昔の話をするだけで、「おじさん」と言われるのが令和の社会・・・

 

あえて昔の話をすると、私は部活動でも叩かれて怒鳴られて育ってきましたし、仕事では、人を救う事や、自分自身も命を落とす危険性がある職種だったので、その訓練というのは厳しくて、怒鳴られて当たり前、殴られてさらに反省・・・そんな世界でした。

 

しかし、そんな時代から30年。今はご法度。当然ながら、激しい怒声やパワハラのような厳しさは絶対NGなのが今の社会。


とは言っても、褒めて認めておだてるだけで、人は成長するかというと、そうではないと私は思います・・・

 

時には、その子を成長させるためには、心を鬼にして、厳しく指導しなければならない時があります。

 

私の場合、部下の「失敗」への厳しさは必要ないと思っています。
ミスや失敗は後には戻れません。状況把握をして、感情的にならずに、被害を最小限にするリカバリーを考え、なぜミスが起きたのか冷静に認識させ、ミスが二度と起こさないための危機管理的指導の徹底をします。

 

一方、ミスや失敗に至ったプロセスに対しては、指導するチームとして私は厳しく考えますし、厳しく指導もします。
また、日々の行動の積み重ねが結果に繋がっていることであれば、仕事への取り組みや覚悟の部分を変えないと、本質的には法人の成長には繋がらないだけでなく、法人の命取りになるからです。

 

ただ、今の社会は、指導者自身がパワハラに対する、極度な怯えと危機感から、「パワハラ」と「厳しい指導」の違いを間違えて捉えているような気がしてなりません。厳しい指導とは怒鳴ることでもなければ、激しく叱責することでもないはずです。

より強い認識を本人の記憶に定着させる事だと思うのです。

 

人間は、長い人生において、様々な経験をし、一度や二度は地面を舐めるような辛い思いもするものです。死を選ぶのではなく、それを超えるための精神力は備えてこそ人間力だと思うのです。仕事においても、教育においても、いわゆるパワハラと言われるような、怒鳴ったり、精神的な威圧をするのではなく、本人の記憶に刻まれるような厳しい指導は絶対必要だと私は思いますね・・・

 

ますも誠二