お釈迦様が、いつもの霊鷲山での説法の集まりの時、この日だけは何も言わずに、指先で花をひねくりまわして、にこやかに皆の前に差し出して見せた。
 皆は、その花を見ながら、わけが分からずにポカンとしている。ただ十大弟子の一人迦葉(カショウ)だけがニコリと笑った。

 すると、釈迦様もニコニコして言う。「わたしの無限の真理、悟りの心境、形のない真実の世界、ふしぎの法門、文字にはかけない教えの外の教え、これを迦葉に授ける。」


 【無門の解説】

 茶色の釈迦さん、吹きも吹いたり、善人をナメて、見本と違う物を売り、いかにも奇抜なつもり。
 だがもし全員がニコリとしたら、「無限の真理」も授けにくかろう。もしも迦葉がニコリとせねば、これまたどうして伝えられよう。
 「無限の真理」が秘伝などとは、茶ッポコおやじのいなか芝居だ。もしまた秘伝でないのなら、なんで迦葉に限るのか。

 詩

 花を持つ手に
 尾っぽが見えた
 迦葉が笑えば
 宇宙が動く


 【松川亜人の雑感】

 これが「拈華微笑」という禅の起源と伝えられている逸話です。

 僕の解釈はこうです。

 釈迦は、「ほら、花だよ」というつもりでにこやかに花を差し出した。

 迦葉は、「ああ、花ですね」という気持ちでニコリと笑った。

 「そんな馬鹿な!もっと深い意味があるに違いないよ。」と思われる方、もちろんです。

 でも、深く考えると、浅くなる。浅いままではやはり浅い。でも浅いところに深い意味が見え隠れしてる。

 無門禅師がちょっと見るとふざけているとしか思えないような解説を加えていますが、このお方は、とても大切な真理に触れるような公案には、わざと茶化した解説を付けているようです。

 浅きにあって深きを知れ、いや、深きも浅きも本来は同じ事なのだよと、無門禅師のひょうきんな微笑みが、迦葉の微笑みと重なっています。