報道によれば、世界経済フォーラムは21日、「男女格差(ジェンダーギャップ)報告」を発表し、日本は対象調査の146カ国中125位だったようです。

 

 詳細にみると、日本の現状が極めて歪であることに気づきます。教育と健康の分野ではほぼ男女平等が達成されているにもかかわらず、政治と経済分野ではほぼ最下位に近い数値となっているのです。

 

 本来(というのがどのような状態かは分からないですが)、教育と健康が男女共にほとんど平等の状態にあって国際比較でもトップレベルならば、政治と経済の分野においても同等であって然るべきとも思います。しかし、現実は全く逆なのです。

 

 「伝統的な『家族』の在り方」を重要視される向きには、「日本の文化に根ざした男女の差異(差別とは言わないのですよね)からくる結果であって、一概に他国と比較すべきではない」なんて反論が来そうですが、先のLGBTq法案の議論からも見えた「区別は差別ではない」論理が、日本社会のバリアフリー化を妨げている気がします。

 

 区別することは、意識しない差別であり、意識しないからこそ悪質です。

 

 そう言うと決まって、「じゃあ、トイレや風呂も区別することは差別というのか!」と捲し立てられるのですが、どうしてそう極端にしか解釈しないのでしょうか。

 

 はっきり言って、トイレやお風呂を男女に分けるのは差別です。区別を無意識の差別と定義する以上、そうとしか言えません。

 

 でも今の日本社会には、それ以外の、分ける必要のない「区別」、すなわち「差別」が沢山あります。それらの中で人々の努力と合意を重ねながら、できるところから「区別(という差別)」を減らしていく方向に進めばいい。トイレやお風呂の区別を無くすなんて最後でいいんです。僕もこの世から「差別」が完全に無くなるなんて楽天的な考えは持っていません。

 

 大切なことは、今回のジェンダーギャップに関する結果は、私たちの社会に「まだ『区別(という差別)が多く残っているのではありませんか?」と問いかけ、私たちの意識と行動を振り返る機会にしてくれているのだと思います。