創立
1878年、マンチェスターの鉄道員が中心となって、ニュートン・ヒース・ランカシャー&ヨークシャー・レイルウェイズFCとして創立。創立後数年は殆ど公式試合はせず、チーム内のメンバー同士で試合を行う以外は専らほかの鉄道会社のチームと非公式に対戦していた。1882年から1883年の間に26試合の新全試合をした記録が残っている。1884年、地元のカップ戦であるランカシャーカップに出場するも、1回戦で昨年のFAカップ覇者のブラックバーン・オリンピックのリザーブチームに2-7で敗戦した。1885年にプロサッカークラブへと転向し、1892年にニュートン・ヒースFCと名称を変更した。当時のオーナーの方針で観客から入場料を取らなかったことやグラウンド移転費用が嵩んだことなどの事情が影響し、1902年に破産している。地元マンチェスターの醸造業主のジョン・ヘンリー・デイヴィスが500ポンドをクラブに投資してオーナーに就任し、クラブ再建に着手した。1902年にチーム名が変更され、マンチェスター・ユナイテッドとなった。
創生期に2度のリーグ優勝後、1910年代から1950年頃までは低迷。第二次世界大戦時には空襲でオールド・トラッフォードが被災し、戦後も資金不足から修復出来ず、マンチェスター・シティの当時の本拠地メイン・ロードを拝借せざるを得なかった。
マット・バスビー時代の二度の栄光
1945年、マット・バスビーが監督に就任すると、クラブ最初の黄金期が訪れる。バスビーは、チーム先行や移籍市場、トレーニングセッション等を全て自身の管理下に置くというイングランドサッカーのマネージャー像の先駆けとなり、1946-47シーズンから3シーズン連続でリーグ2位と躍進し、1947-48シーズンのFAカップでは優勝を果たし、チームに36年ぶりのトロフィーをもたらした。そして、1951-52シーズンに41年ぶりとなる悲願のリーグ優勝を果たした。
バスビーは、その後のクラブの重要なアイデンティティとなる下部組織の整備にも取り掛かった。バスビーの就任は、終戦直後の財政難の時期であったため、彼は下部組織選手の育成に重きを置くことにより、長期的視野での戦力強化を行ったのである。バスビーが下部組織から見出したダンカン・エドワーズ、ボビー・チャールトンといった選手たちは「バスビー・ベイブス(バスビーの子供たち)」と呼ばれ、1956年からは国内リーグ2連覇を達成する快進撃を繰り広げた。
クラブが見事に復活を遂げたように見えた矢先の1958年2月6日、ミュンヘンの悲劇で主将のダンカン・エドワーズを含む選手8名とスタッフ3名が死亡。バスビーも重傷を負った。一時はフットボールへの情熱を失ったバスビーだったが、夫人らの説得もあり翌シーズンから現場に復帰。同じく事故のショックから立ち直ったボビー・チャールトンをチームの柱を据え、クラブの再建に着手した。
1960年代にはいると、2度目の黄金期が訪れる。デニス・ロー、ジョージ・ベストといった才能が次々に頭角を現し、1963年にFAカップ優勝、1965年と1967年には国内リーグも制した。そして1968年、チャンピオンズカップ決勝でSLべねふぃかをチャールトンの2ゴールに、ベスト、キッドのゴールで4-1と破って優勝を果たし、ミュンヘンの悲劇で志半ばに潰えた悲願を達成した。同年、チャンピオンズカップ優勝の功績を称えられ、バスビーにナイトの称号が与えられた。
しかし、1970年代に入ると世代交代に失敗。1974年には2部落ち(翌年1部に復帰)の憂き目にも遭い、再び低迷期が始まった。1980年、前年にブラヴォー賞を受賞したギャリー・バートルズを大金で獲得したが、失敗に終わった。
ク
アレックス・ファーガソン時代の栄光
低迷期を終わらせたのは、スコットランド人監督アレックス・ファーガソンである。1986年に就任した彼は若手の育成と
暴れ馬と呼ばれた選手たちの融合に見事成功し、常勝軍団の系譜をスタートさせた。
プレミアリーグの優勝回数13回は最多であり、旧フットボールリーグ・ファーストディビション時代を通じても、優勝20回は歴代1位である。FAカップで11回、カーリングカップで2回、UEFAチャンピオンズリーグで3回、UEFAカップウィナーズカップで1回のタイトルを勝ち獲っている。1990-91シーズン、UEFAカップウィナーズカップ決勝では、マーク・ヒューズの2得点でFCバルセロナを破り、1967-68シーズン以来の欧州カップ戦優勝を果たした。
1992-93シーズンの途中にエリック・カントナをリーズ・ユナイテッドFCから獲得した。このシーズンは1966-67シーズン以来となる1部リーグ優勝を果たした。翌シーズンはリーグ連覇だけでなく、FAカップも獲得した。1998-99シーズンは、クラブにとって特筆すべきシーズンである。ファーガソン監督の下、ユース時代から育て上げられたデビッド・ベッカム、ガリー・ネヴィルとフィル・ネヴィル、ポール・スコールズ、ニッキー・バット及びライアン・ギグスら、所謂「ファーギーズ・フレッジリングス(ファーガソンの雛鳥たち)」と呼ばれた選手たちを中心に、UEFAチャンピオンズリーグ決勝でバイエルン・ミュンヘンを劇的な逆転で下し、ヨーロッパ覇者となった(カンプ・ノウの奇跡)。このシーズンは、リーグ優勝とFAカップ優勝を合わせたトレブルを達成。ヨーロッパサッカーシーンに「赤い悪魔」の名を轟かせた。
1995年にイプスウィッチ・タウン戦でリーグレコードの9-0の大差で勝利。1999-00シーズン、2000-01シーズンとリーグ優勝し、クラブ史上初のリーグ3連覇を達成した。
ユナイテッドはファーガソン監督の下、高い実力と人気を兼ね備え、1990年代はアーセナルと共に2強と呼ばれた。2002-03シーズン以降はアーセナル(2003-04シーズンに無配優勝)、チェルシー(2004-05、2004-06シーズンに2連覇)からの王座奪還を目標とした。2005年10月29日、ミドルズブラ戦でクリスティアーノ・ロナウドが決めたゴールが、クラブのプレミアリーグ通算1000ゴール目(リーグ最速)となった。
2006-07シーズンにこれまでリーグ2連覇をしていたチェルシーとの激闘を制し、2002-03シーズン以来となるリーグ優勝を達成。2007-08シーズンにUEFAチャンピオンズリーグ決勝でチェルシーと対戦し、延長戦の末PK戦を制し、9年ぶり3回目のUEFAチャンピオンズリーグ優勝を成し遂げた。2007-08シーズン、2008-09シーズン共にリーグ優勝し、2度目となるリーグ3連覇を達成した。
コンスタントにタイトルを獲得し続けたファーガソンは、再びUEFAチャンピオンズリーグ制覇を目標に、自ら獲得してきた香川真司やロビン・ファン・ペルシを巧みに用いたが、最後の式となってしまった2012-13シーズン、クラブ20回目となるリーグ優勝を置き土産に、27年務めた監督職を勇退した。
ファーガソン退任による迷走期への突入
2013年5月、ユナイテッドはファーガソンの公認に、エヴァートンを11年に渡り率いたファーガソンの同胞、デイヴィッド・モイーズが6年契約で就任すると発表した。夏の移籍市場ではガレス・ベイル、チアゴ・アルカンタラ、セスク・ファブレガスの獲得を目指したがどれも実現できず、夏の移籍市場最終日にエヴァートン時代の教え子であるマルアン・フェライニを獲得し、冬の移籍市場ではチェルシーからフアン・マタを獲得した。しかしスウォンジー・シティに史上初めてホームで敗戦を喫し、またプレミアリーグ以前も含めて史上初となるマージーサイドの2強(エヴァートンとリヴァプール)に揃って連敗するなど成績が低迷し、1994-95シーズン以来となるUEFAチャンピオンズリーグ出場権を逃した。結果として、モイーズは監督就任から1根持たず、2014年4月22日に解任が発表され、同シーズンの残り試合については、当シーズンからコーチ兼任のライアン・ギグスが暫定監督に就任すると発表された。リーグ戦は7位で終了。25年ぶりにヨーロッパのカップ戦を逃すこととなった。
2014年5月18日、当時オランダ代表を率いていたルイ・ファン・ハールが、2014ワールドカップ後に3年契約で新監督に就任することが決定した。暫定監督を務めたギグスは現役引退し、アシスタントコーチへの就任が決定。クラブは夏の移籍市場で、約260億円もの大金を投じ、2014ワールドカップで準優勝に輝いたアルゼンチン代表のマルコス・ロホ、アンヘル・ディ・マリア、ファン・ハールのオランダ代表監督時代の教え子ダレイ・ブリントの他、アスレティック・ビルバオからアンデル・エレーラ、サウサンプトンからルーク・ショー、移籍期限ギリギリにASモナコからラダメル・ファルカオを獲得した。即戦力として期待されていたファルカオとディ・マリアが不調に陥ったものの、ルーニーやデ・ヘア、マタといった既存戦力が機能し、リーグ戦は4位で終え、無冠ながら来季のUEFAチャンピオンズリーグプレーオフの出場権を獲得した。
2015-16シーズンはダレイ・ブリントに続きPSVアイントホーフェンからファン・ハールのオランダ委代表監督時代の教え子のメンフィス・デパイを獲得し栄光の7番を与えた。ASモナコからアントニー・マルシャル、バイエルン・ミュンヘンからバスティアン・シュバインシュタイガー、サウサンプトンからモルガン・シュネデルラン、サンプドリアからセルヒオ・ロメロ、トリノからマッテオ・ダルミアンを獲得するなど、前年に続いての大型補強を行った。しかしCLにおいては、ヴォルフスブルク、PSV、CSKAモスクワとのグループリーグで3位に終わり、グループステージ敗退となった他、その後進んだヨーロッパリーグでも宿敵リヴァプールに2戦合計1-3で敗れ、ベスト16で姿を消した。2016年5月21日のFAカップ決勝でクリスタル・パレスを延長戦で破って12大会ぶり12度目のFAカップ優勝を飾ったものの、リーグ戦は5位に終わり、来季のUEFAチャンピオンズリーグ出場権を逃したことから、ファン・ハールは契約を1年残して解任となった。
モウリーニョ体制
2016-17シーズンよりジョゼ・モウリーニョが新監督に就任、これまで2度チェルシーの監督を務め、3度のプレミアリーグ制覇を成し遂げた名将に名門の復活が期待された。夏の移籍市場では愛弟子のズラタン・イブラヒモビッチ、ヘンリク・ムヒタリアン、エリック・バイリーやユヴェントスから下部組織出身のポール・ポグバを当時のサッカー史上最高額で獲得するなどの相変わらずの大型補強を実施し、リーグカップ決勝でサウサンプトンを下してモウリーニョ体制で初のタイトルを獲得した。リーグでは失点数がリーグ2位の29と堅守を披露し、クラブレコードとなるリーグ戦25試合連続無敗を記録したが、そのうち12試合で引き分けるなど勝ちきれない試合が続いて勝ち点が伸びず、最終的にヨーロッパのカップ戦出場県外の6位に終わった。しかしUEFAヨーロッパリーグでは決勝まで勝ち進み、決勝でアヤックスに2-0で勝利して同大会初優勝を遂げ、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。UEFAヨーロッパリーグの優勝によって、ユナイテッドはユヴェントス、アヤックス、バイエルン、チェルシーに次いでUEFA主催の主要3大会を制覇した5番目のクラブとなった。
モウリーニョ体制2年目の2017-18シーズンは、センターフォワードにエヴァートンからロメル・ルカク、ボランチにチェルシーからネマニャ・マティッチ、センターバックにベンフィカからヴィクトル・リンデロフと、昨シーズンに問題のあったポジションに即戦力を獲得する補強を展開。これが功を奏し、前半戦終了時点で14勝3分2敗の勝ち点45と歴代優勝クラブに匹敵する好成績をたたき出すが、それを上回るペースで勝ち点を積んだ同郷の宿敵マンチェスター・シティの後塵を拝し2位で折り返す。冬の移籍市場でムヒタリアンとのトレードでアレクシス・サンチェスを獲得し追撃態勢を整えるが、シティの独走は止まらず、4月7日の直接対決に3-2で勝利して目の前での優勝決定を阻止するのが精いっぱいで、例年なら優勝もあり得た勝ち点81で、シティに歴代最多勝ち点での優勝を許す2位に終わった。UEFAチャンピオンズリーグもベスト16でセビージャ相手に2戦合計1-2で不覚を取り、満足のいかないシーズンとなった。党シーズンをもって、13シーズンにわたってユナイテッドで活躍したマイケル・キャリックが現役引退し、翌シーズンからコーチに就任した。
モウリーニョ体制3年目の2018-19シーズンは、ブリントやアカデミー出身のサム・ジョンストンらを放出した一方で、サイドバックにポルトからディオゴ・ダロト、MFにシャフタール・ドネツクからフレッジ、控えGKにリー・グラントを獲得。ところがモウリーニョ3年目のジンクスが発動してしまい、リーグ開始17試合の時点で昨季の28失点を上回り、特にリヴァプール、マンチェスター・シティ、チェルシー、アーセナル、トッテナム・ホットスパーといった欧州カップ圏を争うBIG6間では3敗2分6得点13失点と後塵を拝することとなり、1-3で敗北した12月16日のリヴァプール戦をもってモウリーニョは解任となった。
ファーガソンの教え子の帰還
2018年12月19日、OBのオーレ・グンナー・スールシャールが暫定監督に就任した。スールシャールは、就任後のサポーターからの好感や、6連勝スタートを含め就任から12試合連続リーグ戦無配などの好成績もあって、2019年3月28日に3年契約で正式に監督に就任した。ところが、奇跡といわれたUEFAチャンピオンズリーグのパリ・サンジェルマン戦後の公式戦でわずか2勝しか出来ず、最終節を待たずして来季のUEFAチャンピオンズリーグ出場権を逃すことになった。この結果に全世界のファンが黙っているはずもなく、Twitter上に「#UnfollowManUnited」というハッシュタグが登場した。オーナーであるグレイザー一族やCEOのエド・ウッドワードに対する抗議の意であるが、Twitter公式アカウントのフォロワーが減るのと比例してニューヨーク証券取引所においても株価が一時下落した。
スールシャールにとって初めてのフルシーズンとなる2019-20シーズン、夏の移籍市場では、クリスタル・パレスから昨季ブレイクしたアーロン・ワン=ビサカ、レスター・シティからDF史上最高額の移籍金でハリー・マグワイアを獲得し、長年懸案だった守備陣の強化に成功したものの、MFはPSGに移籍したアンデル・エレーラ、FWはインテルに移籍したロメル・ルカクの後釜の獲得に失敗し、費やした移籍金の高さも相まってCEOウッドワードは再び非難を浴びることとなった。開幕戦こそチェルシーに4-0で圧勝したものの、そこからクリスタル・パレス、サウサンプトン、ウェストハムといった格下から勝ち点を取りこぼし続け、前半戦は8位で折り返した。冬の移籍市場でスポルティングCPからブルーノ・フェルナンデスを獲得すると、彼を起用した第25節から13戦負けなしと猛烈な追い上げを見せ、第37節にレスター・シティとチェエルシーを捉えてCL出場圏内の3位に浮上した。最終節は5位レスターとの直接対決となり、負ければ5位転落の可能性もあったこの試合を2-0で制し、2年ぶりにCL出場権を獲得した。
2020-21シーズン、スールシャール体制も3シーズン目に突入。夏の移籍市場は、終盤まで新戦力がドニー・ファン・デ・ベークのみと補強が進まずファンも苛立ちを募らせたものの、最終日にエディンソン・カバーニ、アレックス・テレスの獲得が決まって補強を終えた。年が明けて2021年1月12日にはファーガソン最終年以来となる、8年ぶりの年明け首位に立った。ところが首位陥落後、欧州スーパーリーグ騒動において40億ユーロの資金支援を表明したJPモルガン・チェースにウッドワードが勤務していた過去が関係していたためか、カントナらを筆頭にOBの批判を浴びた結果、4月21日をもってウッドワードのCEOの2021年限りでの退任、さらにファンと政府関係者からも批判を浴びたとしてスーパーリーグ撤退が発表された。CLではパリ・サンジェルマン、ライプツィヒ、イスタンブールBBSKと同組となり、3位でEL決勝トーナメントに回ることになった。ELでは決勝まで勝ち進んだが、相手のビジャレアルに敗れ2016-17シーズン以来の優勝とはならなかった。
2021-22シーズンはジェイドン・サンチョとラファエル・ヴァランを獲得し、さらに8月27日にはクリスティアーノ・ロナウドが12シーズンぶりに復帰するなど、積極的な動きを見せた。しかし第9節と第11節で宿敵のリヴァプールとマンチェスター・シティに0-5、0-2で完敗し、第12節の格下ワトフォード戦も4-1で敗れたことで11月21日、スールシャール監督は解任され、マイケル・キャリックがシーズン終了まで暫定監督を務めることが発表された。11月29日、ラルフ・ランゲニックの暫定監督の就任と2022-23シーズンから2シーズンの間、チームのコンサルタントとして就任することも発表された。12月3日、選手時代から含めて15年クラブに在籍したキャリックがクラブを対談することを発表した。その後もリヴァプールに4-0、マンチェスター・シティに4-1で敗北を喫するなどして低迷し、第36節のブライトン戦を4-0で落とすと、残り2節を残してCL出場権圏外の順位でシーズンを終えることが確定し、クラブの勝ち点、失点共にプレミアリーグ創設以来の最低記録を更新した。また、アレックス・ファーガソンが勇退して以来、2022年8月現在で、10億ポンド(日本円で1624億)を費やしている。
テン・ハーグ、アモリム体制、新オーナーの就任
2022-23シーズンよりアヤックスの監督であったエリック・テン・ハーグが監督に就任した。また、ラングニックとのコンサルタント契約は白紙となった。契約満了により、フアン・マタ、エディンソン・カバーニ、ネマニャ・マティッチ、ジェシー・リンガード、ポール・ポグバが退団。夏の移籍市場でタイレル・マラシア、クリスティアン・エリクセン、カゼミーロ、テン・ハーグのアヤックス時代の教え子リサンドロ・マルティネス、アントニーを獲得した。リーグ戦は開幕2連敗を喫するが第3節で宿敵リヴァプールに勝利し、第6節で開幕5連勝中のアーセナルにシーズン初黒星を与えた。11月にロナウドが記者とのインタビューでクラブが2009年の退団以来悪い意味で何もかわっていないことやテン・ハーグへの不満を露わにした後に退団した。冬の移籍市場では暴徒・べぐホルスト、マルセル・ザビッツァー、ジャック・バトランドを獲得。EFLカップの決勝でニューカッスル・ユナイテッドを2-0で破り、6シーズンぶりのタイトルを獲得した。ELではグループステージでレアル・ソシエダと同ポイントながら得失点差により2位でプレーオフに回ることになった。プレーオフでバルセロナ、ベスト16でレアル・べティスに勝利したが、ベスト8でEL最多優勝を誇るセビージャに敗れた。リーグは3位でフィニッシュし、2シーズンぶりにCL出場権を獲得した。FAカップは決勝まで駒を進めFAカップ決勝では初のマンチェスター・ダービーが実現したが、イルカイ・ギュンドアンに2ゴールを許し、1-2で敗れた。
2023-24シーズン、ジョーンズとデ・ヘアが契約満了で退団しこれでファーガソンの教え子全員がクラブから去ったと思われたがレスター・シティよりジョニー・エヴァンスが復帰したほか、チェルシーからメイソン・マウント、アタランタからラスムス・ホイルンド、インテルからテン・ハーグのアヤックス時代の教え子アンドレ・オナナを獲得した。今シーズンは不調が続きチームの最低順位でシーズンを終えることになったが、FAカップでは2シーズン連続でマンチェスター・ダービーが実現し2-1で勝利しFAカップ優勝を果たした。
2024-25シーズン、アントニー・マルシャルとラファエル・ヴァランが契約満了で退団。アーロン・ワン=ビサカがクリスタル・パレス、スコット・マクトミネイがナポリ、メイソン・グリーンウッドがオリンピック・マルセイユ、アルバロ・カレラスがベンフィカに移籍したほか、ドニー・ファン・デ・ベーク、ハンニバル・メイブリ、ファクンド・ペリストリを放出した。また、サンチョがチェルシーへレンタル移籍した。補強面ではDF人の再構築を図るためリールからレニー・ヨロ、バイエルン・ミュンヘンからテン・ハーグのアヤックス時代の教え子マタイス・デ・リフトとヌサイル・マズラウィを獲得。長年問題視されていたアンカーポジションにパリ・サンジェルマンからマヌエル・ウガルテW獲得し、マルシャルの抜けた攻撃陣にはボローニャでブレイクしたジョシュア・ザークツィーを獲得した。2024年10月28日、成績不振が続きテン・ハーグを解任し、本シーズンからコーチを務めていたクラブOBのルート・ファン・ニステルローイが暫定監督に就任した。11月1日、プリメイラ・リーガのスポルティングCPの監督を務めていたルベン・アモリムが監督に就任することが発表された。アモリムは来シーズンからの就任を希望していたが、フロント陣は「来シーズンからならオファーしない」といった半ば脅しの形でアモリムを引き抜いた。アモリムは11月11日よりチームに合流するため、11月10日のレスター・シティ戦まではニステルローイが指揮を執った。アモリム就任後、年内最後のニューカッスル戦を0-2で落とし、1979年以来のホーム3連敗となった。冬の移籍市場では、アーセナルからアイデン・ヘブン、USレッチェからパトリック・ドルグを獲得し、マラシアをPSVアイントホーフェンへ、下部組織出身の10番ラッシュフォードをアストン・ヴィラへ、アントニーをレアル・べティスへいずれもレンタルで放出した。年明けからも調子は上がらず、ウルヴァーハンプトンやウェストハムなどの同じ下位チームにもホームで敗れた。最終節では上位のアストン・ヴィラに勝利するも、15位でリーグを終え、2年連続でプレミア最低順位を更新した。プレミア創設以前を含めても、1989-90シーズン以来の二桁順位、降格した1973-74シーズン以来の低い順位となった。シーズンを通して1度も連勝がなく、プレミアリーグでの連続未勝利(8試合)、最小勝利集(11勝)、最多敗戦数(18敗)、最少得点(44得点)など、あらゆるワースト記録を樹立し、強豪のイメージが崩れ去り古豪と呼ぶに相応しいシーズンとなった。昨シーズンのFAカップ優勝により出場権を得たUEFAヨーロッパリーグでは順調に駒を進め、準決勝のオリンピック・リヨン戦では延長で2点先取され絶望的な状況となりながら、フェルナンデス、メイヌー、マグワイアの3得点で劇的逆転により突破を果たす。決勝では同じプレミアリーグで同じく二桁順位に落ちぶれたトッテナム・ホットスパーと対峙し0-1で敗れより惨憺たるシーズンを印象付けた。また完全・レンタル関係なく今シーズンに退団したワン=ビサカ、マクトミネイ、グリーンウッド、サンチョ、カレラス、ラッシュフォード、アントニーが軒並み移籍先で活躍し、マクトミネイに至ってはセリエAのシーズンMVPに輝き、カレラスはベンフィカでの活躍から名門レアル・マドリードへの移籍が決定するなど不可思議な現象もみられた。
2025-26シーズン、6月1日にウルヴァーハンプトン・ワンダラーズからマテウス・クーニャの獲得が決定。ラッシュフォードから背番号10を剥奪しクーニャが背負うことになった。7月21日にブレントフォードからブライアン・エンベウモの獲得が決定。クーニャとエンベウモ共に、幼少期に常勝軍団であったマンチェスター・ユナイテッドをメディアを通して目の当たりにしており、エンベウモに至っては「ユナイテッド以外には移籍しない」としていると報道されていたため、未だ名門としての影響力を感じさせられる。
現在はRBライプツィヒに所属するCFベンヤミン・シェシュコの獲得に注力している。ニューカッスル・ユナイテッドも獲得競争に参戦しているがシェシュコ側はマンチェスターの方のユナイテッド加入を希望している。ニューカッスルはイサクの退団が濃厚とされておりニューカッスルならば99%スタメンが保証されている中、ホイルンド、ザークツィーがいるマンチェスターを希望するのもまた名門のブランド力がなせる魅力なのかもしれない。また、仮にシェシュコが加入した場合はホイルンドを放出させる方向で動いておりこれはザークツィーが現経営陣INEOSが主導で獲得した選手に対し、ホイルンドは旧経営陣が獲得した選手のためかと思われる。
その他の獲得候補は、アモリムが指導したスポルティングのモルテン・ヒュルマンド、ブライトンのカルロス・バレバ、バレンシアのハビ・ゲラ、アストン・ヴィラのエミリアーノ・マルティネス、PSGのジャンルイジ・ドンナルンマの獲得が噂されている。GKに関してはアンドレ・オナナが負傷しており非常に不安定なアルタイ・バユンドゥルを起用せざるを得ないことに加え、12月からのアフリカネイションズカップでもオナナがカメルーンに召集されることが予想されているため補強が急務である。オナナ自体も足元の技術は確かなものがありながらセービングには非常に難がある。