父の納骨が終わりました。
七福神もあって良いお寺です。
納骨のちょうど一年前の同じ日に、最後の家族旅行をしました。
父は私が物心ついたときには浜松で建設会社を営んでいて、それなりに従業員もいる会社でした。
自由な父は、酒もバイクも釣りなども好きで社員さんなどを連れてよく出かけました。
絶えず周りに人のいる環境でした。
景気が傾く頃に、会社が破産して夜逃げしました。
もちろん、私は夜逃げの意味も知りませんでしたが。。
生まれ育った大きな家や、それから毎日遊んだ幼馴染みとも突然の別れでした。さよならも言えませんでした。
母はシングルマザーになったけど父は一年後くらいには帰ってきました。
破産しても借金取りに追われて、ひっそりと身を隠して生活しなければならないのを子供ながらに感じました。
まだ少し景気の名残があり、父は手に職を持っていたのでフリーで内装の仕事をしました。
普通のサラリーマンよりはよく稼ぐけど、それなりにお金もよく使う人でした。
母は大変だったと思います。
父はお酒が大好きだったし、いつも喧嘩をしていました。
それでも父は私に怒鳴ったり手を挙げたりするような事は一度もない穏やかな人でした。
母は本当に大変な時には働きに出たけど、すぐ辞めていつも家にいて身の回りを綺麗に片付ける人でした。
大変だったけど、、基本的な愛情のある家族だったと今なら思います。
父は中古のマンションと古い軽自動車を家族に残しました。
とても高い車やハーレーに乗ったり、大きな家に住んだり、海外で旅したり、会社を営んだり。。私には考えられないくらいのお金を使ってきたと思います。
けれども私が貰ったのは、オンボロの軽自動車だけです。笑
でもこれで充分です。
あんだけ大変だったのに、よく挽回して母に住むところを残してくれて良かったなと思います。
夜逃げするときに勘当された父は、実家に帰ることもありませんでした。
疎遠になってしまい、死んでも連絡しないでという希望もあり、連絡もしていません。
けれども天国で、お父さんやお母さんに温かく迎えられているといいなと思ってます。