翌朝、6時半に起床し、宿を後にする。その日も昨日と同じく一日のほとんどをこのバンで過ごすことなった。長い道のりではあるが、着実に目的地に近づいている。日が暮れる頃にはラクダに跨ってサハラ砂漠の中にあるベルベル人のキャンプに向かうのだ。私は念願のサハラ砂漠を目前に胸を踊らせていた。


20分ほど車内で揺られていると、郊外の農地の傍らで車から降りるよう、アサカに言われ、皆、渋々それに従う。彼に何事かと尋ねるが、彼の英語はかなり適当で、彼の言わんとしていることを理解できた者はいなかった。ただ、ここで待てと言っているようなのでおとなしく待つことにした。肌寒い空気の中、数分そこで待っていると1人の老人が現れた。ついて来るよう身振りで示すので我々は彼の後に続いた。彼は朝露に濡れる草木をかき分け、畑をどんどんと進んでゆき、時折立ち止まると指をさしてアラビア語かフランス語で何か言う。話していたのがどちらの言語にしろ、私には彼が伝えようとしていることを理解でなかった。そんな調子で農地を20分ほど歩き回った後、この農地ツアーは終了したらしく、我々はバンへと戻っていった。


陽もだいぶ落ちてきた頃、一行を乗せたバスはサハラの一歩手前の中継地にたどり着いた。皆、途中で立ち寄った土産物店で半ば強引に買わされたベルベル人のスカーフで頭と顔を覆い、砂漠への旅に備える。案内人について行くとそこには何十頭のものラクダが地面に足を折りたたみ、休んでいた。案内人達が旅人の荷物を雑にラクダの背中の荷台にくくりつける。ラクダの背中にまたがると案内人が起立の掛け声をかけ、ラクダは背中の私のことを気に掛ける素ぶりも無く、雑に立ち上がる。思いの外、前後に激しく揺られ振り落とされそうになる。ラクダが完全に立ち上がり、広くなった視界に西陽に照らされたサハラ砂漠が広がる。ついにサハラ砂漠に足を踏み入れるのだ。全てのラクダが準備を終え、隊列をなす。一行は地平線の向こうに沈んでいく夕陽に向かって進んでいった。




私は隊列の真ん中の方にいたのだが、どうも後ろの方にいるラクダが騒がしい。案内人が言うには、隊列の前の方から、大人しい経験のあるラクダを置き、若く扱いづらい個体は、後ろに回されるのだと言う。例の騒いでいたラクダはまだ若くなかなか言うことを聞かないらしく、その背にまたがっていた者が目の前に広がる景色そっちのけで、背にしがみつくのに必死の様子だった。

ラクダがしょっちゅうゲップをするのだが、そのたび臭気が上へ立ち上がり私の顔に覆いかぶさってくる。これが表現しがたい悪臭を放つ。果たしてこれは無理に肉体労働をさせられていることに対する腹いせなのだろうか。しかしこんな足場の悪い中を重い荷物を背負って歩かされるのだ。腹がたっても仕方ないだろう。文句を言っても仕方がないので、この悪臭のことはなるべく気にしないようにした。


一行は途中、小高い砂丘で夕陽を見送るため歩みを止めた。上へ上へと一歩踏み出すたびに、砂丘はそれを拒むかのようには私を僅かながらに下への引きずり降ろそうとした。一番上からあたりを見渡す。そこには生命を感じさせない乾いた砂漠と、その遥か彼方で沈みゆく太陽しか存在していなかった。おもむろに腰掛け、沈みゆく夕陽に照らされた砂漠を眺めていると、風に煽られ砂丘が止めどなくその形を変えていることに気がついた。自然の力によって砂漠に無作為に刻まれた曲線が、まるで無数の大蛇のようにうねり続ける。川の流れと同じように、彼らもこの果てしない砂漠をあてもなく旅し続けているのだ。


そんな景色に没入していると、無意識に赤茶色い砂を握りしめ、夕陽の前にかざしていた。すると砂は指の間から少しずつ零れ落ちて行き、また風が残りの砂をさらっていく。自分の手でつかめたと思っても、時にそれは自ずと自分の元から離れていったり、時には何者かによって奪い去られてしまうのだ。そんな儚げな光景を見て鴨長明の「方丈記」の冒頭がふと、頭に浮かぶ。

 

ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず

淀みに浮かぶ泡沫は、かつ消えかつ結びて

久しく止まりたるためしなし

 

流れゆく川の水に限らず、この砂漠の砂も一箇所に止まることなく、風に吹かれ流れ続けるのだ。この砂漠は絶え間なくその形を変え続けている。そこに儚さと美しさを感じ、私は何度も砂を握りしめては夕陽の前にかざし、自らの手から流されてゆく様を眺めていた。



 

日が暮れてから水も電気も通っていないベルベル人のキャンプに到着し、その夜はベルベル人の伝統料理と伝統音楽で手厚くもてなされた。ライトが天井から吊るされているだけの食堂で、何度目かのタジンを食べたのち、高く積み上げられた木の上で燃え盛る火を囲み催しを楽しんだ。様々な国から来た者たちが、話す言語に関係なく、皆で火を囲み音楽に合わせて踊っている。私はその光景を目にして、ふと、有史以前、さらには人類が言語を獲得する以前から行われてきたのであろう、人類の本質的な集い、催しをこの目で見たように感じた。きっと言葉なんてなかった頃にもこうして同じ生活集団の者たちと、時には異なるグループの者たちと火を囲み交流を図っていたのだろう。人類としての本能的なものであるのだろうか、私は心の奥底で懐かしさのようなものを感じながらその催しを楽しんだ。