中学校時代、「靴」という題目が出された美術のデッサンの試験で、僕は普段はいているぼろぼろのスニーカーをスケッチした事がある。
 当時の僕は美術が好きで、毎週出されていたスケッチの宿題を欠かさず提出し、ほとんど必ず「今週の優秀作品」として張り出されていた。
 そういう自負もあってか、僕はぺしゃんこにつぶれて薄汚れたスニーカーを見つめて熱心に鉛筆を動かしていた。
 ところが、このスニーカーを描くためには、50分は短かった。なんとかスケッチとしての体裁は整えることができたが、僕自身としては不満足な出来だった。
 制限時間が終了し、それぞれの出来具合を眺めていた中で、みんながひときわ注目した作品があった。それは、野球部の子が自分の野球スパイクを描いたものだった。皮製の生地の光沢が見事に表現されていて、とても完成度が高いと思われた。
 僕も、自分の作品と見比べて、彼の作品の方が上出来だと思った。

 後日、作品が採点されてそれぞれの手に戻ってきた。
 彼の作品は90点で、僕のは100点だった。

 先生の前ではさすがに口にしなかったが、みんなから不満の声があがった。「えこひいきだ」との声もあった。僕は後ろめたかった。
 「多分、先生は普段のスケッチの努力も考えて採点したんだよ。」なんて、余計な弁明もした。

 その後、高校でも美術を選択した僕は、油絵の展覧会に入選したりして、それなりに美術を楽しみ続けた。もう筆をとることはほとんど無いが、展覧会などには機会があれば出かけている。

 今、思い起こしてみると、確かに彼の作品は90点で、僕の作品の方が100点で正しかったのだと思う。
 
 時間が経過するごとに、経験を重ねるごとに理解できることもある。