GG Forza SINRA

GG Forza SINRA

Gloly Gloly Forza Sinra

サッカー、日ごろの愚痴等

マンチェスター・ユナイテッドの7番

 ジョージ・ベスト、ブライアン・ロブソン、エリック・カントナ、デビッド・ベッカム、クリスティアーノ・ロナウドといったスーパースターが背負った伝統の背番号。しかしクリスティアーノ・ロナウドが退団して以降呪われた。

 

マイケル・オーウェン

 リヴァプールのアカデミー出身でありながらまさかの加入をしたワンダーボーイ。09-10シーズンに加入したが怪我に泣かされまともに活躍できず3年で退団。このオーウェン曰く「ちょっとした浮気」のおかげでリヴァプールファンには嫌われている

 

アントニオ・バレンシア

 2009年夏に加入したエクアドル代表のアタッカー。加入から25番を着用していたが12-13シーズンに7番に変更。しかしスランプに陥り1シーズン限りで元に戻した。

 

アンヘル・ディ・マリア

 2014年夏、ハメス、クロースといったレアルの大型補強の煽りを受けて7番を引っ提げて加入。10アシストも記録したがゴールはたったの3。シーズンが進むにつれて当時の監督ファン・ハールとの関係も悪化していき、ディ・マリアの奥さんもマンチェスターの寒さに不安を漏らした結果1シーズンでパリ・サンジェルマンに移籍。

 

メンフィス・デパイ

 2015年夏に加入したオランダの若造。自ら7番をおねだりした。当時の監督ファン・ハールはオランダ人に贔屓して甘いので易々と与えた。そのファン・ハールは15-16シーズン限りで解任。後任のジョゼ・モウリーニョには全く相手にされず2017年夏にオリンピック・リヨンに去っていった。

 

アレクシス・サンチェス

 行く先々で7番を背負ってきた生粋の7番。ピアノ演奏と共に加入。しかしユナイテッドで決めたゴールはたったの5。そもそもシティに取られたくなかったという理由で獲得された。生粋の7番でさえこの体たらくなので呪いの根強さが強いことが分かる。結局ユナイテッドにはピアノを弾きに来ただけであった。

 

エディンソン・カバーニ

 2020年夏の移籍市場最終日に加入した。『おじさん』『パニックバイ』『今頃w』とヘンリク・ラーションの前例があるにもかかわらず加入当初はボロクソ言われていたがロナウド以降の7番とは違いコンスタントに活躍。とうとう呪いは払拭された。21-22シーズンはクリロナが復帰したので代表でも着用するお気に入りの番号21に変更。

 

クリスティアーノ・ロナウド

 呪いは浄化され本来の持ち主に戻された。とおもいきや21-22シーズンは公式戦26ゴール5アシストを記録し、惨憺たるシーズンの唯一の光であったが22-23シーズンに入り新監督エリック・テン・ハーグが就任するとテン・ハーグの誰も贔屓にしない采配によってベンチスタートが増加。ある試合では試合中にピッチを後にするなど問題行動も露呈。挙句11月にメディアのインタビューでテン・ハーグへの恨みを暴露。持ち主自ら7番を汚して契約解除。

 

メイソン・マウント

 金の切れ目が縁の切れ目でチェルシーから加入。しかし呪いが発動したのか怪我を頻発。まともに活動できていない。

リッカルド・オルソリーニ

国籍:イタリア

アスコリのユース出身。2017年の冬にユヴェントスと契約し夏から正式加入となった。その夏はアタランタにレンタル移籍。しかし出場機会に恵まれず冬にボローニャへレンタル先を変更。ボローニャでは1試合丸々ベンチに座ることがありながらもフル出場する試合もあるなどアタランタよりは恵まれた。18-19シーズンも引き続きボローニャへレンタル。3月以降からゴールに貢献。

そして2019年夏に完全移籍に切り替わった。ユヴェントスでの出場試合は0

 

マッティア・カルダラ

国籍:イタリア

アタランタのユース出身。16-17シーズンにトップチームで活躍すると、2017年夏にユヴェントスと契約を結ぶ。17-18シーズンはレンタルの形でアタランタに残留。シーズン終了後に正式にユヴェントスに加入しプレシーズンツアーにも帯同した。

しかし喧嘩別れしたレオナルド・ボヌッチとヨリを戻すための生贄としてミランに捧げられた。ユヴェントスでの出場試合は0

 

クリスティアン・ロメロ

国籍:アルゼンチン

母国のクラブであるベルグラーノのユースチームから2016年にトップチームへ昇格。若手有望株として世界から期待され2018年にジェノアへ移籍し欧州へ進出。ジェノアで最終ラインの主力として確実に評価を高めると2019年の夏にユヴェントスと契約を結ぶ。19-20シーズンはレンタルの形でジェノアに残留。20-21シーズンはアタランタへ買取オプション付きでレンタルされた。

するとアタランタの3位フィニッシュに貢献しセリエA年間最優秀DF賞に輝いた結果。国外から関心を引く。金になると確信したアタランタは買取オプションを行使し速攻でトッテナム・ホットスパーに売却。ユヴェントスでの出場試合は0

しかもロメロの後釜としてメリフ・デミラルまで引き抜かれている。

 

モハメド・イハッターレン

国籍:オランダ

PSVのユース出身。2021年夏にユヴェントスと契約し速攻でサンプドリアにレンタルされたが、父親の死などでメンタルが終わっておりサンプドリアではトレーニングを含めてまともに稼働せず。冬にレンタル先をアヤックスに変えるとユースチームで一定の活躍を見せるも22-23シーズンは出場せずアヤックスでのレンタル生活は終了。情報によればサッカーをやれる体ではないデブになってるらしく、個人トレーニングのみ消化しているという。ユヴェントスでの出場試合は0

 

ニコロ・ロヴェッラ

国籍:イタリア

ジェノアのユース出身。2021年冬にユヴェントスと契約。ユヴェントスはこの契約のために自チームのユースのエリア・ペトレッリとマノロ・ポルタノーヴァを生贄に捧げている。正式な加入は2022年夏でそれまではレンタルの形でジェノアに残留した。来る2022年夏、ロヴェッラはプレシーズンツアーに帯同。

カルダラの二の舞か

このプレシーズンツアーでポール・ポグバが負傷。MFのコマ不足を懸念したマッシミリアーノ・アッレグリはロヴェッラの存在を忘れたのかレアンドロ・パレデスをレンタルで獲得。序列が下がったロヴェッラはモンツァへレンタルで放出された。ユヴェントスでの出場試合は0

 

アンドレア・カンビアーソ

国籍:イタリア

ロヴェッラに続きまたジェノアのユース出身。2022年夏にユヴェントスと契約し速攻でボローニャにレンタルされた。左サイドバックを主戦場としながら時に右サイドバック。中盤の両サイド等のポジションも経験し一定の活躍を見せた。

ユヴェントスでの出場試合は0

ユヴェントスのSBは経年劣化が著しいので23-24シーズンはトップチームでの活躍が期待されるがルカ・ペッレグリーニの例がある他、ファビアーノ・パリージやカルロス・アウグストなど22-23シーズンに活躍したサイドバックを買おうとしてたりするので何とも言えない。

 

こんな感じで先行投資しといてその存在を忘れほかの選手に色気を出すことが多い出場試合は0ではないがルカ・ペッレグリーニ、レオナルド・スピナッツォーラ、ロランド・マンドラゴラもこの部類に入っていいだろう。マンドラゴラに至っては1試合4分の出場のみだし

 

ブレシア・カルチョ

正式名称:ブレシア・カルチョ(Brescia Calcio)

本拠地:ロンバルディア州ブレシア

愛称:Le Rondinelle(小燕)、I Biancazzurri(白と青)、La Leonessa(ライオン)

カラー:青、白

創設年:1911年

ホームスタジアム:スタディオ・マリオ・リガモンティ

ライバル:アタランタBC

 

・イタリアが誇る至宝ロベルト・バッジョが現役最後に所属したクラブ

・ティキタカの申し子たるジョゼップ・グアルディオラがヨーロッパで最後に所属したクラブ

・ ゲオルゲ・ハジ、クリスティアーノ・ドニ、ルイジ・ディ・ビアジョ、アレッシオ・タッキナルディ、ルカ・トーニ、イグリ・ターレ、アレッサンドロ・ディアマンディ、ジョナタン・ゼビナ、マレク・ハムシークがが所属した

・ユースからアンドレア・ピルロ、アレッシオ・クラーニョ、アンドレア・チスターナ、サンドロ・トナーリを輩出。ピルロはブレシアから名門インテルに移籍。クラーニョはカリアリに移籍してしばらく守護神を務めた。チスターナは最終ラインで奮闘し、その結果2019年にはイタリア代表に選出され今もなおブレシアの最終ラインで奮闘している。トナーリは18-19シーズンのセリエA昇格に貢献し、20-21シーズンに名門ミランに加入した。

 

1964-65シーズンにセリエB1位でセリエA昇格を掴む。昇格してから3シーズンで降格。1968-69シーズンにセリエB2位で1シーズンでのセリエA昇格を果たすも、翌シーズン限りでまたもセリエBに降格。

 

一時期はリーグ3部に沈んだこともあったり、セリエAに昇格しても1シーズンで降格するなど。浮き沈むが激しいクラブであった。

 

1999-00シーズンにセリエB3位で昇格を掴むと、2000-01シーズンにロベルト・バッジョが加入。バッジョが在籍した4シーズンセリエA残留を果たすも、引退していなくなった途端に低迷し2004-05シーズンに19位で降格となる。2009-10シーズンに昇格を決めるも1シーズンで降格。

 

2018-19シーズン、アルフレド・ドンナルンマとエルネスト・トレグロッサがゴールを量産。ユース出身のサンドロ・トナーリが攻守のタクトを振るい、同じくユース出身のアンドレア・チスターナが守りを固め、結果セリエB1位でセリエA昇格を果たす。

 

2019-20シーズンはマリオ・バロテッリを獲得するなどしたが、そのバロテッリは悪童の側面しか現れず全くチームに貢献出来ず、またもや1シーズンでの降格が決定。

 

2020-21シーズン、2021-22シーズンそれぞれ7位5位で昇格プレーオフの切符を掴むが20-21シーズンは準々決勝でチッタデッラに昇格を逃した。21-22シーズンはペルージャを破り準決勝に進むもモンツァに敗北し昇格を逃した。

 

2022-23シーズン、シーズン中盤までは昇格プレーオフ圏内をキープしていたが、第17節パルマ戦と第18節ピサ戦でシーズン初の連敗を喫して以降、7連敗を喫するなど徐々に低迷し16位でコゼンツァとの降格プレーオフをさせられてしまう。1stレグはアウェーで1-0で敗北。ホームで迎えた2stレグでは後半74分にディミトリ・ビソリがゴールを決めるもアディショナルタイム95分の土壇場にアンドレア・メロニに同点ゴールを決められてしまう。これにトチ狂ったブレシアのサポーターが発煙筒を投げ入れ、試合続行を困難なものとした結果没収試合になり公式で0-3で敗戦扱いとなりセリエC降格が決定した。

 

監督

 ネド・ソネッティ

  昇格請負人と言われ数々のセリエBクラブをセリエAに昇格させた。ブレシアもその一つ。1999-00シーズンのセリエA昇格は彼の功績である。

 

 ズデネク・ゼーマン、セルセ・コズミ

  セリエB時代の監督。昇格プレーオフに導くこそすれセリエA昇格は叶わなかった。

 

 ジュゼッペ・イアキーニ

  09-10シーズンのセリエA昇格に導く。しかし2010-11シーズンは低迷し解任。

 

 マルコ・ジャンパオロ

  13-14シーズン開幕から指揮。しかし7試合で2勝のみで解任。

 

 クリスティアン・ブロッキ

  2016-17シーズンより指揮。シーズン途中の2017年3月に解任。

 

 エウジェニオ・コリーニ

  18-19シーズン途中から就任したユース出身のOB。セリエA昇格に導くがセリエAでは苦戦し解任。

 

 ファビオ・グロッソ

  コリーニの後任で11月に就任するも3連敗で1ヶ月で解任された。

 

 エウジェニオ・コリーニ

  グロッソでこれならコリーニの方がマシと言わんばかりに呼び戻された。しかし成績は好転せず2月に解任された。

 

 ルイス・ディエゴ・ロペス

  コリーニの後任で2月に就任するも16試合10敗で2か月で解任された。

 

 ルイジ・デルネーリ

  2020年9月に就任する。1勝1分1敗で解任。

 

 ルイス・ディエゴ・ロペス

  デルネーリの後任で10月に就任するも9試合3勝で2か月で解任された。

 

 フィリッポ・インザーギ

  21-22シーズンより就任。開幕から好調で昇格プレーオフ圏内をキープしていたが、マッシモ・チェッリーノ会長との確執があり年明け2,3月に失速しこれ見よがしに解任された。選手時代は弟より上だったが、監督時代は弟より下。

 

選手

 エウジェニオ・コリーニ

  ユース出身で4シーズンに渡りトップチームで活躍し最強ユヴェントスに引き抜かれた。

 

 ロベルト・バッジョ

  イタリアが誇るファンタジスタ。加齢とともにその輝きを失われ2000年に加入。4シーズン所属しブレシアのセリエA残留に貢献。引退していなくなった2005-06シーズンにセリエBに降格したのだからその存在感がわかる。

 

 ジョゼップ・グアルディオラ

  ヨーロッパでのキャリア最後の地。バッジョがいたことが加入の決め手になったという。バルセロナ時代ほどの活躍は見せられず、、、

 

 アンドレア・ピルロ

  ユース出身。元々同じブレシアが本拠地の零細クラブにいたがそこから引き抜かれた。セリエBのチームでありながらその類まれなる才能でインテルの興味を引いた。

 

 クリスティアーノ・ドニ

  1996-97シーズンより加入。セリエA昇格に導き、翌シーズン自身初のセリエAを経験。

 

 ゲオルゲ・ハジ

  同胞の恩師ミルチェア・ルチェスクの誘いに乗り、1992年にレアル・マドリードから加入。低調なチームの煽りを受け自らも低迷し1992-93シーズンのセリエB降格を招いてしまうが。セリエBで活躍し1シーズンでの昇格に貢献し、バルセロナへある種禁断の移籍。

 

 ルカ・トーニ

  2001年に加入し2シーズンで15ゴール。イタリア屈指の点取り屋はまだ覚醒していなかったのかもしれない。

 

 イグリ・ターレ

  トーニが活躍できなかった原因。バッジョとのコンビでゴールを量産。

 

 ルイジ・ディ・ビアジョ

  4シーズン在籍したインテルから2003年に加入。

 

 マレク・ハムシーク

  2004年に母国スロバキアの強豪スロヴァン・ブラチスラヴァから将来性を見込まれて加入。2004-05シーズンにチームは降格したが、それによって出場機会が増加。その活躍を見込まれ2007年にナポリに引き抜かれる。まだ側頭部は刈り上げていない時代。

 

 アレッシオ・タッキナルディ

  ビジャレアルへのレンタルからユヴェントスに帰還した2007年に契約を解除して加入。自身現役最後のチームとなった。

 

 直川公俊

  2008年1月に加入した日本人。大学時代から海外にサッカー留学しており、学生時代の2003年に練習生としてバッジョ、ペップ、トーニと練習を共にしたことがあった。

 

 ジョナタン・ゼビナ

  6シーズン在籍したユヴェントスから2010年に加入。しかし2010-11シーズンをもってチームはセリエBに降格したため1シーズンで退団した。

 

 アレッサンドロ・ディアマンディ

  2010年に加入したファンタジスタ。チーム2位の6ゴールを記録するがチームは降格。ボローニャに引き抜かれた。

 

 アルフレド・ドンナルンマ、エルネスト・トレグロッサ

  2018-19シーズン、ドンナルンマは25ゴール7アシスト、トレグロッサは12ゴール11アシストを決めセリエA昇格に貢献した。

 

 アンドレア・チスターナ

  ユース出身者。レンタル移籍の経験を経て2018-19シーズンよりトップに定着。最終ラインのレギュラーに定着しセリエA昇格に貢献した。

 

 サンドロ・トナーリ

  ユース出身者。2018年以降スタメンとして起用されるようになり、ネクストピルロと謳われるようになった。しかし、トナーリ本人の憧れはピルロではなくジェンナーロ・ガットゥーゾであった。2018-19シーズンのセリエA昇格に貢献するが1シーズンで降格。トナーリ自身にはピルロが在籍したミランからレンタルでのオファーがあったので加入した。しかしあくまで憧れはガットゥーゾなのでガットゥーゾに電話で挨拶して背番号8を背負う。

アタランタBC

正式名称:アタランタ・ベルガマスカ・カルチョ(Atalanta Bergamasca Calcio)

本拠地:ロンバルディア州ベルガモ

愛称:ネラッズーリ(Nerazzurri)、La dea(女神様)

カラー:黒、青

創設年:1907年

ホームスタジアム:ゲヴィス・スタジアム

ライバル:ブレシア・カルチョ

 

・1907年、5人の男達によるレストランでの会合がきっかけとなって創設された。

・ロベルト・ドナドーニ、ドメニコ・モルフェオら名選手を輩出。

・マルチェロ・リッピ、チェーザレ・プランデッリ、フランチェスコ・グイドリンら名監督も輩出。

・1962-63シーズンに唯一のタイトルとなるコッパ・イタリアを獲得。

・同じロンバルディア州に本拠地を置くブレシア・カルチョがライバルでありその試合はロンバルディア・ダービーと言われる。

 

創設からしばらくはセリエAとセリエBを行き来する所謂エレベータークラブであった。2セリエB時代の2005-06シーズンにステファノ・コラントゥオーノがセリエA監督に就任。セリエA昇格に導いた。翌2006-07シーズンでは8位の健闘で残留を決め、パレルモに引き抜かれた。

 

2007-08シーズンからはルイジ・デルネーリが監督を務めた。2008-09シーズン終了後にサンプドリアに引き抜かれた。

 

2009-10シーズンは開幕から苦戦。デルネーリの後任を解任しアントニオ・コンテを招聘したがチームを立て直せず辞任。コンテの後任もチームを立て直せず3シーズンでセリエBに降格した。

 

2010-11シーズン、コラントゥオーノを再招聘。結果2005-06シーズンのように1シーズンでのセリエA復帰を決めた。

 

2011-12シーズン、八百長疑惑で「勝ち点6剥奪」「クリスティアーノ・ドニに3年半出場停止」のペナルティを喰らう。ドニは当時38歳だったので実質現役引退処分であった。しかし難なく残留。

 

2012-13シーズン、八百長疑惑をぶり返され「勝ち点2剥奪」のペナルティを喰らう。ユース出身のジャコモ・ボナヴェントゥーラの活躍で残留。2013-14シーズンも残留した。

 

2014-15シーズン、クラブの顔になっていたボナヴェントゥーラが名門ミランに移籍。苦戦のシーズンとなり、2015年3月にコラントゥオーノを解任。後任はエドアルド・レヤ。

 

15-16シーズン、危なげなく残留。しかしレヤは1シーズンで辞任。

 

16-17シーズン、ジャン・ピエロ・ガスペリーニが監督に就任。そして伝説は始まる。

イタリアらしくはない3バック、中盤と攻撃陣が柔軟に変わる戦術を用いこれがバズる。そしてロベルト・ガリアルディーニ、マッティア・カルダラ、アンドレア・コンティといったユース出身者が活躍。望外の4位フィニッシュを決め20数年ぶりにEL権を獲得。

 

17-18シーズン、ELはGSを1位で突破もベスト32でボルシア・ドルトムントに敗北。リーグ戦は7位フィニッシュ。コッパは準決勝敗退。

 

18-19シーズン、コッパは準優勝となるが、リーグ戦は3位でとうとうCL権を獲得。

 

19-20シーズン、初のCLは開幕3連敗でGS敗退危機に陥るがその後復調し逆転2位でGS突破。ベスト16でバレンシアを2試合合計8-4でボコボコにして突破。準々決勝でパリ・サンジェルマン相手に終盤まで1-0でリードしていたがその終盤で2点返され敗退。リーグ戦は前シーズンと同じ3位。コッパはベスト16止まり。

 

20-21シーズン、18-19シーズンと同様、コッパ準優勝、リーグ戦は3位。特筆事項としてキャプテンにして10番のアレハンドロ・ゴメスがガスペリーニと対立し、フロント陣がガスペリーニに味方しゴメスはセビージャに追放された。

 

21-22シーズン、今までなんだかんだ主力流出は抑えられていた方ではあったがとうとうピエルルイジ・ゴッリーニとクリスティアン・ロメロが両方ともトッテナム・ホットスパーに引き抜かれる。冬にはロビン・ゴセンスがインテルへレンタル。そのせいもあってか直近3シーズンのような好調さが薄まりリーグ戦は8位で欧州行きを逃す。コッパは準々決勝で敗退。

 

22-23シーズン

 今回はレモ・フロイラーが流出。このシーズンにセリエA復帰したモンツァのユース出身のマッテオ・ペッシーナが古巣に戻りたがり移籍。いまいちのアレクセイ・ミランチュクがトリノに移籍。冬にはルスラン・マリノフスキーがマルセイユが移籍した。

 毎シーズンレンタルされていたカレブ・オコリとナディール・ゾルテア、マッテオ・ルッジェーリがレンタルされずに残留(ゾルテアは冬にレンタル)。アデモラ・ルックマン、エデルソン、ラスムス・ホイルンド、ブランドン・ソッピィを獲得。

 リーグ戦5位でEL権獲得。コッパは準々決勝敗退。

 

監督

 ネド・ソネッティ

  昇格請負人と言われ数々のセリエBクラブをセリエAに昇格させた。アタランタもその一つ。84-85シーズンのセリエB昇格、85-86シーズンのセリエA昇格は彼の功績である。

 

 エミリアーノ・モンドニコ

  1987年から3年間指揮。

  

 マルチェロ・リッピ

  1992-93シーズンに指揮。直近2シーズンは2桁フィニッシュであったのが1桁フィニッシュとなる。1シーズン指揮しその後ナポリに移籍。

 

 フランチェスコ・グイドリン

  アタランタ指揮後に就任したヴィチェンツァでコッパ・イタリア優勝に導く

 

 チェーザレ・プランデッリ

  アタランタで現役引退しそのままユースのコーチを務めた。グイドリンの後任が決定するまで暫定でトップチームを指揮するなどした。

 

 アンドレア・マンドルリーニ

  現役時代所属したことがあり、所謂OB監督。

 

 デリオ・ロッシ

  04-05シーズンの最下位に低迷している時期に途中就任。降格回避は出来なかったがチームに明るい雰囲気を齎したおかげか、シーズン終了後にラツィオに声をかけられる。

 

 ステファノ・コラントゥオーノ

  前述の通り降格した05-06シーズンから指揮。1シーズンでの昇格を決め、06-07シーズンのセリエA残留にも貢献。

 

 ルイジ・デルネーリ

  07-08シーズンから2シーズン指揮しセリエA残留に貢献。

 

 アンジェロ・グレグッチ

  09-10シーズンから指揮。しかしデルネーリからの格落ち感も否めず、懐疑的な声は絶えず、その不安は的中してしまい成績不振ですぐ解任。

 

 アントニオ・コンテ

  バーリをセリエA昇格に導いた青年監督(当時)。しかし既に確固とした己の監督像は形成されておりそれもあってキャプテンのドニら選手と衝突。しばらくして自身から辞任を申し入れた。

 

 ステファノ・コラントゥオーノ

  セリエB所属となった10-11シーズンより再就任。05-06シーズンと同様の強さを見せ、1位で1シーズンでセリエA昇格を決める。その後3シーズン残留させるも4シーズン目の14-15シーズンは低迷し、解任された。

 

 エドアルド・レヤ

  15-16シーズンから1シーズンのみ指揮。

 

 ジャン・ピエロ・ガスペリーニ

  16-17シーズンから指揮。攻撃的な戦術を用いて3シーズンCL権を獲得したり、2シーズンコッパファイナリストに導く等し、アタランタをセリエAの強豪の1クラブに押し上げる

 

選手

 ロベルト・ドナドーニ

  ミランで一時代を築いた選手の一人。アタランタのユース出身者である。

 

 フィリッポ・インザーギ

  1996-97シーズンに加入し、リーグ得点王を獲得。その功績をもってイタリア最強のユヴェントスに加入した。

 

 二コラ・ヴェントラ

  2005-06シーズンに15ゴールを決めてセリエA昇格に貢献。

 

 セルジオ・フロッカリ

  2007-08シーズンにチーム2位の8ゴール、2008-09シーズンに12ゴールでチーム得点王になり、セリエA残留に貢献。

 

 クリスティアーノ・ドニ

  1998-99シーズンに加入。3シーズンで2桁ゴールを記録し飛躍を遂げる。2003年にサンプドリアに移籍するが、セビージャを経て2006年に復帰しキャプテンとしてチームを引っ張るが選手生活晩年はコンテとの対立の急先鋒に立ってしまうなど問題を起こす。挙句八百長に関わったとして2011年に3年半出場停止処分を喰らい、当時38歳であったため実質現役引退となった。

 

 ジャンパオロ・ベッリーニ

  1997年にアタランタのユースに加入し、ドニ引退後はキャプテンを務めたアタランタ一筋のバンディエラ。

 

 ジャコモ・ボナヴェントゥーラ

  ユース出身者。2シーズンレンタルを経験するが復帰した2010-11シーズンに活躍し1シーズンでのセリエA昇格に大いに貢献。昇格した2011-12シーズンからは背番号10を背負った。2014-15シーズンにミランへ移籍

 

 アレハンドロ・ゴメス

  別名「パプ・ゴメス」。2014-15シーズンに加入。ボナヴェントゥーラの後釜と見込まれ背番号10番を与えられた。17-18シーズンよりキャプテンを務め、19-20シーズンには個人賞を受賞するなどしていたが、20-21シーズン途中からガスペリーニとの対立が表面化し、冬にセビージャへと追放されてしまった。

 

 マッテオ・ペッシーナ

  pornhub。

  EURO2020で負傷により出場辞退となったステファノ・センシの代理で招集。ウェールズ戦でゴールを決める。

  22-23シーズンにユース時代を過ごしたモンツァがセリエAに昇格したことで、移籍を志望しレンタル移籍した。

マンチェスター・ユナイテッドの7番

 ジョージ・ベスト、ブライアン・ロブソン、エリック・カントナ、デビッド・ベッカム、クリスティアーノ・ロナウドといったスーパースターが背負った伝統の背番号。しかしクリスティアーノ・ロナウドが退団して以降呪われた。

 

マイケル・オーウェン

 リヴァプールのアカデミー出身でありながらまさかの加入をしたワンダーボーイ。09-10シーズンに加入したが怪我に泣かされまともに活躍できず3年で退団。このオーウェン曰く「ちょっとした浮気」のおかげでリヴァプールファンには嫌われている

 

アントニオ・バレンシア

 2009年夏に加入したエクアドル代表のアタッカー。加入から25番を着用していたが12-13シーズンに7番に変更。しかしスランプに陥り1シーズン限りで元に戻した。

 

アンヘル・ディ・マリア

 2014年夏、ハメス、クロースといったレアルの大型補強の煽りを受けて7番を引っ提げて加入。10アシストも記録したがゴールはたったの3。シーズンが進むにつれて当時の監督ファン・ハールとの関係も悪化していき、ディ・マリアの奥さんもマンチェスターの寒さに不安を漏らした結果1シーズンでパリ・サンジェルマンに移籍。

 

メンフィス・デパイ

 2015年夏に加入したオランダの若造。自ら7番をおねだりした。当時の監督ファン・ハールはオランダ人に贔屓して甘いので易々と与えた。そのファン・ハールは15-16シーズン限りで解任。後任のジョゼ・モウリーニョには全く相手にされず2017年夏にオリンピック・リヨンに去っていった。

 

アレクシス・サンチェス

 行く先々で7番を背負ってきた生粋の7番。ピアノ演奏と共に加入。しかしユナイテッドで決めたゴールはたったの5。そもそもシティに取られたくなかったという理由で獲得された。生粋の7番でさえこの体たらくなので呪いの根強さが強いことが分かる。結局ユナイテッドにはピアノを弾きに来ただけであった。

 

エディンソン・カバーニ

 2020年夏の移籍市場最終日に加入した。『おじさん』『パニックバイ』『今頃w』とヘンリク・ラーションの前例があるにもかかわらず加入当初はボロクソ言われていたがロナウド以降の7番とは違いコンスタントに活躍。とうとう呪いは払拭された。21-22シーズンはクリロナが復帰したので代表でも着用するお気に入りの番号21に変更。

 

クリスティアーノ・ロナウド

 呪いは浄化され本来の持ち主に戻された。