を見ていると、他者とのコミュニケーションにおいて言葉の占める割合は、それほど多くはないと思える。むしろ、場合によっては言葉の存在は、コミュニケーションの阻害要因にすらなるのではないかとすら感じている。

 

 アニメは残念ながら13話で終了してしまったが、『出来る猫は今日も憂鬱』の制作会社の皆さん、ぜひ二期の制作をよろしくお願いします。