こんにちは、ますみです!
女神のマルシェを終えて、という記事を書こうと思っていたのですが、別の書きたいものがでてきたので、そちらを先にアップしようと思います。
なお、こちらの文章は書き方も異なるので、少し違和感を感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、その辺は脇に置いておいてもらえると、大変嬉しいです
こういう内容のものって、こういう書き方の方が書きやすいんですよね・・・
ではでは、気になった方はこのままお読みくださいませ。
専門学校生の頃、友達に教えてもらって知ったラーメンズ。
短期間で片っ端から作品を観て、急速にラーメンズの面白さ、もとい小林賢太郎の類まれなる才能とパフォーマンス力、そして他者を受け入れないような、儚げで危うい存在感に惹かれていった。
それから約14年。
何度も舞台に足を運び、友達に作品の素晴らしさを伝え、フライヤーやチケットは全て保存するくらいの多少熱心なファンをやってきた。
しかし、時代は流れ、小林賢太郎は表舞台から去ってしまった。
そして、私も自然と彼の作品から遠ざかってしまった。
先日、仲良くなった職場の人と、バーに飲みにいった時のこと。
小林賢太郎の話になり、久しぶりに、YouTubeチャンネル「小林賢太郎のしごと」を訪れることとなった。
そこで、気になったのが再生回数。
小林賢太郎演劇作品がいくつか公開されている中、「ノケモノノケモノ」の再生回数が60万回と、他の作品よりも圧倒的に伸びていることに気づいた。
ちなみに、最も再生回数が多い演劇作品は「TAKE OFF 〜ライト三兄弟〜」で、現時点で104万回再生である。
このチャンネルができた当初から、演劇作品の中で唯一最初から公開されている作品であり、2007年に演劇ランキング1位(演劇ぶっく調べ)をとっている。
上演から10年後に、柿落としの会場となった神戸オリエンタル劇場で、みんなで作品を見ながら生解説をするイベントをやるほど、本人にとっても、多くのファンにとっても特別な作品なのだ。
なので、こちらは除外させていただく。
小林賢太郎が引退した後、一斉に公開された演劇作品の中で最も再生回数が伸びているのが、この「ノケモノノケモノ」ということだ。
私が言うのも失礼かもしれないが、この作品が上演された頃、正直そこまで目立って評価された作品ではなかった。
小林賢太郎らしい内容と美術、小ネタが散りばめられた作品で、どちらかというと新しいアイデアは少ない方。
音尾琢磨が主演であり、他のメンバーががっつり脇役に徹したことで、綺麗なまとまりのある作品におさまっていた。
「小林賢太郎の作品の割にあまり印象に残らない」ものだったのだ。
しかし、今もっとも再生回数が伸びているのには、当時とは別のところが刺さっているからなのだと思う。
おそらく、長年ラーメンズや小林賢太郎のファンをしてきた人のほとんどが作品に求めているのは、美しさや新しさ、知性をくすぐるような小ネタや遥かに上をいく発想と表現。
そこに、人間が心の奥底に隠してしまった純粋さを思い起こさせ、心震わせるストーリーが付随したものだと思う。
だが、今この作品が見られている理由は別の理由。
おそらく時代が関係しているのだと思う。
内面の変容と目覚めが加速しているこの時代に、この作品のメッセージが本当の意味で理解されてきているのだ。
上演された2014年。
この作品のメッセージを本当の意味で捉えられる人が、ほとんどいなかったのではないかと思う。
すでに「個性」が尊重されるようになってきており、ファッションや趣味など、多様な表現を臆することなくできるようになっていた時代。
しかし、「個性」とはいっても、表現できる幅が少し増えた程度だった。
少し奇抜なファッションをしていても、「そういう人もいるよね、最近多いよね」
ちょっと変わった趣味があることを人に言っても、「面白そうだね。いいんじゃない」
と許容されることが増えた、という感じ。
多くの人がここまで表現できているから、そこまでなら安心してできる、というような集団意識みたいなものは抜け出ていなかったと思う。
私もその1人で、こだわりの強さを出してもいいという安心感と、「私は人と違ってちょっとこだわりが強いんだよね。だからみんなが持ってるブランドに興味ないんだ〜」という自尊心みたいなものがあった。
「個性」をその程度に考えていた。
ノケモノノケモノを観た時も、音尾琢磨演じるハラミヤを「そういう人いるよね、でも私はそういうところから抜けてるもんね」と思い、作品の本当のメッセージを浅くしか理解しなかった。
今、この作品を改めて観て、この作品が伝える「個」とはもう一段深いものではないかと気づいたのだ。
『組織ではない、自分の話をしてみろ。』
『持ち物ではない、自分の話をしてみろ。』
『知り合いではない、自分の話をしてみろ。』
自分とは何か?
自分という存在、その在り方は何か?
ただの「その他大勢とは違う自分を表現するための鎧」ではなく、本当に深い、魂レベルでの「自分」を問うているのだと。
2022年、内面の変容と目覚めが加速している今。
60万回という再生回数は、自分がこの人生どう在りたいか?という本質的なところに気づき、目覚めている人が増えているこの時勢を表しているのではないかと思うのだ。
狩人に対する問いに答えられず、一度はパニックになるハラミヤ。
しかし、もう一度狩人のところに戻ってきたハラミヤの答えは、とても純粋で小さいもの。
『車の会社に勤めている。好きなんだ、車が。』
『これ、普通自動車免許。好きなんだ。車が。』
今後の自分がどうしていくか、どう生きていくのか、どう考えていくのか。
具体的な答えは何一つ出ていないが、「心を震わせるものが何か」を見つけたハラミヤ。
これもまた、目覚める人々に起きるものと同じだと思う。
使命とは?
この地球で成し遂げなければならないのは?
多くの人は、人生や役目のようなものを大きく、そして難しく捉えがちだが、実際はとても抽象的でシンプルだったりする。
人生で大事なのは、「何をするか」ではなく、「どう在るか」ということだからだ。
だから私は「使命」という言葉は使わず、「核」と言いたい。
私の核は、「自分も周りの人も笑顔であること」
ここが常に成し遂げられていたら、満ちたりた気持ちでこの世を去れると思う。
ハラミヤの見つけた核のように、とても純粋でシンプルで、ぱっと見小さいもののように感じるかもしれないが、心の炉に火が灯るような感覚がする何かを見つけられたら、とても強いと思う。
きっと、それに気づいた人、そして目覚めようとしている人に、この作品は支持されているのではないだろうか。
私も変容の真っ只中にいて、この作品を上演当時よりも一段階深く見ることができるようになった。
この変化が感じられて、とても面白いと思ったので、この記事を書こうと決めた。
「ノケモノノケモノ」という作品に興味を持ってもらえたら、
少しでもこの記事に共感してもらえたら、私はとても嬉しい。
最後までこの長文を読んでいただき、ありがとうございました。
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