寒さの厳しいこの時期、虫たちにとっては、一番辛いときかもしれません。

 窓から差し込む日差しがうららかになってきた昼時、職場で、若手女性数人が急に「きゃーっ」と、驚きの声をあげて、なにやら騒然となりました。

 何事かと仕事の手を休めて目を向けると、なにやら床を見ておののいている。

 「あ、松川さん、これ、どうにかしてください!」

 指さした先にあったのは、三角形をした茶色の小さなかたまり。よく見ると、一匹の蛾が、床にはいつくばっていたのだ。

 (そっとしておけばいいのに......。)

 そう思ったが、どうにも女性陣のうろたえが収まらないようで、おちつかない。

 しかたがないので、紙を取り出し、蛾をすくうようにして紙の上に乗せようとした。けれど蛾は嫌がったのか、もそもそと紙から逃げるように移動した。

 「こら、おとなしくしろ。」

 そうつぶやいた瞬間、彼はぱっと羽を広げてはばたき、事もあろうに、次の瞬間、僕のおなかのニットにしがみついた。

 全く、困ったやつだと思いながら、僕の腹の上にいる蛾の横顔を眺めてみた。

 正面から見るとよく分からないのだが、蛾を横から見ると、胸のあたりがふさふさとした産毛で盛りあがっており、意外とと可愛いものだ。

 ところが、そんな僕の様子を見て、女性陣の一人が、「汚い!松川さん、こっち来ないでください!」とのたまった。

 「.....汚い、だって?......こいつ、けっこう、かわいいよ.......。」

 僕の言葉がむなしいことは分かっているが、少なくとも、僕の腹の上にいるこいつは、仕事の邪魔にこそなれ、「汚い」と罵られるべき存在ではないだろう。

 いったい、彼女が見ている「汚さ」とは、何なのだろう?

 それはきっと、「蛾」という言葉にのみに由来する、彼女自身が作り上げたイメージなのではないだろうか。

 とはいえ、彼女を責めるわけにもいくまい。「蛾」というもののイメージが一般的には忌み嫌われる汚いものであることは承知している。

 蛾を「かわいい」などと思う僕の方がおかしいのだろう。


 「さて、退散するか。」

 僕は腹の上にいる蛾に呼びかけ、日差しの軟らかな中庭に出ていった。

 日の当たる場所で僕が立ち止まると、蛾は、僕の腹の上からパッとはばたいて、日差しの中を上空へ飛んでいった。

 僕は彼を見送った後、しばらく、軟らかな日差しを浴びながら、仕事をさぼることに決めた。