新聞記事を読んでいたところ、ジャン・コルぺ写真集が目に留まった。明治41年、100年以上前のガラス原版を写真集にしたものである。早速、LAWSONネットショッピングで購入(4.482円)した。


1908年(明治41年)、4人のフランス青年が、アジア旅行に出た。彼らはまだ20代であった。その1人ジャン・コルぺ氏は、写真機でガラス原版に訪れた各所の風景や人物を撮影した。


北海道新聞引用


敦賀港


浅草


浅草の街並み


東京市内


東京市内電車通り


足尾鉱山で働く少女たち


濱朝子氏のコメントの一部




少女たちはどうなったのか?

足尾鉱毒事件

19世紀後半から栃木県と群馬県の渡良瀬川周辺で起きた公害事件

足尾鉱毒事件(あしおこうどくじけん)または足尾銅山鉱毒事件(あしおどうざんこうどくじけん)は、19世紀後半の明治時代初期から栃木県群馬県渡良瀬川周辺で起きた、日本初公害事件である。



足尾銅山の開発により排煙、鉱毒ガス、鉱毒水などの有害物質が周辺環境に著しい影響をもたらし、1890年代より栃木の政治家であった田中正造が中心となり[1]、国に問題提起するものの、加害者決定はされなかった。

1972年昭和47年)3月31日板橋明治を筆頭代理人とした群馬県太田市毛里田地区(旧・山田郡毛里田村)の被害農民(太田市毛里田地区鉱毒根絶期成同盟会)971名が、古河鉱業株式会社(現:古河機械金属株式会社)を相手とし、総理府中央公害審査委員会(後の総理府公害等調整委員会)に提訴。2年後の1974年(昭和49年)5月11日、調停(銅等の重金属汚染・土地改良事業・損害補償・自治体との公害防止協定など)を成立させた。「100年公害」と言われたこの事件の加害者をついに古河鉱業と断定、加害責任を認めさせるという歴史的な日となった。

足尾の精錬所は1980年代まで稼働し続け、2011年に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の影響で、渡良瀬川下流から基準値を超えるが検出されるなど、21世紀となった現在でも影響が残っている。 


ラン&ウォーキング日記


4月の目標 
 
119ヶ月連続45万歩(360km)以上に挑戦(既に達成した75万歩58ヵ月、100万歩連続60ヶ月含む) 

 

 2024年4月7日

 

累計歩数
156.265.222

 

距離 約125.011km

地球1周4万キロとして3.12528

 

①4月の目標 45万歩1日15.000歩(17.5km) 

 

②4月7日の実績

26.317(21.1km) 

③4月トータ175.945(140 .8km)

  達成率37.8%

 

今日も皆様へ素敵な1日が、訪れますように。