9日、八幡流水館創立50周年記念が盛大に行う事ができました。私は何の力にもなれませんでしたが、実行委員のひとりとしてホッとしています・・・

 

この記念大会を通じ、色々な事を学びました・・

 

市原市にまつわる話をひとつ紹介しますね・・・

 

敗戦後の日本では剣道や柔道などの武道は、GHQによって一切禁止されました。

なぜか・・・それはアメリカをはじめ世界が「日本の武士道の精神」を恐れたからです・・・

 

しかし、後に千葉県剣道連盟の会長となる参議院議員であった菅野儀作氏が「日本人の武士道精神を絶やしてはならない」とばかりに、県内の剣士を集め、禁じられていたはずの剣道が千葉県で、いやこの市原市で行われていたのだそうです。おそらく戦後初めてではないかと言われています・・戦後の剣道はもしかしたらこの市原が原点だったのかもしれませんね・・


正式な記録としては、政治家笹森順造氏がGHQに剣道の復活を懇願したとか・・
 

笹森氏の願いに対し、GHQは「アメリカ海兵隊の中でも最強の銃剣術の使い手に日本人がもし勝つことができたら復活を許す」と言われたそうです。

アメリカ兵は本物の剣をつけた銃剣。一方の日本人は4本の竹を束ねた粗末な竹刀で戦うように条件がつけられたとか・・

 

この不利な戦いを受けたのが武道家としての不敗を誇る福井県の国井善弥という剣道・空手家・・

いよいよ日本剣道の復活をかけた戦いが始まり、勝負は一瞬で決まったといいます・・

 

巨大米国海兵隊員が容赦なく国井めがけて銃剣を突きにいくと、国井はいとも簡単にそれを交わし、一瞬の隙をみて竹刀の剣先を海兵隊員の首元に突きつけ、殺さずして身動きできなくしてしまったといいます。しかも国井は敗れた相手に対し奢る事なく深くこうべを垂れ礼を尽くしたといいます。

日本の剣道の凄さと、相手にも礼を尽くす武士道に対しアメリカ人は驚嘆したといいます・・・そして剣道は復活を遂げたと言われます。

 

その後の日本は高度成長期を迎え、テレビの普及とともに、森田健作の青春ドラマやアニメ赤胴鈴之助などの影響もあり飛躍的に剣道人口を増やし、今では数百万になり国内外で剣道愛好家が日々稽古に励んでいるのでした・・

 

さて、今朝も寒かったですね・・朝の八幡宿を終え、辰巳台中学に向かいました。中学一年生の「命の教育」・・

毎年来ていますが、やはり子供の数が減ったように感じました・・

きちんと聞く事ができて、命の大切や、人に手を差し伸べる意義を学びました。



出典:2014-01-08 01:08:18 | 虚無僧日記

日本の剣道を守った男   国井善弥氏