“がんばれ”
この言葉はとても簡単に、よく使われます。
社交辞令のように飛び交う言葉です。
そこに、心からの願いや祈りや、思いはどのくらい込められているのでしょうか?
それで言葉の重さは変わってしまいます。
16年前の今日。
阪神・淡路大震災がありました。
神戸の街から空へいく本も延びる煙の帯・・・。
赤くメラメラと燃える炎。
コンクリートの塊の数々。
私の知っている神戸は、どこにもありませんでした。
報道で見知った情報が全てではない。
実際は・・・私の想像を遥かに超えた世界が広がっていたと・・・
今の震災時のマニュアルは、阪神淡路大震災を元に作られたものということ
(・・・と言うことは、大震災当時、今のようなシステムがなかったと言うことになります。
想像を絶します・・・。)
これらを、数年後に教えてもらいました。
去年、15年と言うひとつの節目で、神戸新聞社が公開した映像や写真の数々。
現場に立った記者のみなさんの話。
少しづつ、語ることができるようになった、被災者の方のお話。
今、初めて震災を知ったような想いになりました。
『がんばろうKOBE』
の言葉をユニフォームにつけた球団がありましたね。
誰に言われるのでもなく、誰に言うのでもなく、
自身で感じ、手と手を取り合い、立ち上がる力。
その時の掛け声が『がんばろうKOBE』
私が知った、がんばろうの中で、一番好きなものです。
今、伝えていかなくてはいけないと、記憶を語り始めた人がいます。
あらたに、がんばろう・・・そんな気持に心が呼応します。
聞かせてください、大切な記憶を。
私は、しっかりと心に刻んで、そして伝えていきたい。
祈ること・・・想いを馳せること。
心の中で色褪せることなく、生きていく大切な人のことを・・・。
『がんばろうKOBE』から、『がんばろうNIPPON』へと、この想いが広がりますように・・・。
神戸の街には、結ばれた心が生きています。
そして、天に召された命を想う、光がいつも絶やされることはありません。
真っ暗闇の中、旅立った人々が迷わないように、さみしくならないように
そして、自分はここにいるよと居場所を知らせるために
神戸は光で満ちているのだそうです。
優しい温かい光は、そこに命を感じるからかもしれません。
今、いまという時を、大切にしていきたい。
誰かのために、精一杯命の火を輝かせていきたい。
ここに、じぶんが、生かされていることに感謝し、祈ります。