全肯定カウンセラーによるリレーブログデビューしました❣️
ぜひ見てね~💞
PROFILE
初めまして全肯定!心理カウンセラーのますみん こと さいとうますみです。
活動地域 札幌近郊(対面)、全国(電話&zoomカウンセリング)
1964年7月3日生まれ かに座 B型 北海道出身
現在56歳、子供は26歳息子と24歳娘と2人、夫と二人暮らし
全肯定に出会うまでは良い人でいることこそが自分の価値だと思ってました。自分なりに努力するものの、なぜか生きづらさを感じてしまう自分はおかしいのだと思っていました。
厳しいしつけ
幼少期、父親は仕事人間で土日も休みはなく朝早くから夜遅くまで仕事で家にいませんでした。母からは毎日叩かれたり、アイロンや火箸をつけられたり厳しいしつけと教育熱心で育てられ、期待に応えるいい子であったためどんどん母の期待は膨らんでいきました。言いたいことが言えない、私が悪いから怒られるんだと思っていました。小一で友達のお兄ちゃんに性的被害を受けました。小四では転校先の学校でいじめを受け、休み時間のたびに「こいつ泣かないからおもしれー」と男子5,6人から馬乗りや飛び蹴りされても笑っていたため誰にも気が付いてもらえませんでした。
大好きな祖父母
大好きな祖父母が近くに住んでいたので、たびたび泊まりに行っていました。けど父方の祖母と母の嫁姑問題で小さい頃から挟まれ怒られることが多かったです。
習い事で友達とも遊べない
何でも興味を持つのでやらせるとそこそこ結果を出す私に母は、習い事を習字、英語、お琴、三味線、学習塾、個人教師と週のほとんどは習い事でした。友達と遊んではいけないけど習い事にはどんなに遠くても一人で通い、毎日練習や勉強をしないと怒られ、叩かれます。
反抗期
中2の時に親友から父に愛人がいる噂を聞き、私が母に伝えたために、家族が崩壊したのは自分のせいだと思い込み、荒れていきました。生きてる意味もわからず希死念慮も強く、自己破壊的反抗をすることでバランスを保っていたように思います。家に居場所を感じられず、どんなに遠慮しても気を使ってもよその家の方が自分らしくいられる気がしてよそ宅を泊まり歩くことを繰り返していました。
親の離婚と母の障害
その頃親が離婚したら、自分は大好きな父と暮らす夢を見ていましたが、父は私じゃなく愛人との暮らしが大切なんだと現実をしりショックを受けました。学校もやめ、家出をしたり戻ったりを繰り返すうちに母が脳溢血で倒れて障害者になりました。献身的に介護する傍らで17歳で母のおむつの世話に愕然とし、飛び出し、母と絶縁になります。その後父の家に引き取られ、アルコール依存症の義母と喧嘩をして祖母宅に住むことになります。そしてお金をためて祖母の家を出て田舎を出て、一人で生きていこうと一人暮らしを始めます。
母の認知症
数年後母から連絡が来て、自活していた母の所へ戻ることになります。きっかけは、母が入院するので弟が施設へ行くことになるのを阻止するためです。その後は罪悪感などで実家支援を始めました。母との関係は子供の頃とは逆転しました。母の認知症が進み、問題行動も多く、全部自分一人で背負い込もうとするけど一緒には住むことは絶対にできず、ヘルパーやデイサービスなどを使い自活していたけど、認知症も悪化して行きました。脳血管性認知症のため叱りしていたり判断もできるけど、理性が時々欠落するため、警察のお世話にもなることも増えました。お金もだまし取られ、いつもギリギリの生活でした。
もう限界かなと思いましたが本人を説得しきれず、サ高住からショートステイ、現在精神科に入院しています。実家の家も片づけました。今度は終の棲家を私が決めてしまったようで罪悪感に苦しみました。
居場所がない
そんな私は幼少期の環境の影響か人間関係でも役に立たないと存在価値はない、認めてもらえないと居場所がないなど思って生きてきました。
良い妻、良い母、良い人症候群
現在の夫と出会い、この人ならと思い結婚してもらいました。嫁姑問題も全くなく快く受け入れてもらい、幸せに暮らし、夫にも失敗しても怒られることもなく、やりたいことも反対されることもなく、初めての経験ばかりでした。
そもそもの私は自分に自信がなく役に立たないと居場所がなくなると思い込んでいたため、もっと頑張れば認めてもらえる、もっと頑張れば幸せになれる、もっと頑張れば喜んでもらえる、もっと頑張れば良い妻になれる、もっと頑張れば良い母になれる。優しさの定義は自己犠牲、必要とされるためには、1を聞いて10を知ることだと思っていました。
父親の投影で
頑張っても我慢してもなんだか変などころか、全然楽しくない、私の欲しい愛は全然もらえてない気がしてきました。父を投影していたんです。今ならわかります。
もらっても受け取らない、もらえるものは欲しいものと違う、欲しいことを言葉で伝えられない、頼れない、甘えられない、もっと我慢して頑張れば伝えなくてももらえる気がしていました。
夫婦喧嘩も1度もなく怒ったこともない優しい夫ですが、時折不機嫌なのは、全部私のせいだと思い込んでました。空気を読むことに必死で、不機嫌にさせないように、失敗のしないように、子供のことも家のことも全部自分一人でやることが私の役割と思い込み、できない自分を責めて、責められてるようで苦しくなり、子供へ依存するという形へどんどん向かっていきました。
空の巣症候群・蕁麻疹
そんな中、息子は地方の高校へ行き私の元から離れてしまいます。何も手につかない日々が続くけど誰にも言えませんでした。生理は止まるし、慢性蕁麻疹にも5年間ほど悩まされ薬も手放すことができませんでした。
頼まれたら断れない
人間関係でも頼まれたら断れないとか、誰かに何かをすることは苦にならないため従順で、なんでも言うことを聞くので、粗末に扱われ、理不尽に八つ当たりされたり、お金を無心されたり、断れなかったり、便利だと言われたり、どんなに頑張っても自分を殺して笑顔でいても、私には存在価値がないからぞんざいに扱われるんだと思い込み始めます。
私が仲裁しなければ
娘と夫との関係が上手くいってないように見えて、必死で間に入らなければならないと思っていたり、娘が学校に行けなくなったのは自分のせいだと思ったり、息子がいない寂しさをなかったこととして感じることを拒否したりしてることに気づきもしてませんでした。
私って変?
とうとう自分の知識や経験だけではどうにも出来ない苦しみにようやく気づき、私って変?アダルトチルドレンなのかも?と思うようになり、全肯定にたどり着きました。
全肯定との出会い!
たかぢんさんに出会い、否定のない中で自分の考えの偏りを、薄皮を剥ぐように丁寧に丁寧にはぐことを教えてもらい、ようやく心の穏やかさを感じることができるようになりました。
私が悪いのではなく、少し考え方が偏っているだけなんだとわかり、自分を犠牲にしなくても存在していいと少しずつ許可を出すことが出来るようになり、ネガティブな妄想に支配されてしまうことが減って心が穏やかになってきました。
全肯定のたかぢんさんや仲間といることで、嫌いな自分も全部いいと思えるようになり、そのままの私でいてもいいと、存在価値は他人じゃなくて自分が決めるものなんだと思えるようになりました。
心からの笑顔に
全肯定に出会い5年、私が救われたたかぢんさんの笑顔ママ講座を私が伝えられるようになり、そんな自分に許可も出せるようになったので、たくさんの悩みを経験してきた私だからこそ伝えられることがあると自信を持って言えるようになれました。
孤独・不安解消専門
全肯定!カウンセラー
笑顔ママ講座認定講師
ますみんでした。
私のブログにも遊びに来てね
全女性に向けたますみんの笑顔ママ講座オンライン5期4月募集中(6期リクエストお待ちしております。)
申し込みフォームはこちらから
ますみんの全肯定!カウンセリング申し込むフォームはこちらから