耐震偽装事件、相次ぐ少女殺害事件と、師走になってから重大事件が連続しています。
 耐震偽装事件の姉葉元建築士は「自分一人でできることではない」と、関係業者の体質を暗に批判。更には、国会の証人喚問で「私が言うような事ではないが、もっとしっかりチェックしてもらいたい」とまで述べました。
京都の塾小学6年生の少女を刃物で刺し殺した塾講師萩野容疑者は、「(殺した少女が)いなくならなれけば、生きてはいけないと思った」と、警察の取り調べに対して語ったといいます。報道の内容を見る限りでは、この少女は、萩野容疑者を嫌ってはいたようですが、萩野容疑者の生命を脅かすような事は何一つしていません。

 もうなんだか、どんな考えを巡らせても虚しさが募るだけのような気がします。
 僕には、彼らがカミュの描く「異邦人」に見えるのです。
 自分の行ったことに対して、淡々と、冷静に、そして大まじめに振り返り、「反省」する。しかしその「反省」は、我々と同じ価値観の土壌に立ったものではない。
 我々の持つ共通の価値観を脅かす存在。小説の中で、検察官が『彼に対して「死刑」を求刑する事に、喜びさえ感じる』とまで言わしめた存在。
 考えれば考えるほど、「不条理」がつきまといます。
 
 まだ未解決の問題、事件。
 栃木・茨城で起こった少女殺害事件。少女の血がほとんど無くなるほどの「猟奇的」な方法で犯行に及んだ犯人は、いったい今、どのような顔をして社会に潜んでいるのでしょう。
  姉葉元建築士の周囲には、まだ多くの異邦人がいるようです。もしかしたら、姉葉氏は、それら異邦人の中ではまだ「良心的」であるのかもしれません。

 今の時代にカミュが生きていたら、どう思うのでしょうか。