日本抗加齢医学会認定指導士M.M.のアクティブ・アンチエイジング | 日本抗加齢医学会認定指導士M.M.のアクティブ・アンチエイジング

日本抗加齢医学会認定指導士M.M.のアクティブ・アンチエイジング

薬剤師、日本抗加齢医学会認定指導士、栄養情報担当者(NR)。
専門家としてのアンチエイジング情報と、わたし自身のアクティブな生活
についてご紹介します。

デナリ登頂記 登頂編

 

北米大陸最高峰、デナリ(旧マッキンリー)は標高6194m。この山の難しさは緯度の高さによる寒い気象条件と空気の薄さと言われています。地球は自転しているので遠心力により赤道付近に大気の層が集まり、高緯度は大気が薄くなる傾向にあるためです。更にデナリにはポーターやシェルパがいない為、約4週間分の行程の食料、燃料、テントや個人装備などを自分で担ぎ、そりに乗せてキャンプ地(C4:4300m)までスキーやスノーシューで引き上げなくてはならないのです。また、デナリは、数多くの日本の一流登山家が消息を絶ち、世界的冒険家の植村直己さんが帰らぬ人となった山としても有名です。そんなことから世界最高峰のエベレストと同等の登頂難易度が高い山と言われます。しかし、7サミッツ(世界7大陸の最高峰)の一つ、ぜひともその頂上に立ってみたい山です。なお、デナリはアラスカ先住民にとって「偉大なもの」を意味します。

   北米大陸最高峰 デナリ 6194m

         

     

       登頂ルート

              

そこで今年に入り、荷物の運搬手段はスキーを使うことにし、スキー合宿を集中してやり、クレパスからの脱出訓練も行いました。また、装備のチェックも重要です。キーワードは1gでも軽いもの。私の装備もザック、ハーネスをはじめ、より軽いものにするようとの指摘です。なおスキーは超軽量で、靴はスキーと登山との兼用靴です。このような形で準備を進める中、一緒に同じ目標を目指していた同僚の大歳卓麻さんが、3月にスキーの特訓中、足の踝を骨折し離脱したことは大変残念でなりません。

             

装備品のチェック(左から倉岡さん、大歳さん、貫田さん、飯田さん、私、豪太さん)、超軽量のスキー板

 

最終的なデナリを目指すチーム構成は、日テレ「イッテQ」の登山部顧問:貫田宗男さん(主な登山歴はエベレスト2 回、デナリ3 回登頂)、元オリンピック・モーグル選手:三浦豪太さん(エベレスト2 回登頂)、若き登山界のエース:飯田祐一郎さん(デナリ1回登頂)、そしてにわかに登山を始めて歴史の浅い私:元井です。皆さんとは、日頃から親交があり、経験や実力は最強で最も信頼できるメンバーです。

 

いよいよ出発、日程は2017610日~76日(先発隊の貫田さん、飯田さんは食料の買い出しで66日出発)です。天候不順を考えた予備日を5日ほど取っています。

 

2017

610日:三浦豪太さんと成田を出発、ロスアンゼルス経由でアンカレッジへ。改めて装備荷物の多さ重さに驚きです。

              

                装備荷物

 

611日:早朝、アンカレッジから乗り合いバスで、2時間30分かけてデナリの玄関口:タルキートナの町へ移動し、バス停で先発隊の貫田さん、飯田さんの出迎えを受けます。タルキートナは、飛行場の裏手をアラスカ鉄道が走り、のどかな雰囲気の小さな田舎町です。早速、空港脇のテントで、最後の重要な作業となる先に買い付けた食料品を含め、共同装備や個人装備の仕分けがあります。4人分で総重量は約500ポンド(227Kg)にもなります。これを分担してザックやダッフルバッグに振り分けて各自が担ぎ、残りをそりに乗せてキャンプ4(4300m)に引き上げるのです。

午後より、タルキートナのレンジャーステーションでデナリ登山のガイダンスを受けます。その内容は、今年は気候が暖かくクレパスが多数空いている等の注意事項とデナリの環境保護のためトイレの始末品を持ち帰る運動に参加して欲しいとのことです。この日はタルキートナのロッジ泊。  

                       

                             左から貫田さん、私、豪太さん、飯田さん(タルキートナで)

 

                          

             アラスカ鉄道

 

                       

                              レンジャーステーションのガイダンス

 

 

                                                                          トイレ容器

 

612日:タクキートナは晴れ、飛行場に朝の7:45到着。間もなくエアータクシー(小型機)に荷を積んで乗り込み、滑走路に出て離陸直前に、目的地のデナリベースキャンプが雲で閉鎖された為、飛行中止。ロッジに帰って昼食。再び飛行場に戻るがなかなか飛びそうにない。待つこと数時間、今日の飛行を諦めかけた1920 ゴーサインで出て、タルキートナ南東、カヒルトナ氷河ベースキャンプ:BC2200m)のランディングポイントに2010 到着。ここは、夜中も明るい白夜と白銀の世界です。この日はBCにテントを設営、テント内夕食、BCテント泊。

                       

                          タルキートナ・エアタクシー

          

           ベースキャンプのランデングポイント

 

613日:830朝食。終日、うす曇り。タルキートナから飛行機は飛んで来ない。ドドーンという爆音が、テント内に響く、そう遠くない所の雪崩の音である。1600夕食。基本的に食事は、飯田さんが日本食メニューをもとに朝食、夕食を作ってくれ、昼はチョコやお菓子が中心の行動食です。夕食後一部荷物を雪の中にデポし(目印の旗を立てる)、BCテント泊。

 

614日:午前2時起床、外は明るい。230朝食。夜中はみぞれだったが、晴れてくる。キャンプ1C1)に向け、ザックを背負い、ダッフルバッグを乗せたそりをスキーで引くスタイルで早朝420出発。前半は緩い下り坂である。高低差200mほど下ったところから、今度は緩やかな登り坂が始まる。スキーの裏側にシールを貼り、ザックを担ぎ、そりを引き上げる力仕事です。いたるところにクレパスが口を開けている。午前950 C1着。標高約2400m C1テント泊。 

                                 

           

           

           ザックを担ぎそりを引く 

            

             C1キャンプのテント

 

615日:早朝5時、C2に向け出発、天候は曇り。すぐそばの山の傾斜は氷河の断層・セラックが牙を剥いている。また、C2キャンプ手前には見事なほど大きなクレパスがあり、覗くとその底は深海のような不気味な青さである。午前1040  C2着。C2泊。標高は約2900m。

 

616日:昨夜から雪である。C2からC3に向け朝755 出発。C3手前の登坂は、傾斜角度約30度の急坂であり、雪の中、荷揚げはかなりきつい重労働である。朝955  C3着。隣の外国隊の会話が聞こえて来る。「BCからC1に移動中にクレパスに落ちた人がいる。昼過ぎになるとクレパスが緩むので下山時は注意をしよう!」という話である。C3泊。標高3350m。 

                              

    

    クレパスが多く空いている  

 C3からの景色

 

617日:前夜の小雪が晴れる。今日は終日休養日。

タルキートナのガイドの加藤さんより、C5付近で遭難中の他パーティーの1人がレスキューされたとの連絡が入る。

 

618日:晴れ。今日の作業は、高所順応を兼ね、C3からC4(標高4300m)へ荷物の一部を荷揚げ。朝630豪太さんと飯田さんはスキーでそのまま荷揚げ。貫田さんと私は靴にアイゼンを付け、スキーと荷物を担ぐ(そりは使わない)。ウインディコナー付近は、その名のとおり風もあり、ガスもかかり超寒い。マイナス20度以上に感じられる。手袋に入れた使い捨てカイロも効かない。アコンカグアで凍傷になった左右の指が痺れる。C4着1300。荷物をデポし、C3への帰着は1705C3泊。

 

619日:晴れ、終日休養日。テントの中は強い陽射しで40℃にもなり、たまらずテントの上に寝袋を掛け、日陰をつくりしのぎます。その後、NHKスペシャルの撮影隊が下山時に立ち寄ります。

                 

                   

     NHKの撮影隊の皆さんと( C4キャンプで)

 620日:夜中、C4上部で雪崩。低気圧通過の雪を避けて、夜中の

115 出発。出発時は風と小雪。途中から無風の晴れ。靴にアイゼンを付け、ザックを担ぎ、そりを引く。大気がかなり薄く、30度ほどの急坂が何か所もあります。今日の高低差約1000mの登りは、登頂を目指すアタック日に並ぶハードは行程です。C4着940C4泊。標高4300m。

 

6月21日:晴れ。C4からリッジキャンプ(4900m)へ、高所順応を兼ね荷揚げ。ここからはそりは使わず、ダッフルバッグの荷物もザックに詰め込み、通常の冬山登山です。1310 出発。リッジキャンプ1700到着。荷物をデポし、下山開始1745C4帰着1845。米国隊より貴重品のトイレットペーパーの差し入れがある。

 

6月22日:晴れ。終日休養日。昼間にテント底面のデコボコを修正。下着を雪で洗濯する。夜、登頂に成功した日本隊の大蔵さん、鈴木さん、今岡さんがメザシの差し入れを持って我々のテントを訪問。大蔵さんはデナリに、ほぼ毎年登頂し今回で26回目とのことである。ただ、ここ10年ほどは地球温暖化のためかクレパスが数多く空いていると言う。

また、我々の登頂日について、日本のヤマテンの猪熊さんの気象情報では、623に気圧の谷が通過、6/24は強風、62526の気象条件は良さそう。」とのことです。また、C4のレンジャーステーションの情報は、62225にかけて高気圧におおわれるとの内容です。この天気や風の気象条件の把握は、登頂の成否にかかわるだけでなく、難易度の高い山では生死にかかわる最重要課題です。そこで日本から情報を貰うだけでなく、こちらの現地からも定期的に風、雲の流れ、天候の変化の情報を日本時間に合わせ、貫田さんが毎日送ります。どうやら我々のアタック日は62526になりそうです。C4泊。 

  デナリ三山の一つ フォーレイカ (5304m)  雲が天使の羽のようです

 

623日:この日も終日休養日。昨夜から気圧が下がるが午後からは上昇傾向で晴れて来る。午後より、C5に行くルートの登坂を皆でスキーを楽しむ。しかし、この高さ(44004500m)で転倒すると、空気が薄く起き上がるのに苦労します。私はここで捻挫をしてはいけないと、早々にテントに引き上げる。しかし、豪太さんはさすが元オリンピック選手である。30度はあると思われる急坂を少しの乱れもなく見事なシュプールを描く。それを見ていた隣のテントの外国隊が「彼はお前のチームメイトか?凄くスキーの上手い奴だな!」と驚いている。・・こちらも嬉しくなる光景です。

                

                

                   豪太さんの滑り

隣のテントのアメリカ青年より大きなソーセージを貰い焼いて食べる

とても美味しく元気が湧く。C4泊。       

  

     アメリカ青年から貰ったソーセージ

 

624日:晴れ。最終キャンプC5に向け、朝1040 出発。途中、アッセンダー(昇降機)を使う。リッジキャンプ1420 到着。デポしてある荷物をザックにプラスして詰め込み、C5に向け1510 出発。肩に荷が食い込む重さである。後半は山の稜線を進む。両サイドとも谷底に繋がる白い急な崖である。1820  C5着。標高5200m。気圧は527ヘクトパスカル。空気は平地の約半分であり酸素の薄さを感じる。ゆっくりした大きな複式呼吸で身体を慣らす。日本からの気象情報では、25日は山頂晴れ、夕方から霧。26日は終日おおむね晴れ。わが隊の登頂日は26日と決定する。C5泊。

 

625日:朝930 起床。晴れ、しかし、気圧は低下中。我々を除く外国隊は、登頂に向け出発済である。頂上に向けた山肌に点々と人が連なり登って行く。その中でわが隊のみは完全休養日です。どちらの判断が正しいのか?それにしてもその後の夕焼けが綺麗です。

 C5からの夕焼け

 

626日:快晴。朝500 山頂を目指して登山開始です。昨日のアタック隊の結果は、途中、風も出たようで一部のパーティーは登頂断念、登頂に成功したパーティーも帰りが相当遅く苦労したようです。今日のアタックは我々日本隊のみです。この判断は正しかったのか?その答えはもうすぐ出ます。快晴で無風の中、ほどなくして、日本の一流登山家をはじめ多くの登山者が消息を絶った険しい急斜面、デナリパスを進みます。そして、次は幅の狭い稜線です。それは両サイドが切り落ちたナイフの刃と言っても良い稜線、もしここで強い横風を受けたら間違いなく一瞬にして谷底までまっしぐらです。

        

                 急斜面の後ろの山は、デナリ3山の一つ フォーレイカ

        

 

         

         急斜面を進みます

         

           稜線を進みます(ここは歩く幅が広い)

 

やがて山の奥に隠れて見えなかった頂上が突然顔を出す。そして、遂に

6194mデナリ山頂に4人全員が到達。時は13:00ちょうど。登頂開始から8時間です。そして、私は7サミッツ5座目です。気圧は456ヘクトパスカル。空気は平地の半分以下です。しかし、眼下にアラスカの山々が壮大なパノラマとなってすべて見渡せます。その最高の景観に空気の薄さやこれまでの苦難もすっかりどこかに吹き飛びます。さっそく、母校から預かった校旗を頂上に掲げ、私的なミッションも見事に達成です。ただ、4人全員の記念写真を撮りたいのですが、他のパーティーの登山者が誰一人いないので自撮りするいがいありません。4人で代わるがわるに写真を撮ったところで1330 、いよいよ恐怖の下山開始です。

左から貫田さん、私、三浦豪太さん(飯田さん撮影)

 

          4人全員がデナリの頂上に立つ

         

          左足の前に小さな頂上のエンブレム

         

         指をさしているのが頂上のエンブレム

         

          頂上のエンブレム   

                                   

                登山界の若きエース飯田さんの撮った画像を中心に使用させて頂きました。

 

下山編に続く