すると、待合室がいつもよりざわついていて、
みると、倒れてしまった老夫婦を囲むようにみんなが、そのおじいさんの靴を履かせるのを協力していた。
聞くと、
旦那さんは脳障害があるらしく、自分では身の回りのことができないらしい。
歩くのもままならず、奥さんが身体を支えながら、ここまで、ほんの小さな一歩を踏み出しながらきたそうだ。
靴を履かせ終わって、おばあちゃんがひと息ついてると、
協力していた中にいたおじいさんが、
『あんた、よくがんばってるね。えらいね。ここまで大変だったろう。』
と、言葉をかけていた。
すると、おばあちゃんが、
👵『この人、45歳のときに、脳溢血になって、それからずっとこうなんです。』
👴『いやあ、よくがんばってるよ。あんた、いくつだい。』
👵『もう、87歳ですよ。』
👴『まだ、若い!若い!わしなんて、100歳だよ。今日、誕生日だから101歳だ。』
その言葉で、緊迫していた周りの人たちの顔がぱあっと明るくなった。
そして、帰りがけにそのおじいさんが、もう一度老夫婦のところにやってきて、
『お父さん、長生きしてよ。』と言って、手や身体を優しく、優しくさすっていった。
この光景を近くで見させてもらいながら、なんだか胸がいっぱいになってしまった。
傍目からみたら、
大変な旦那さんの介護をしている、かわいそうなおばあさんなのかもしれない。
だけど、今日はここが天国のように、みんなが優しい気持ちにさせられた。
そのたった一幕のなかに、たくさんの愛があった。
苦難。
そんなものは、ないに越したことはないのかもしれない。
すべてがうまくいって、思い通りで、毎日がハッピーだったらどんなにいいだろう。
だけど、そんな毎日だったら、
人と人が助け合うこともなければ、きっと幸せや愛というものもわからないで終わってしまうんだろうな。
それぞれに学びたいカリキュラムがあって、
それを体感するために、この世界を選んで生まれてきて、
人と出会い、私たちはお互いに学び合っている。
それはときに、
はたから見たら大変なことかもしれない。
だけど、
やはりすべてには意味があるのだと思う。
意味があって、私たちは人と出会っているのだと思う。
それは、本人にしかわからない、本人だからわかる
大切な意味が。
世界は自分がつくる。
その言葉をおばあさんにいったら、
『こんなひどい世界を私がつくるわけない!』
と思ってしまうのかな。
そしたら、悲しいな。
それは、◯◯のせいって意味じゃないんだけれど、
もっと受け入れられる言葉をつくれたらいいなと思った。
これは、今日の光景を見て私が感じたこと。
それは、
私の見ている世界の話。
この光景をみたとき、
ああ、こういう人たちが心からホッとできるような、
こういう人たちが、自分の人生これでよかったんだと思えるような本を書かなきゃいけない、
それが本を書くってことだろうって思った。
私にできるのは、
この感じてることをスルーしないってこと。
それが、なによりも私の見ている世界に影響を与えることだから✨
優先的に情報が受け取りたい方は、LINE@にご登録くださいね✨