今朝、いつものように八幡宿駅で挨拶運動をしていると、色々な方々から多くのご意見をいただきました。

 

昨日の「辞職勧告決議」についてです。

 

テレビでも放映されていたので、多くの方が内容を知っていました。

 

一方、私を含める自民党会派では、この辞職勧告決議案に対しては「反対」の意思を表し、会派を代表し私増茂が反対討論を致しました。

 

その反対に対し、私の考え方を記します。

 

まずは、今回の市原市議会で起きた本セクハラ事案に対しては、あってはならない事であるとともに、まさにその行為は許されるべき事ではありません。

会派の一員のセクハラ行為はあった事を認め、深くお詫び申し上げるとともに、現議会内役職の返上または役職辞退等行い、改めて襟を正し、原点に立ち返り、信頼回復に努める所存であります。

 

では「辞職勧告決議案」に対しなぜ反対なのか?を記します。

 

本事案が発生し、直ちに政治倫理審査会での調査が開始されました。この審査会では、被害にあわれた議員の心情を第一に考慮し、且つ客観的審議に集中できる様、非公開とし、審査会委員にはその内容の漏洩を厳しく禁止しました。

 

しかし翌日、本来、報じられるはずのないその政治倫理審査会の内容が一部のメディアに報じられたのです・・・

 

つまり、審査会直後には、何者かにより報道機関に漏洩された事が推測でき、「議員辞職勧告」という文字だけがメディアを通じ、多くの国民が知り得る事となったのです。

 

この背景については何となく予想はつきますが、これは極めて残念に思いました・・・

 

「未決定且つ極めて重い処分」という情報を多くの市民や議員が知り得た事により、同調的作用により、客観的評価と結論に対し少なからず影響した事は否めないと私は思いました。

 

法律家に言わせると、人が人を裁くという事は、その結果が本当に正しいか否かは分からないと言います。それほど、難しいものだと認識しています。

 

その法律家は、客観性を担保するには「ヒト」ではなく「コト」に集中せよ・・・と。

まさに人の評価は目的から始めないと、矛盾に満ちた客観性の虚構を築くだけと言っています。

 

心ない人により、未決定の内容が報道機関に漏洩された事により、「ヒト(感情)」が全面的に一人歩きする状況に陥り、人を裁くという重大な審議に対し真の客観性を担保できたのか・・私は個人的に考えてしまいます。

 

ますも誠二