あまり気乗りはしなかったのですが、諸々の事情により、県が主催する『男女共同参画社会づくりの推進』の説明会に行ってまいりました。

 僕自身は、男女平等については基本的に賛成ですし、進めていくべきだと思っています。それならばなぜ気乗りしなかったのかというと、どうも、このテの説明会では、議論がかみ合わなかったり、終始、天下り的な説明に終わってしまったりすることが往々にしてあるからです。

 とはいえ、現状がどのようになっているかぐらいは知ることができましたので、まるっきり無駄というわけではありませんでした。

 特に興味を引いたのは、国際的なデータの比較で、男女共同参画社会が進んでいる国ほど、出生率が高い傾向があるというデータを示されたことです。
 「男女共同参画社会が進むと、女性の社会進出によって少子化が一層進む」という考えに対して、客観的な反論が示されたわけです。(ただ、個々のデータを眺めた限りにでは、あまりにもばらつきがありましたので、それぞれの国の事情等を丹念に考察する必要がありそうでした。)
 考えてみれば当然のことで、女性の結婚と出産が社会的に不利な状況とならないのであれば、女性がそれらに前向きになる事は十分に予想されます。少子化対策として、男女共同参画社会の実現は、有効でしょう。

 しかし、どうもいただけなかったのは、この男女共同参画社会を実現する上での法的な土台となる『男女共同参画社会基本法』にある「第2条 男女共同参画社会の定義」です。
 引用いたしますと、

 『男女が、社会の対等な構成員として、自らの意志によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会。』

 とあります。
 問題は、「自らの意志によって」という部分です。ここに、いわゆる「ジェンダー」が入り込む余地が残されているような気がしてならないのです。
 「男らしさ」「女らしさ」という社会的な期待は、個人の意志決定に無意識に入り込んできます。自分の自由意志によって選択を行ったつもりでも、それは社会的な要求に影響を受けるのです。そのような状況で、「自らの意志」をやたらに持ち上げてしまうと、ジェンダーの再生産が発生する恐れがあります。

 この、「自由意志に基づく選択によるジェンダーの再生産」を防ぐためには、自由意志とは別に、客観的な数値目標等の設定が必要になります。これについては、行政も「積極的改善措置(ポジティブアクション)」という名目で取り組んでいるそうですから、あながち無頓着ではなかったようです。

 それにしても、あまりにも不用意に「自らの意志」という言葉が基本法に使われているのはおかしいと思い、この点について質問をしようと思ったのですが、案の定、説明だけで予定時間いっぱいとなり、「ご質問は、改めて担当者までお願いします」とのことでした。

 なんだか悔しいから、休憩時間に文面にして担当者に渡したのですが、今のところ返事をもらっていません。