小学校や中学校の先生の6割から7割の先生方が、「過労死ライン」を超える残業をしているとの調査結果がニュースでなされていました。

 

 僕は教職員の労働に関するニュースを聞くたびに、日本の教育は『敗戦』に向かっているのではないかと思うことがあります。

 

 太平洋戦争末期、大本営は前線の現実を無視して、人も金も物も注ぎ込まず、ひたすら精神論だけで現状を打破せよと、無謀な作戦を実行して犠牲を増やし続けました。

 

 今の日本の学校教育でもほとんど同じようなことが起こっているのではないでしょうか。

 

 そうであれば、私たちは日本の教育が『敗戦』を迎えた後の『敗戦処理』を今から考えなければなりません。

 

 では、どのような『敗戦』を迎えるのか。

 

 考えられるのは、太平洋戦争の敗戦によって生じた価値観の転換と同じような現象が起こるということです。

 

 つまり、これまでの教育の建前上の「平等」が、誰もそうとは思わなくなります。具体的には、経済的に恵まれた家庭の子供は金をかけられる「私立」に通い、潤沢な施設設備を使い、手厚い教育を受けられます。対して、貧困家庭の子供は「公立」に通いますが、公立は施設と教職員の疲弊が激しく、ハード面でもソフト面でも私立学校と大きな開きが生じます。

 

 時を同じくして、「エリート教育」が公然と行われるでしょう。ただし、それは全く別ルートになり、語学、哲学、コミュニケーション能力、芸術(アート)、教養(リベラルアーツ)といった、一般的な「国語」「数学」といった「科目」とは異なる教育がなされ、恐らくは授業のほとんどは英語で行われます。(日本語は「母語」という教養の一つになるでしょう。)

 

 結局のところ、『敗戦』後、日本は階級社会になるのです。