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日本抗加齢医学会認定指導士M.M.のアクティブ・アンチエイジング

薬剤師、日本抗加齢医学会認定指導士、栄養情報担当者(NR)。
専門家としてのアンチエイジング情報と、わたし自身のアクティブな生活
についてご紹介します。

デナリ登頂記 下山編 

 

62613:30  

登山は下山時に事故が多いと言われます。ザイルに4人が繋がり下山開始。足元からやや上を目指した登頂目線と下山の目線が全く違うことに気付きます。景色も全く違います。下山時は足元から下が見えます。

ナイフの刃の上を歩いているように感じられます。両サイドは険しい絶壁です。なんと谷の深いことか?今まであまり見えなかった谷底まで、晴天ほど鮮明に良く見えます。高所恐怖症ではないものの落ちたことを考えると背筋に冷たいものが走ります。

     

                    

      下山開始です。

 『もし、落ちたらピッケルを素早く打ち込み、止める!』・・これを強くイメージしながら歩を進めます。次はデナリパス、右側の急斜面がどこまでも深く落ち込みます。この急な下りは安全ビレイを取り、慎重に下ります。しかし、下山開始から3時間以上(今朝の登頂開始からは12  時間近く)経過し疲労もピークに達しています。その時です。厚手のダウンジャケットにアイゼンが引っ掛かって足が縺れ滑落。イメージ通り素早くピッケルを打ち込み止まります。しかし、その後の動作が出てきません。後続の貫田さんから、早くアイゼンで足場を固め、元の場所に上がるように言われ、ようやく戻ります。23mは落ちていました。初めての経験です。以前、立山の雪渓で受けた滑落防止訓練が生かされた場面でした。

 

それから暫くして、またもやダウンジャケットにアイゼンが引っ掛かり滑落、今度はピッケルを打ち込み、素早く足場も固めて復帰です。そして、疲労困憊の中、ようやく1930C5に帰着です。出発から14 時間30分後のことです。しかし、天候には恵まれた1日でした。

                 

  もうすぐC5です。正面の点、点が C5

26日のわが隊のみのアタックの選択は正しかったようです。また、下山時に事故が多いのは、疲労が大きな要因となることを体験した一日でもありました。ダウンジャケットはアイゼンで穴が開きしかも解れが目立ちます。安全のため次回は使わない方が良さそうです。 C5泊。

 

6月27日:今日はC5(5200m)からC3(3350m)まで下山予定です。午前1045アイゼンを付け徒歩で出発、C 14:15 到着。

     

           スキーを背負い進みます

C4で日本の倉岡隊に合う。ここからは、C4にデポしてあった荷物とスキーをそりに積み、急坂が多いため、そりを引き徒歩での下山です。C 16:45 出発。途中、晴天から吹雪になる。更にホワイトアウト、12m先が見えない。登山者が歩いたトレイスから少し外れただけで3040cmズボッズボッと足がもぐり、中々進めません。スタミナも奪われます。また、引くそりは何回も裏返しになり、それを直し直しでのC3への下山です。苦労の末、2130C3に到着。 C3泊。

 

628日:今日の予定はC3(3350m)から一気にBC2200m)まで下山予定です。

     

     ペアを組む。この後ガスが出て、ホワイトアウト

1400、貫田さんは豪太さんと、飯田さんと私がペアを組み、ガスでトレイスが見えない中、アイゼンを付け徒歩でC3を出発。道標となる小旗を探しながら進みます。そして、ガスが取れ晴れてきたC2からはスキーに履き替え下山開始。しかし、トレイスのあるところは足跡のあるガタガタ道で上手く滑れず、転倒を何度か繰り返します。そうかといって誰も通っていない真っ新なルートはクレパスがどこに潜んでいるかわからないため危険で通れません。

豪太さんがそりを並列で2連にした方が安定すると言って私のザックとともにそりを引いてくれることになりました。さすがは元オリンピックのスキー選手です。馬力も凄いものがあります。

 

身軽になった私は、転倒することなく、飯田さんにピッタリついてC1に向け順調に滑ります。しかし、この日は気温が上がり氷河や雪質が緩みクレパス転落の危険性を考え予定を変更してC1に泊まり、明朝の気温の低い時間帯にBCに出発することにします。 C1泊。

 

629日:C1からBCへ。

早朝515出発。今日もBCへの下り部分は豪太さんに私のそりとザックは引いて貰います。スキーで飯田さんのすぐ後ろを滑ります。しばらく進むとデナリ三山の一つハンター方向の山の斜面で轟音とともに莫大な雪崩です。雪煙が高く舞い上がっています。同行する飯田さんもこんな大規模な雪崩は初めてと言います。その山肌の上部に早朝にもかかわらず既に朝日が当たり気温が上がったことが原因のようです。

 

わが隊の進む谷の氷河道は、太陽はまだ当たらず気温もまだ低い状態です。しかし、突然、前を進む飯田さんのスキーの片足がスッポリ沈み込みます。次の瞬間、ドサッと大きなクレパスが口を開け、自然が牙を剥いた瞬間です。怪獣が大きな口を目いっぱい開けた恐怖の状態と同じです。後ろの私にできることは飯田さんが吸い込まれないよう連結しているそりを必死で抑え込み、力いっぱい後ろに引くことです。飯田さんも転倒しながらも冷静にクレパスと反対方向にスキーを反転させ事なきを得ました。

 

そのクレパスを過ぎたところから一転今度は登り坂です。そこまで豪太さんに引いて貰ったそりとザックを受け取りBCまで最後の引き上げです。BC900到着。タルキートナからの迎えのエアータクシー(飛行機)はすぐ飛んでくるようです。

ようやく、厳しかったデナリ登山の終りです。登頂したという達成感そして山の生活からの解放感で皆の笑顔が目いっぱい弾けます。

 

  達成感と解放感がイッパイ(BCのランディングポイント)

 

 デナリとも今日でお別れ、これからシャワーにも入れます

午前945飛行機に荷物を積み込み、1025、タルキートナの飛行場に到着です。午後、レンジャーステーションにトイレの持ち帰りと下山の報告にいきます。

デナリの登頂率はシーズン後半時点の628日現在、ボードでの発表は36 %です。登頂出来るのは、約3人に1人ということになります。デナリは、世界的にも難易度の高い山だとあらためて実感しました。その中で経験の浅い私が無事登れたということは、優れたチームメイトに恵まれ、その強力なサポートがあったこと、気象条件に恵まれたこと、食料計画、運搬計画、移動計画など貫田さん、豪太さん、飯田さんのその都度の判断が正しかったことを強く感じます。

     

            2017.6.28 現在 デナリの登頂率は 36% 

 

トイレの持ち帰り運動への参加ではその協力に対し、フラッグとワッペンを頂きました。これも嬉しく思います。

     

           トイレ持ち帰り運動参加者へのフラッグとワッペン

 

デナリ登山を終え、今、思うことは地球の温暖化は確実に進んでいること(過去の登った山では、キリマンジャロは頂上の氷河が急減し、エルブルースは氷河上の大岩が氷河の緩みで今にも崩れそう、そして、このデナリも26回登頂の大蔵さんのお話で確実に温暖化が進んでいるとのこと。深刻な問題です。地球規模での対策が望まれます。

地球環境問題では、トイレの持ち帰り運動など、些細なことかも知れませんが素晴らしいことだと思います。このような小さな運動の積み重ねが環境問題では大切なのではないでしょうか?このようなデナリの運動に対し、日本の富士山のトイレをはじめとするゴミや環境問題、海外と比べ大きく見劣りするように思います。改善が望まれます。

 

レンジャーステーションへの報告を終わり、次にやることがあります。洗濯です。宿泊ロッジ隣のコインランドリーに行き、今までに着たもの、今、着ているもの全てを洗濯です。あまりにも多いので2回に分けてやりました。シャワーも浴び、さっぱりしたところで、ブッシュ大統領(パパ)の料理人をやっていたというレストランで夕食です。美味しいビールを沢山飲みたいところですが、疲れの蓄積があるせいか一杯のビールを飲むのがやっとです。しかし、そのビールも食事もとても美味しい。振り返ると本当に充実した旅でした。この日と翌日(630日)はタルキートナのロッジ泊。

 中央は現地ガイドの加藤さん

 

   タルキートナからのデナリ3山 左からフォーレイカ(5304m)、ハンター(4257m)、デナリ(6194m)

 

7月1日:予備日を使わなかった分、早めの帰国です(日本には73日着)。この日タルキートナからアンカレッジに移動しましたが、約20数年前に来た時と同様、道路には花の植え込み、そして、ゴミ一つ落ちていない。綺麗な街並みに感動です。色とりどりの花がまだ疲れの残る身体を癒してくれるようです。

 

     

     

     

           アンカレッジの町は花がイッパイ

             登山界の若きエース飯田さんの撮った画像を中心に使用させて頂きました。

 

さあ~、日本に帰ったら、次なる心にトキメク目標を立てよう!その前に仕事もしっかりやらねば・・・。