昨年は10月になっても、真夏日が続いたかと思えば、12月以降、急に寒くなって、年明けしても寒い傾向が続いています。

 いわば異常気象なのだろうと、半ばあきらめの心境でいたのですが、立ち寄った本屋で、そんな気分に疑問を投げかけるような本に出会いました。

 「ジュラシック・パーク」や「アンドロメダ病原体」といったベストセラーでお馴染みのマイケル・クライトンの新作で、地球温暖化をテーマにした小説です。
 実は、ちょっと手にとって立ち読みした程度ですので、本の帯に書いてある「あらすじ」以上の事は分からないのですが、どうやらこの本、地球温暖化がテーマだと言っても、現在我々が信じて疑わない「地球温暖化」という現象が、実は何らかの組織によって仕組まれたデマゴギーである、という設定のようなのです。
 もちろんそれを、単にSF小説の荒唐無稽な作り話だと片づけてしまってもかまわないかもしれません。ただ、僕は、「解説」に書かれていたマイケル・クライトン自身の言葉の抜粋、『ここに書かれている事は全て反証されてしまうかもしれない。しかし、私が真に恐れているのは、「地球温暖化」に対しては、反論することすらできないような風潮があることだ』という言葉に共感を覚えました。

 そういえば、僕の大学院時代の指導教官は、地球温暖化について甚だ懐疑的な考えをお持ちでした。しかし、先生からそういう話を聞かされても、僕などは「多くの科学者が同意している事に間違いがあるとは思えない」と思って、先生のお話も上の空で聞いていました。 いや、正確に言うと、先生の考えが正しいという可能性があることは認めながら、より広く合意されている「地球温暖化」の方に漠然と信頼を置いていたのです。

 実際の所、我々が信用している「科学的」な事例は、その多くは、我々自身、客観的なデータや理論を通して理解しているものではなく、「社会的な信頼のある」科学者(集団)の見解や、メディアを通した解説によって、より確からしさを社会的な判断で選択しているにすぎないのです。
 
 特に地球温暖化のような複雑な地球規模の気象を扱うような場合、時間的なスパンも空間的なスパンも、いったいどのレベルで議論するかで、結果も全く違ってきてしまいます。 マイケル・クライトンも、その点を小説で指摘しているようです。

 しかし、僕自身は、とりあえず「地球温暖化防止」に向けた対策をこれからも支持したいと思うのです。
 もしかしたら、先生やマイケル・クライトンの言うことが正しいのかもしれません。けれど、不十分で不確実な根拠しかないとしても、我々は何らかの「態度選択」をする必要があると考えるからです。
 それはちょうど、選挙公約もあまり理解できないのに投票するようなものです。棄権するより、行動した方がいい。しかし、反論を許さない巨大与党のような「地球温暖化」は、確かに、支持はしつつも、注意深く批判的な検証を怠らないようにする必要があるかもしれません。
 
 もちろん、国会の「巨大与党」にも、このことはあてはまるでしょう。