セリエA最多優勝を誇るチームのユヴェントス。現在セリエAを8連覇中のセリエA最強クラブ。尚CLでは準優勝最多7回となぜか勝てない。そんな強豪クラブもある時期ドン底を味わった。2006年5月に発覚したカルチョ・スキャンダルだ。当時ユヴェントスのGMを務めていいたルチアーノ・モッジやCEOを務めていたアントニオ・ジラウドらが主犯格とされた、組織的な審判買収、脅迫事件である。このスキャンダルにはFIGCの元会長フランコ・カネーロや審判協会元会長トゥーリオ・ラネーゼも協力していたとされイタリアサッカー界そのものの腐敗が世に知れ渡った。
このスキャンダルによりユヴェントスは2004-05シーズンと2005-06シーズンのスクデットをはく奪されセリエBに降格。主力選手の大量流出が行われた。ユヴェントスを出ていった者がいれば残った者もいる。今回はスキャンダル発覚後2005-06シーズンのユヴェントスの選手達はどうなったのかを追っていく
背番号1
ジャンルイジ・ブッフォン
国籍:イタリア
当時年齢:28歳
去就:残留
カルチョ・スキャンダル発覚後自らも違法サッカー賭博に関与した容疑をかけられたが無実が判明。「俺にはセリエBのタイトルが足りない」と発言し残留を果たす。2006年ワールドカップにてPKとオウンゴール以外無失点でイタリアの優勝に貢献。セリエBでの2006-07シーズンは38試合ゴールを守り足りなかったセリエBのタイトルを獲得。あと足りないのはCLのタイトルだけだ。
背番号2
アレッサンドロ・ビリンデッリ
国籍:イタリア
当時年齢:31歳
去就:残留
「ユヴェントスのお陰で一流になれた。ユヴェントスの選手であったからこそ国内リーグ、ヨーロッパの重要な試合に出場できた。スキャンダルなど関係なくクラブには感謝の気持ちを持ち続けている。ユヴェントスでキャリアを終えたい」と残留を宣言。デシャン監督の信頼を勝ち取り右サイドバックやセンターバックのポジションでセリエBで活躍した。2008年夏に故郷のクラブであるピサに移籍するもセリエBに降格し、財政問題が発覚。2009年夏にペシーナに移籍したがペシーナにも財政問題が発覚し2009-10シーズン終了後に現役引退。
背番号3
ジョルジョ・キエッリーニ
国籍:イタリア
当時年齢:21歳
去就:残留
今ではユーべのキャプテンを務める男も当時は21の若手だった。2006-07シーズンは本職の左サイドバックだけでなくケガ人が多発したセンターバックも務めた。これによってセンターバックの才能が開花した。怪我が多めで19-20シーズンも前半戦は怪我で欠場していた。ワールドカップでスアレスに噛まれたのはこいつ。
背番号4
パトリック・ヴィエラ
国籍:フランス
当時年齢:29歳
去就:インテルに移籍
アーセン・ヴェンゲル指導の下アーセナルで活躍。2003-04シーズンの無敗優勝の立役者はアーセナルで3年間キャプテンを務めた後2005-06シーズンよりユヴェントスに移籍。スクデット獲得に貢献するもスキャンダルで幻となり、たった1シーズンでインテルに去る。インテル、シティを経て2011年引退。その後は指導者の道へ進み2018年OGCニースの監督に就任し復調していたバロテッリと悪童マクシマンを追放した。
背番号6
ロベルト・コヴァチ
国籍:クロアチア
当時年齢:32歳
去就:残留
ニコ・コヴァチの弟。兄とはバイエルン・ミュンヘン、レバークーゼン、代表で共にプレー。スキャンダル発覚後は残留を決断しセリエA昇格に貢献してからドルトムントに去っていった。2010年現役引退。引退後は指導者の道に進み。兄が監督を務めた代表、バイエルン共にアシスタントコーチを務めたりと兄にくっついていってる。兄がバイエルンを出ていくのにもくっついて出ていった。
背番号7
ジャンルカ・ペッソット
国籍:イタリア
当時年齢:36歳
去就:引退
36歳と選手としてはキャリア終盤だったのでそのまま引退し、ユヴェントスのチームマネージャーに就任したが、2006年6月にユヴェントスの事務所の屋上からロサリオを握って飛び降り自殺を図り重傷を負う。うつ病だったらしい。2014年来日した時は元気だった。
背番号8
エメルソン
国籍:ブラジル
当時年齢:30歳
去就:レアル・マドリードに移籍
ローマで共にしたカペッロに連れていかれる形で2004-05シーズンにユヴェントスに移籍。スキャンダル発覚後レアル・マドリードに移籍するが結果を残せず1シーズンでミランへ去っていった。
2010年に現役を引退したが2016年よりアメリカのマイアミ・デイドに選手兼役員として所属している。
背番号9
ズラタン・イブラヒモビッチ
国籍:スウェーデン
当時年齢:24歳
去就:インテルに移籍
俺様野郎も当時は24の若手。2004-05シーズンにアヤックスからユヴェントスに移籍。当初は、デル・ピエロとトレセゲの控えと目されていたが、両名の故障もありフォワードの主軸へと成長する。在籍2シーズンどちらもスクデットを獲得しているがスキャンダルではく奪され、ユヴェントスの最大のライバルのインテルに移籍した。CLのタイトルが欲しくて2009-10シーズンに08-09シーズンにCLを優勝したバルセロナに移籍したが2009-10シーズンにCLを制覇したのはインテルだったと巡り合わせが悪い。バルセロナではコンスタントにゴールを決め活躍していたがグアルディオラのメッシを中心とした戦術に俺様野郎のズラタンが適応できるはずもなく、1シーズンでミランに去っていった。このこともあってズラタンはペップが嫌い。その後パリ・サンジェルマン、マンチェスター・ユナイテッド、アメリカのLAギャラクシーを経て2020年からミランに復帰。
背番号10
アレッサンドロ・デル・ピエロ
国籍:イタリア
当時年齢:31歳
去就:残留
1993年から2012年までユヴェントスに在籍したビアンコネーロのバンティエラ。スキャンダル発覚後サー・アレックス・ファーガソンからマンチェスター・ユナイテッドに誘われるもクラブ愛を貫き残留。セリエBでは得点王を受賞した。ユーべ脱退後はオーストラリアとインドのクラブに在籍し2014年引退。親日家であり日本語ブログを更新している。
背番号11
パベル・ネドベド
国籍:チェコ
当時年齢:33歳
去就:残留
デル・ピエロとブッフォンに続き残留を表明。「世話になったクラブに恩返しをする時」とコメントしていた。セリエBでの戦いを中盤で支え、2009年ユーべで現役を引退。その後ユーべでスポーツディレクターを務め、2015年10月にユーべの副会長に就任した。
背番号14
フェデリコ・バルザレッティ
国籍:イタリア
当時年齢:24歳
去就:残留
残留組。移籍する者に対しては「去りたきゃ去れ。セリエBは精神的にもそれ相応の覚悟が必要だ」と自信の見解を示した。セリエBでの戦いはレギュラーとして40試合に出場した。2007年夏にフィオレンティーナへ4年契約で移籍したが全くはまらず半年でパレルモへ移籍した。2012年にローマに移籍し2015年に現役引退。引退後はローマのチームスタッフ入りし、サッカー解説も行っている。
背番号15
ドメニコ・クリシート
国籍:イタリア
当時年齢:19歳
去就:ジェノアにレンタル移籍
スキャンダル発覚時どちらかというとプリマヴェーラを主戦場とした選手だった。発覚後の2006-07シーズンはジェノアにレンタル移籍し活躍。2007年1月にユヴェントスに復帰するが適応できず1年後の2008年1月再びジェノアのレンタル移籍。結局2009年にジェノアに完全移籍し2011年までジェノアにいた。2011-12シーズンから2017-18シーズンまでゼニト・サンクトペテルブルクに在籍し2018-19シーズンより再びジェノアに活躍の場を移す。
背番号16
マウロ・カモラネージ
国籍:イタリア
当時年齢:29歳
去就:残留
カモラネージ自身に残留する気は無く移籍を強く希望するがデシャンの意向とフロントが契約を盾にしたため結局残留。セリエAに貢献する。その後監督はクラウディオ・ラニエリ、チロ・フェラーラに変わっていったが両者とも良い関係を構築しなんだかんだ2010年8月までユヴェントスにいた。ユヴェントスから離れた後はシュトゥットガルトに移籍したが半年で契約解消。2014年までアルゼンチンでプレーし同年6月現役引退。
背番号16
ダヴィド・トレセゲ
国籍:フランス
当時年齢:28歳
去就:残留
移籍が確実視されたが残留した。2010年までユヴェントスに在籍。その後はスペイン、UAE、アルゼンチン、インド経て2015年現役引退。合わせてユヴェントスのフロント入りの予定であることを明かす
背番号18
アドリアン・ムトゥ
国籍:ルーマニア
当時年齢:27歳
去就:フィオレンティーナに移籍
ルーマニアのレジェンド・ハジに並ぶルーマニア代表最多得点選手。スキャンダル発覚後の動向はパルマ時代の恩師チェーザレ・プランテッリの元に行く。つまり、フィオレンティーナへの移籍だった。フィオレンティーナもスキャンダルによってペナルティを食らっていたが33試合16得点でチームを5位に導く。このシーズンはガゼッタ・デロ・スポルト紙から試合採点の最高平均点、イタリア放送協会やDatasportからグッドプレイヤー賞を与えられた。現役生活中でスキャンダルが多い選手でドーピング問題でクビになったクラブがあったり、出場停止になったりしたことがある。特にドーピング問題は現役生活中常々付きまとっていた。ゲオルゲ・ハジ引退後のルーマニアサッカーを引っ張っていったが飲酒問題で永久追放される。その後謝罪して復帰したが2014ワールドカップ予選で代表監督の顔をいじった写真をFacebookに挙げてまた追放された。2016年現役引退。現在はU-21ルーマニア代表監督を務めている。
背番号19
ジャンルカ・ザンブロッタ
国籍:イタリア
当時年齢:29歳
去就:バルセロナに移籍
バルセロナでは在籍した2シーズン右サイドバックのレギュラーとしてプレーしたがスペインのスタイルに馴染めなかったのかミランへ移籍しイタリアに復帰。しかし財政難に陥ったクラブの方針でネスタ、インザーギ、ガットゥーゾ、イブラヒモビッチ、チアゴ・シウバと共に退団。12-13シーズンは無所属で過ごし13-14シーズンよりスイスのキアッソにコーチ兼任で加入。11月には選手兼任監督就任するが2015年成績不振で解任。いつの間にかに引退していた。現在インドのデリー・ディナモスの指揮を執る。
背番号20
マヌエレ・ブラージ
国籍:イタリア
当時年齢:25歳
去就:フィオレンティーナにレンタル移籍
2005-06シーズンの時点で控えに回ることが多く、06-07シーズンはフィオレンティーナにレンタル移籍することになるが、出場機会に恵まれず07-08シーズンよりナポリに移籍、パレルモ、パルマ、レッチェとイタリアのクラブを転々としたあと2015年夏に同胞マルコ・マテラッツィが指揮を執るインドのチェンナイインに移籍。その後イタリアに戻ってまたチェンナイインに移籍。またイタリアに戻って現役を引退し、その最終クラブのコンパニア・ポルトゥアーレの監督に就任する。
背番号21
リリアン・テュラム
国籍:フランス
当時年齢:34歳
去就:バルセロナに移籍
フランス代表の歴代最多出場記録を保持するDF。年齢を鑑みて引退も考えるが最終的にザンブロッタとともにバルセロナに移籍。2008年の退団後、パリ・サンジェルマンへの移籍目前のメディカルチェックで心臓に異常が発見、再検査の結果は正常であったがバスケをしていた実兄が試合中に心臓発作で亡くなったこと、そのことから母親に常日頃から心配されていたこともあって2008年に現役を引退した。引退後当時のフランス大統領ニコラ・サルコジから内閣入りを打診され階段を行ったが、テュラム本人の意向で合意には至らなかった。息子のマルクス・テュラムはボルシア・メンヒェングラートバッハで活躍中。ポジションは父と違いFW。
背番号22
ランドリー・ボンヌフォワ
国籍:フランス
当時年齢:22歳
去就:メスにレンタル移籍
GKでありブッフォンが守護神として不動の地位を築いていたこともあって出場機会はまったくなく、メスにレンタル移籍した。翌シーズンディジョンに完全移籍フランスのクラブを転々とし現在はストラスブールに所属している。
背番号23
ジュリアーノ・ジャンニケッダ
国籍:イタリア
当時年齢:31歳
去就:残留
2005年から2007年までユヴェントスに在籍。その後リヴォルノに移籍しリヴォルノでキャリアを終える。引退後は指導者に転身し現在セリエDのアプリーリアの監督をしている。
背番号24
ルベン・オリベーラ
国籍:ウルグアイ
当時年齢:23歳
去就:サンプドリアにレンタル移籍
2002年よりユヴェントスに加入するが2004-05シーズンの18試合出場以外、大して活躍したシーズンはなく退団する2009年までレンタル移籍を繰り返す。スキャンダル後の06-07シーズンにレンタル移籍したのがサンプドリアだった。現在はアプリーリアに所属。
背番号25
マルセロ・サラジェダ
国籍:ウルグアイ
当時年齢:27歳
去就:残留
残留したが出場機会は少なく2007-08シーズンにナポリへ移籍。2016年母国のペニャロールにてキャリアを終える。
背番号27
ジョナタン・セビナ
国籍:フランス
当時年齢:28歳
去就:残留
カンヌ、カリアリ、ローマと着々とキャリアをステップアップさせ2004年にユヴェントスに加入するがそこから不安定なプレーが続く。レギュラーポジションを獲得することは出来なかったが2010年までユヴェントスに在籍し、2010-11シーズンはブレシアに所属、2011-12シーズンから母国に戻り、2014年アルル=アヴィニョンでキャリアを終える。
ファビオ・カンナヴァーロ
背番号28
国籍:イタリア
当時年齢:32歳
去就:レアル・マドリードに移籍
エメルソンと共にレアル・マドリードに移籍。エメルソンはパッとしなかったがカンナヴァーロは在籍した3シーズンで100試合に出場し活躍した。バロンドールを受賞したのもレアルにいる間のことである。レアル・マドリードの公式サイトのレジェンドページにもページが用意されている。その後ユヴェントスに1シーズン復帰した後UAEで選手生活を終える。引退後指導者に転身し中国を中心にキャリアを積んでいる。2試合だけ中国代表を指揮したこともあった。
背番号32
クリスティアン・アッビアーティ
国籍:イタリア
当時年齢:28歳
去就:ミランに復帰後トリノにレンタル移籍
そもそもユヴェントスにいたのはミランでジーダにポジションを奪われブッフォンが負傷したことによる助っ人要請によりミランからのレンタル移籍していたからであった。ブッフォンは元に戻ってるし、セリエBに降格するようなクラブにレンタルしたままなのはよろしくないと言わんばかりにトリノにレンタル先を変えられた印象が否めない。同じ地区だし。トリノの次にアトレティコ・マドリードにレンタル移籍定位置は確保しなかったが21試合に出場。2008-09シーズンよりミランに復帰し、ジーダからレギュラーを奪取。しかし自分もケガしてまたジーダに奪われる。ジーダが退団した2010-11シーズンはレギュラーとして活躍しスクデット獲得に貢献し2015-16シーズンをもって現役引退。
監督
ファビオ・カペッロ
当時年齢:59歳
去就:レアル・マドリードの監督に再就任。
よもや自分が指揮しているチームが監督買収によって有利な判定をされていたなど思わなかっただろう。クラブのレジェンドの1人デシャンに後を託しカンナヴァーロとエメルソンを連れてレアル・マドリードの監督に再就任し4シーズンぶりにリーガタイトルをもたらした。2018年監督業引退を表明した。
残留したのはブッフォン、ビリンデッリ、キエッリーニ、コヴァチ、デル・ピエロ、ネドベド、バルザレッティ、カモラネージ、トレセゲ、ジャンニケッタ、サラジェダ、セビナ
ユヴェントス最大のライバルであるインテルに移籍したのはヴィエラとイブラヒモビッチ。
レアル・マドリードに移籍したのはカンナヴァーロとエメルソン。
バルセロナに移籍したザンブロッタとテュラム。
フィオレンティーナにはムトゥとブラージ。
ジェノアにクリシート、メスにボンヌフォワ、サンプドリアにオリベーラ、トリノにアッビアーティ。
カルチョ・スキャンダルをものともせずにキャリアを続行できた選手もいればエメルソンなどこのスキャンダルで順風満帆とは言えないキャリアになってしまった選手もいるだろう。
そして2020年現在、このユヴェントスのようにスキャンダルによって選手が大量流出する危機にあるクラブがある。マンチェスター・シティだ。2012年から2016年にわたり、スポンサー料を水増しし、FFP規則への違反が判明。CLなどUEFA主催大会への参加の禁止と3000万ユーロ(約36億円)の罰金を科された。シティはCASに控訴したので処分は保留になっているが選手の大利流出は免れないだろう。スターリングなど残留を表明している選手もいるが、ジェズスにユヴェントス移籍の噂が報じられるなど、20-21シーズン前の夏の移籍市場でのマーケットが非常に注目される。
20-21シーズンが開始次第今度は19-20シーズンのマンチェスター・シティの選手がどうなったのかを追っていこう