フランス華の87年組の4人 | GG Forza SINRA

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華の87年組とは、、、2014年に開催されたUEFA U-17欧州選手権に優勝したU-17フランス代表メンバーの多くが87年産まれだったことからそう呼ばれ将来のフランス代表を牽引する存在達だと当時は注目されていた。

 

しかし飛躍したのはせいぜい4人。9番のメネズ、11番のベン・アルファ、18番のベンゼマ、そしてエースナンバー10を背負い決勝で勝ち越しゴールを決めたナスリ。この4人も問題行動の多い悪童であり今現在代表に呼ばれているものは一人もいない。

 

ハテム・ベン・アルファ

パリ・クラマール出身。クレールフォンテーヌ国立研究所を飛び級で入学するなどユース期から才能の片鱗を見せつけた天才FW。

リヨン→失敗

マルセイユ→デシャン監督と対立して失敗

ニューカッスル→成功。が、徐々に衰退

ハル・シティ→ブルース監督に信頼されず失敗

2015年夏に流れ着いたニースではリュシアン・ファーブル監督が自由にプレーさせてくれたこともあってキャリアハイの大成功。その活躍をパリ・サンジェルマンのローラン・ブラン監督が見込み2016年夏にフランスの盟主パリ・サンジェルマンに移籍。しかし、獲得を望んだブランが解任され後任のウナイ・エメリにはチームプレーを要求され適応に苦しみエディンソン・カバーニの後塵を拝する。2017年にはブラジルのスーパースターネイマールとフランスの現神童キリアン・エムバペが移籍が入団し完全に居場所を失う。

2018年にレンヌに入団。その後スペインでのプレーを経験した後現在ボルドーに在籍。

基本コネラーというか個人プレイに走り過ぎるきらいがあり、ハマる時とハマらない時の差が激しい。前述のようにニースはファーブルが自由にプレーさせてくれて成功するがPSGではエメリに連携を求められ失敗。

リヨン時代は序列の低下で周囲と諍いを起こす。セバスティアン・スキラッチと喧嘩し、当時の大黒柱ジュニーノ・ペルナンプカーノはスキラッチの肩を持った。

マルセイユでも出場機会が少ないことに対して不満をタラタラに漏らして当然規律を重視するデシャンにはより冷遇され、ベン・アルファは移籍を志願する。その後マルセイユが不調に陥りクラブがベン・アルファの起用を増やすようになるが移籍志願は取り下げなかった。

ニューカッスルでやっと息を吹き返したがEURO2012でブランと喧嘩したという。

 

ジェレミー・メネズ

ロンジュモー出身。攻撃的ポジションならどこでもこなせる高いテクニックを持ちジダンに「自身の後継者と期待をかけられた天才ドリブラー。

母国のソショーでキャリアスタート。ソショーとの契約前にビッグクラブに狙われていたがチームの先輩に「その才能なら今契約しなくても後でめちゃくちゃオファー来るから焦らなくていい」と助言を受ける。

2006年モナコへ移籍57試合14ゴールの活躍を見せた結果、2008年ローマに移籍。最初のシーズンはイタリアサッカーへの適応に苦しむが9-10シーズンはクラウディオ・ラニエリ監督に信頼され活躍。10-11シーズンも活躍するが2月に就任したヴィンチェンツォ・モンテッラ監督には信頼されなかった。

2011年、パリ・サンジェルマンに移籍。11-12シーズンは33試合7得点12アシストのキャリアハイを記録。12-13シーズンは前半戦は出場機会があったが徐々に決定力不足が浮き彫りとなり控えに陥落。

2014年、ミランへ移籍。移籍初年度は独善的なプレーが目立つ。日本人にとっても有名なのは第6節のキエーヴォ戦の本田圭佑がフリーキックを蹴ろうとボールをセットしたのにそのボールを奪って自分が蹴ろうとしたシーン。結局本田にフリーキックを蹴られゴールを決められた。しかし終わってみれば16ゴールでチーム得点王に輝いた。しかし15-16シーズンは怪我もあって活躍できず。

2016年ボルドーに移籍してから短期間でクラブを転々とし現在はレッジーナに所属。

メネズも個人プレーに走りやすい。あとオフサイドが多い。オフサイド喰らった後にゴールラインからバックスピンでゴールに入れるのはすごかったとは思う。また練習態度に難がありローマ時代モンテッラに信頼されなかったのはそれが原因。

 

サミル・ナスリ

マルセイユ出身。主にトップ下やサイドハーフとしてプレーする攻撃的MF。優れたボールコントロールとテクニックを持ち、両親がアルジェリア移民でマルセイユ出身であることからジダン2世と称された攻撃の天才。

マルセイユのユースでプレー。2004年トップに昇格。フィリップ・トルシエ監督に見出され、退団まで司令塔として活躍。

2008年、アーセナルへ移籍。多くの試合で創造性の溢れるプレーを披露。10-11シーズンはキャリアハイの10得点を記録。

2011年、マンチェスター・シティへ移籍。シルバとの相性の良さでチームの攻撃を牽引。シルバ不在時も巧みなインテリジェンスを披露。大一番、ここぞというときにゴールを決め活躍。しかし2016年に就任したジョゼップ・グアルディオラ監督にはその性格から評価されずセビージャにレンタル移籍。

セビージャではホルヘ・サンパオリ監督に特別扱いされ大活躍。清武弘嗣をいらない子にした。しかし12月に栄養剤の摂取に関する世界アンチドーピング機構が制定する規則を破り2年間の出場停止処分の危機に陥る。CASに提訴して2018年2月まで処分の決定を保留にさせる。

2017年、自分につけられた値札が高くセビージャが買えなかったのでセビージャを退団。トルコ・アンタルヤスポルに移籍するが出場機会が少なかったので2018年1月退団。

ドーピングの処分に関する運命の審判は6ヵ月の出場停止処分となった。

2018年末、ウェストハム・ユナイテッドにシーズン終了までの契約で加入。

2019年、シティ時代の盟友ヴァンサン・コンパニの誘いに乗りアンデルレヒトに加入。しかし2020年春、コロナウイルスに関するクラブの規則を破ったとして解雇。

華の87年組唯一の現在無職。

マルセイユ時代までは純朴な少年だったがアーセナルに移籍した辺りから豹変したらしい。マルセイユ時代松井大輔に「くたばれ」と言ったらしいが。ウィリアム・ギャラスとの不仲は有名。ギャラスとの始まりはEURO2008においてナスリの大先輩アンリに敬意を欠いた行動にギャラスが叱責したことが始まり。当時悪童全盛期のジョーイ・バートンとも試合中真っ向から喧嘩。10-11シーズン第2節リヴァプール戦に敗退した際には退場した新人エマニュエル・フリンポンに「お前のせいで負けた」と言い放ったらしいその後シティに移籍した後のアーセナル戦でもフリンポンと口論に。迎えたEURO2012、イングランド戦でゴールを決めた後黙れポーズをする。スペイン戦後のミックスゾーンでナスリが記者を無視すると記者が「とっとと消えろ」と言ってきたので「売春婦の息子」と言い返したらしい。結果規律を重視するデシャンには2014ワールドカップには招集されなかったので代表引退した。

 

カリム・ベンゼマ

リヨン出身。大柄な体躯ながら柔らかな身のこなし、抜群のスピード、そして高いテクニックとパワフルさを併せ持ち、難易度の高いシュートも決められるほど高い得点力を誇る完璧なFW。

地元名門クラブオリンピック・リヨンのユースでキャリアスタート。2004年にトップチームに昇格。06-07シーズンからチームの主力に数えられフランス代表にも召集。07-08シーズンより背番号10を背負い36試合20得点で得点王に輝く。08-09シーズンも活躍。その結果レアル・マドリードで2度目の会長に選出されたフロレンティーノ・ペレスによる新銀河系軍団の一員として狙われる。

09-10シーズンよりレアル・マドリードでプレー。ゴンサロ・イグアインと熾烈なスタメン争いを繰り広げる。10-11シーズン開幕前に日本のサッカーファンにも有名な「最高のベンゼマ」宣言を発令。しかし10-11シーズンは浮き沈みが激しいシーズンに終わる。11-12シーズン開幕前に「本当のベンゼマ」宣言を発令。結果リーグ戦34試合21得点、公式戦34得点15アシストでキャリアハイを記録。以降クリスティアーノ・ロナウドの相棒、または黒子として長くCFのスタメンに君臨。クリスティアーノ・ロナウド退団後は唯一得点力のあるFWになる。ゴンサロ・イグアインくらいしかライバルと呼べるライバルがいない。

所属クラブで替えの利かない存在として重宝されている他三名が出場しなかった2014ワールドカップに出場し華の87年組では唯一の成功者。しかしやらかしたことが87年組の中で一番犯罪級。まず10-11シーズン開幕前にリベリーと一緒に買春容疑をかけられる。これは無罪判決が下された。問題は2015年、ヴァルブエナのセックステープ恐喝に関与して逮捕された。これで代表は追放同然。後に無罪が確定したがFFFの会長もデシャンも復帰させる意向はないという。