先日ブログに書いた通り、今夜は大学時代の後輩二人と久しぶりに飲む予定だったが、一人がコロナ感染してしまい、延期することにした。

 

また借りたままのCDを返せなかった。

 

このコロナウィルスに関する「科学的な」知見について、何が正しいのか、どうするべきかを一般の人たちが納得できるような方向性はもう既に政府も専門家も出せない状況にあるようだ。

 

ただ、残念ながら私たちは個人の「科学的」な判断で行動することはほとんどない。

 

そもそも「科学的」という言葉は、その言葉を使う人たちが「どれだけ信用されているか」による。「どこそこの大学教授がいっている」「これこれの学会で認められている通説である」などであり、一般の人たちが「科学的」の根拠である一次資料にあたって真偽を確かめるなどと言うことはほとんど不可能に近い。

 

例えば中国共産党のスポークスマンは事あるごとに「科学的」と言う枕詞を使って、自分たちの政策を正当化するが、これほど眉唾なものはない。

 

コロナウィルスに対する公な「科学的」報道について、私たちの信用が急速に衰えている。それはワクチン接種率が低下していることからも見て取れる。

 

これだけ「第八波」が大きくなっているにも関わらず、私たちの生活は徐々にコロナ前の状態に近づいていっている。最近は僕がよく利用するサウナも検温しなくなったし、客も増えた。

 

しかし、「科学的」という言葉の信頼性が低下してしまうと、人々は自分の都合の良い言説だけを信じるようになり、いわゆる「フェイクニュース」が蔓延るようになる。

 

僕としては、コロナウィルスの対応により大きく傷ついた「科学的」という言葉の復権を願う。

 

と同時に、私たちにもその「科学的」な言説を批判的に吟味できるだけの理性が必要だろう。

 

そうでないと、過去にあった全体主義のような状態が始まりかねない。

 

タモリさんの発言のように「今年は『新しい戦前』の始まり」となってはならない。