340,000人の治療実績を伝授する 増田流療法伝習会

340,000人の治療実績を伝授する 増田流療法伝習会

増田流療法伝習会の公式ページです
340,000人の治療実績をもとに、
からだや心の問題、
いままでの療法では 解決できなかった問題に、
しっかり改善できるよう
エネルギーと、技術を直接に伝授します

 

増田流療法・神界療法・増田流療法伝修会

(商標登録出願中)

増田流療法伝修会主宰

増田接骨院 増田次男

 


2024年8月東京は上野周辺にて、増田流エネルギー散策が開催されました。


◆秋葉神社

新御徒町駅から徒歩約3

火難除け、商売繁昌

明治2年、現在の秋葉原駅にあたる地域一帯で起きた大火災により、翌3年当時の東京府によって鎮火三神を祀る神社が創建されたのがはじまり。

以降、東京一円の火災鎮護の祈願所として広く信仰され「秋葉さま」の呼称で親しまれたことから、この地は「秋葉っ原」「秋葉の原」等と呼ばれ、これが現在の【秋葉原】の由来にもなっている。



◆榊神社

蔵前駅から徒歩約8  

健康長寿、諸業繁栄

景行天皇40110)、日本武尊は東夷征伐の途中、鳥越山(現:蔵前)に面足尊[オモダル]と惶根尊[カシコネ]の2柱を祀る神社を国家鎮護の神宮として創建し、白銅の宝鏡を納め、東国の平安を祈願しました。

この神宮は第六天神宮と呼ばれ、これが現在の「第六天榊神社」の始まりとされています。



◆本社三島神社 

金運上昇、厄除け

本社三島神社は、弘安4年(1281)河野通有が夢告を受け、伊予国一宮・大山祇神社の御分霊を上野忍岡の河野氏の館に奉斎したことに始まる。

慶安3年(1650)寛永寺の造営に伴い金杉村に遷座、さらに宝永6年(1709)浅草小揚町(現・寿)の現社地に遷座した。



◆寿不動院

金運商売繁盛健康長寿

寿不動院は慶長16年(1611年)に八丁堀に寺地を拝領して創建され、寛永12年(1635年)に浅草寺の裏鬼門として、浅草へ移転したと言われています。

平戸藩松浦家の江戸屋敷にあった良弁僧都作の不動明王像を、松浦家・江戸屋敷の鬼門にあった当寺に安置するようになったことから松浦家の祈願所として寄進を受けるようになったといいます。



◆八幡神社

出世開運、武運長久 

元禄13年(1700)庚辰89日田島山快楽院誓願寺に於て豊前の国(大分県)宇佐八幡宮の御神霊分神を祖の地に御奉遷す。爾来旧浅草田島町の鎮護として御祭りす。御維新前誓願寺にて進退し明治6年(18731月浅草神社社務兼勤の命を蒙る。



◆東京国立博物館

「神護寺展」

京都北郊の紅葉の名所、高雄の神護寺は、和気清麻呂(わけのきよまろ)が建立した高雄山寺を起源とします。

唐から帰国した空海が活動の拠点としたことから真言密教の出発点となりました。

本展は824年に正式に密教寺院となった神護寺創建1200年と空海生誕1250年を記念して開催されます。

平安初期彫刻の最高傑作である国宝「薬師如来立像」や、約230年ぶりの修復を終えた国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」など、空海ゆかりの宝物をはじめ、神護寺に受け継がれる貴重な文化財が紹介されています。


※東洋館地下ミュージアムシアター  「空海祈りの形」

空海は804年に唐に渡って密教を学び、正統な後継者となって日本にその教えを持ち帰りました。

823年に東寺を帝より託された空海は、密教の教えの中心となる建物を講堂と位置づけ、その建築に取りかかります。

空海が講堂内部に作り上げたのは、言葉では表現できない究極の教えを伝える世界観。密教彫刻の最高傑作である東寺講堂の立体曼荼羅の魅力をVRで解き明かしてゆきます。



◆東叡山護國院

千代田線根津駅から徒歩7

護國院は、東叡山寛永寺の子院のひとつで、寛永2(1625)天海僧正により東叡山が開かれたのと同時に、同僧正の命を受けた開基生順によって東叡山最初の子院として建立されました。

通称、護國院大黒天。

重文、愛染明王掛軸(巨勢相見筆)、三代将軍家光公寄贈の大黒天画像他が安置されている。



◆心城院(湯島聖天)

千代田線湯島駅より徒歩2分

夫婦和合、縁結び、家内安全、商売繁盛

元々湯島天神の別当寺であった天台宗喜見院の「宝珠弁財天堂」と称されていたが、元禄7(1694)年、喜見院第三世・宥海大僧都が、道真公とご縁の深い歓喜天(聖天さま)を弁財天堂に奉安したのが開基で、尊像は比叡山から勧請した慈覚大師円仁作と伝えられている。

ご本尊は、正式には大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)・大聖歓喜自在天・大聖歓喜双身天王などといい、通称「聖天さま」といわれる。ヒンズー教で信仰されている象頭人身のガネーシャという神様が、十一面観音さまの法力により仏教に取り入れられたもので、形像は主に象頭人身の単身と双身とがある。聖天さまは大変霊験あらたかで、仏教の守護神として崇拝され、その尊像は厨子の中に奉安されている「絶対秘仏」である。

なお、聖天さまには、大根・歓喜団(巾着型のお菓子)・御神酒などのお供えが不可欠とされる。

2024年7月28日(日)に渋谷で、第10回増田流療法伝習会が開催されました。

 

この伝習会では、優しく触れるだけで骨盤を整えたり、筋肉を一瞬で緩めて痛みを取ったりする増田流療法の全てを、創始者である増田次男先生が直接指導伝授する講習会で、不定期で開催されています。

 

今回も開催を心待ちにされていた多数の方々が日本全国から参加されました。

 

伝習会では、増田先生の講義と実技練習が行われます。


まずは、増田流療法の説明や事例のお話を聞いた後、個別にエネルギーの状態をチェックしながら増田先生からエネルギーを伝授して頂きます。


 

その後、実践的な増田流療法の実技指導。


 

合間には、エネルギーの使い方を色々と教えてくださいます。パワーストーンやスマホの浄化方法など、日々の生活で活かせる技術の指導など、皆さん、熱心に聞きいってらっしゃいました。



伝習会の後は、場所を移して親睦会。皆さん、増田先生と直接楽しそうにお話しされていました。



伝習会の後はフォローアップとして東京や関西の神社散策に参加したり、再伝授を受けたり、伝習会参加者のLINEで質問したりできます。

 

このように伝習会で増田先生の力をしっかり受け取って実践していけば、仕事に活かせますし、自分のセルフケアはもちろん、家族やペットのケアもしてあげられ、周りの方に喜んでいただけるようになります。

 

ご興味のある方は、是非次回の伝習会開催をお待ちください。次回日程は、こちらのブログ、または増田次男先生のFacebookでお知らせします。

 

 

 

7月28日(日)増田流療法伝習会に参加される皆様へ

先日、増田流療法伝習会に参加される方向けに、「アットビジネスセンター渋谷東口駅前」までのアクセスをブログでお知らせしましたが、その後、JR渋谷駅に新しい商業施設「渋谷サクラステージ」がオープンしたことに伴い、今までの「新南改札」が移動したとニュースで報じられました。

そこで「新南改札」の移動により、会場アクセスに一番近いとお知らせした「南改札」の位置がどうなっているか確認に行ってきました。

名前が似ているので混同しやすいですが、移動して新しくオープンした「新南改札」(「新南口」と言われることもある)は、伝習会会場から、かなり離れた位置にあることが判明しました。

誤って「新南改札」に出てしまうと、会場近くの渋谷ヒカリエに着くまでに徒歩で10分くらいかかります。迷ったらもっとかかるでしょう。

猛暑の中、外を10分歩くのは大変ですので、JRで参加される方は必ず「南改札」に出て下さい。南改札からの道順はブログでお知らせした通り変わっておりませんでした。

伝習会に参加される方は再度ご確認をお願い致します。

くれぐれも「新南改札」に誘導されませぬよう、ご注意下さいませ。

「新南改札」は3階にあるので、ホームからは上に誘導されると思うのでご注意下さい。




会場へのアクセスはこちら↓


2024年7月東京、四ツ谷・市ヶ谷方面にて増田流エネルギー散策が開催されました。


◆大京神社 

火防守護、家内安全、商売繁盛

元々は、当地に屋敷を構えていた大久保右京亮教隆・教勝の邸内社で、当時は、

秋葉神社と称していたという。昭和18年に、当社が鎮座している右京町と隣町の大番町が合併し、大京町となったたなったため、そのまま当社の社名も変更されたという。



◆四谷於岩稲荷田宮神社

商売繁盛,開運

創建年代は不明。元々は田宮家の屋敷神として祀られていた稲荷神の祠が起源である。

四谷怪談が広く知られるようになり、当社の信仰が盛んになった。1879年に火災に遭い、東京都中央区に移転した。これが、現在の中央区新川にある於岩稲荷田宮神社である。



◆陽運寺

厄除け、ご縁事、芸能

山梨県、身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗の寺院です。茨城県水戸市にある本山久昌寺の貫首であった蓮牙院日建上人が昭和の初め頃建立しました。当寺は江戸、文政年代に活躍した四世鶴屋南北作「東海道四谷怪談」で有名なお岩様をお祀りしていることから「於岩稲荷(おいわいなり)」とも呼ばれています。



◆須賀神社

四谷駅徒歩10分



映画「君の名は」の聖地として有名な須賀神社。こちらの階段が映画のラストやポスターに登場します。

須賀神社は江戸初期より四谷の地に鎮座する、四谷十八ヵ町の鎮守様。毎年六月に行われる御祭礼は、古くは四谷の「天王祭り」といわれ、江戸の五大祭りの一つとして有名であった。社名の須賀とは、須佐之男命が出雲の国の簸の川上に、八俣の大蛇を討ち平らげ拾い「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」と宣り給いて、宮居を占め給いし故事に基づき名付けられた。

主祭神は須佐之男命(須賀大神)と宇迦能御魂神(稲荷大神)。主祭神の左右には櫛稲姫を始め八柱の御子を祀る。
五男神 : 天忍穂耳命・天穂日命・天津彦根命・熊野樟日命・活津彦根命
三女神 : 多紀理姫命・市杵島姫命・多岐都姫命



◆市谷亀岡八幡宮 

衣食住安泰、家内安全、商売繁盛

当神社は太田道灌が1479年、江戸城築城の際に西方の守護神として鎌倉の鶴岡八幡宮の

 分霊を祀ったのが始まりである。「鶴岡」に対して亀岡八幡宮と称した。当時は市谷御門の中にあった。しかし、その後戦火にさらされ荒廃していったが、江戸時代に入り1636年頃に江戸城の外堀が出来たのを機に現在地に移転。 市谷亀岡八幡宮は三代将軍・徳川家光や桂昌院などの信仰を得て、神社が再興された。



◆小日向神社

出世開運勝運

氷川神社は940年春、常陸国国司であった平貞盛が当地を平定し、その奉賛として文京区水道2丁目付近にあった曹洞宗日輪寺の蓮華山に創建された後、太田道灌により再興され小日向の鎮守として栄えた。

八幡神社は860年創建され、往時の名を「田中八幡」といい、現在の文京区音羽1丁目に鎮座していて、古くからこの地域の氏神さまとして里人に親しまれていた。18699月に両社が合祀され、1871小日向神社と改称された。



◆北野神社

学業成就厄除け

1182年(寿永元年)[源頼朝が当地にあった岩に腰掛け休息した際、夢に牛に乗った菅原道真のご神託を受け、1184年(元暦元年)頼朝がこの岩を奉り当社を創立した。



◆東京カテドラル聖マリア大聖堂


カトリック東京大司教区の司教座聖堂であり、教会堂名が「無原罪の聖母」であることから、東京カテドラル聖マリア大聖堂として知られている。

丹下健三氏の設計により、19634月に起工、1964128日落成、献堂式が行われました。聖堂内にはケルン教区から贈られた聖フランシスコ・ザビエルの胸像や三博士の聖遺物をはじめ、聖ヨハネ・パウロ二世教皇、聖ファウスティナ・コヴァルスカの聖遺物が安置されています。




◆今宮神社

病気平癒

1697年に創建された。江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の母桂昌院の発願により、京都の今宮神社より分霊を勧請して創建された。元々は同区護国寺の寺内に位置していたが、明治の神仏分離により、現在地に移転した。



◆正八幡神社 

縁結び・恋愛成就 · 商売繁盛 

創建年代は不明である。別名を「関口八幡宮」ともいい、目白台の水神社にあった「椿山八幡宮」を「下の宮」と呼ぶのに対し、当社は「上の宮」と呼ばれていた。関口地区の鎮守である。



◆赤城神社

神楽坂駅徒歩2分

新宿区赤城元町にある神社。岩筒雄命と赤城姫命を祀る。岩筒雄命は火の神である迦具土神より生まれ、経津主神の親神にあたるという。赤城姫命は一説によると神社を創建した大胡氏の息女と伝わり、別当寺である東覚寺の本地仏であった。



◆螢雪天神(赤城神社境内)

良縁成就や安産、夫婦円満


江戸中期、学問の神として崇められている菅原道真公を祀り、横寺町に鎮座して北野神社又は朝日天満宮と称されていたが、氏子、信徒なく、18763月当境内に遷座。その後、戦災により焼失したものを、200510月、現在横寺町にある、旺文社の御寄付により、全国の受験生への合格祈願の守護神『螢雪天神(けいせつてんじん)』として復興したものである。



◆一行院 

縁結び

1626年(寛永3年)、本誉春貞によって開山された。秋元三太夫の屋敷内に創建されたのが起源である。1817年(文化14年)、浄土宗の名僧徳本行者によって堂宇を改築して中興した。そして徳本行者の江戸滞在中の拠点とした。



※今回はお参り中、霊感の強い参加者さんに大国主様が乗り移られるという事件がありました。その方の様子が一変し我々の方を向き直って印を切った途端に、つけていた水晶のブレスレットが切れてバラバラと飛び散り、エネルギーの強さがかんじられました。

参加者さんは以前からそう言うことは時々あったそうですが、ご自分でそう言った力を封印されていたとのこと。今回は増田先生が同行されていたので安心していたとのことで、すぐに増田先生がケアされて通常の状態に戻られました。


2024年6月、船橋市方面において増田流エネルギー散策が開催されました。


◆八王子神社
五穀豊穣、商売繁盛、金運上昇
船橋新京成バスで古和釜十字路下車徒歩5分

社伝によれば古和釜地域周辺の鎮守として平安初期の807年(大同2年)に創建されたと言い伝えられている古社である。



◆御嶽神社
厄除け、お祓い
新京成前原駅下車→徒歩6分

ここ千葉県船橋市前原は江戸時代の開拓地で、当時非常に苦しい生活の時代であった1673に初代上東野新助氏が江戸鍛冶橋の行者釈仙竜師を伴い、前原開拓地3ヶ村 の守護神として蔵王権現を大和の大峰山から奉遷し、住民の崇敬をあつめて村作りが行われ、それ以来開拓地の精神的シンボルとなって前原の地に根付いています。



◆二宮神社
縁結び、夫婦円満、子授け
津田沼駅 「二宮神社行」乗車→終点下車(約20分)

当社の創立は、810年〜823年で、嵯峨天皇の御勅創によるものであると伝えられています。また、905年に編纂された「延喜式」の「神名帳」にある「千葉郡二座(並小)」の一座である「寒川神社」 であったといわれています。この「寒川」とは、「清冷な泉流」「聖なる流れ」を意味します。



◆金蔵寺
安産・厄除け・家内安全
「滝不動駅」下車。北西へ徒歩約10分。

現在の境内付近は夜も明るくなるほど輝き付近の村人を恐れさせていました。1423年正月に、越後国から常陸国の守護大名佐竹義仁に招かれ、通りかかった能勝阿闍梨がこれをあやしく思い、二十一日間の護摩を修すると、ある夜、夢に円仁があらわれ、自身が心をこめて刻んだ不動尊がこの地に埋まっているとのお告げを受けました。早速、金杉の村人の協力を得てその場所を掘ると円仁作を記した木造があらわれ

 ました。その掘った跡から水が湧き出し、滝となったといいます。そのことがきっかけとなり、御瀧信仰が起こり、小堂をたて木像が安置され、今に続いています。


◆茂侶神社
商売繁盛 · 除災厄除 · 芸能上達 · 金運
船橋競馬場駅から徒歩約12分

茂侶神社の創建年代等は不詳ですが、延長5年(927)に作成された延喜式神名帳に記載されている

「茂侶神社」に比定される社であるといい、明治時代には村社に列格していたといいます。


◆船橋大神宮(意富比神社、常磐神社)
家内安全、夫婦円満、産業発展
景行天皇40年、皇子日本武尊が東国御平定の折、当地にて平定成就と旱天に苦しんでいた住民のために
 天照皇大御神を祀り祈願された処、御神徳の顕現がありました。これが当宮の創始であります。
平安時代、延長5年(927)に編纂が完成した『延喜式』にも当宮が記載されており、式内社としての歴史を知ることができます。



◆常磐神社

常盤神社は船橋大神宮の中に祀られている御社。東照宮とも称され江戸時代からの観光名所であった。

御祭神は日本武尊、徳川家康公と徳川秀忠公。いずれも船橋大神宮の創建や中興に関わった歴史上の英雄である。御由緒書によると、秀忠公が家康公の前歯をお祀りし勧請し、家光公が秀忠公の像をお祀りしたとある。



◆龍神社
縁結び・恋愛成就 · 商売繁盛

海神駅から徒歩約6分

元々は海辺に面し、日本武尊が下総国に最初に上陸した場所とされ、「入日神社」か当神社、あるいは両社が鎮座地の「海神」という地名の由来になったといわれる。即ち、日本武尊が征夷のため下総国に上陸したが、鎮圧に手こずり、天照大神に祈ると、海から光る船が近づいてきた。よく見ると、柱に鏡が掛けられており、これを霊代として祀ったところ、間もなく平定することができたということである。

2024年7月28日(日)増田流療法伝習会に参加される皆様へ会場までの道順をお知らせいたします。


◆2024年7月28日(日)増田流療法伝習会・会場までのアクセス

 

会場場所は「アットビジネスセンター渋谷東口駅前」305号室です。

住所 〒150-0002 東京都渋谷区渋谷2丁目22−8 3階


ヒカリエから徒歩5分以内です

サイトをご覧になりますと、グーグルマップでも見ることができますこちら


今回は見やすい案内図でご説明致します。



◆JRでお越しになる方は渋谷駅南改札を出て下さい。(渋谷駅からヒカリエデッキを渡ってB5出口に出ることもできますが、ここでは南改札からの道順でご説明致します。)


◆東急「東横線」「田園都市線」、東京メトロ「半蔵門線」「副都心線」ご利用の方はB5番出口、JR東口広場方面に出て下さい。B5番出口というのはヒカリエ全体のことを意味しますので、必ず東口広場方面B5出口で出て下さい。インフォルメーションでお尋ねになると教えて貰えます。


◆「銀座線」ご利用の方もJR東口広場方面出口に出て下さい。


★★★★★★★★★★


JR南改札を出ると東口はこちら→という案内がありますので、東口方面に向かいます。

上部に案内がありますので、看板通りに右へ↓



するとこのようなところに出ますので、左へ進みます↓



そのまま出ると右手にバス🚌発着場かありますので、そのまま進みます↓




そのまま道なりに緩やかに右折しながら進みます↓



すると正面に「りそな銀行」がある交差点に出ます。この交差点を渡り「りそな銀行」の前に出ます↓



交差点を渡ったら、そこで右折します↓




そのまま直進すると、左手に銀座線の出口が見えてきます↓




そのまま銀座線改札口を左手に見ながら直進すると、すぐにヒカリエB5出口が見えてきます↓



JR線、銀座線でお越しの方はB5出口を左手に見ながら直進します。

B5出口から出られた方は左折します↓



しばらく歩くと「銀だこ」の看板のある小さな交差点(信号🚥無し)に出ますので、銀だこ側に渡り左折します↓



そのまま20mくらい進むと右手に「錦」という中華屋さんがあります。その隣がアットビジネスセンター(ABC)渋谷駅東口駅前のあるビルです↓





「名取ビル」と書かれたビルです↓

 


入りまして、左手のエレベーターで3階までお上がりくださいませ↓

 


3階に上がりましたら左へお進みください↓



お部屋の前でスタッフがお待ちしております。

 

お気をつけてお越しくださいませ。

 

開場は10分前、午後1時50分からとなります。

 


★★★★★★


迷われたり、遅れる場合には事務局へご連絡ください。

当日連絡先:080-4420-4017

 

 

2024年6月、奈良県において増田流奈良エネルギー散策が開催されました。



◆宝山寺

0743-73-2006第一駐車場




生駒山は伝承によれば655年に役行者が開いたとされる修験道場で、空海も修行したと伝わる。その当時は都史陀山 大聖無動寺という名であったという。1678年に湛海律師が再興するが、この時が事実上の開山だと思われる。1680年正月には村人や郡山藩家老らの援助により仮本堂が建立され、後には大聖歓喜天を鎮守として祀った。1688年には新本堂が完成して伽藍の整備が終わり、寺名を寳山寺と改めた。



◆往馬大社 

0743-77-8001




創建の年代は不詳であるが、生駒谷十七郷の氏神としてこの地に鎮座し、奈良県内では大神神社や石上神宮と

 同様に神奈備(生駒山)を御神体として祀られた日本有数の古社である。また、神社の境内を覆う鎮守の杜は

奈良県の天然記念物に指定されている。



◆添御県坐神社(そうのみあがたにいますじんじゃ

047-243-1428




武乳速之命は大和の先住民の首長・長髄彦で、神武東征による大和平定の際に、捲土重来を期して蜂起を図る

先住民を説き伏せた上自害し、これを惜しんだ遺民が当地にその霊を祀ったのが鎮座の起源という。しかし明治時代以降、神武天皇敬仰の風潮の中で本名を表出することを憚り改称したという。



◆松尾寺

0743-53-5023




天武天皇の皇子・舎人親王が718年に42歳の厄年であったためにその厄除けと「日本書紀」編纂の完成を祈願して建立したと伝わる。なお、松尾寺の北方の矢田丘陵に位置する鍋藏山東明寺も舎人親王の開基と伝える。



◆薬師寺

0742-33-6001




散策当日、偶然に参加者のご縁で現薬師寺管主・加藤朝胤様にお目にかかることが出来ました。法話や講演でお忙しく、滅多にお会いできないと言う管主様に会えると言う奇跡のような出来事でした。


天武天皇が後の持統天皇である鵜野讃良(うののさらら)皇后の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願し百僧を得度させたとある。薬師寺東塔の屋上にある相輪支柱に刻まれた「東塔檫銘」にも同趣旨の記述がある。

しかし、天武天皇は寺の完成を見ずに686年没し、伽藍整備は持統天皇、文武天皇の代に引き継がれた。



◆元石清水八幡神社

0742-62-3240



元石清水八幡宮は、807817日 奈良 南都七大寺の一つである大安寺の鎮守として建立されました。

最澄・空海も修行したと記録される大安寺の僧 行教和尚が遣唐使としての帰途、大分県宇佐神宮の第一祭神 

 八幡大神(応神天皇)からのお告げで、宇佐神宮より南部大安寺本房第七院石清水房に勧請いたしました。



◆大安寺

0742-61-6312




当寺の歴史については、747年の『大安寺伽藍縁起并流記資財帳』と正史『日本書紀』『続日本紀』の記述が

 根本史料となっている。これによれば、病床の聖徳太子を田村皇子が見舞った際に、皇子に「熊凝精舎」を大寺として造営してほしいと告げた、という。南都七大寺の1つで、奈良時代から平安時代前半までは、東大寺や興福寺と並ぶ大寺であった。現在は癌封じの寺として有名である。



◆率川神社

0742-22-0832



大神神社の境外摂社で、正式名称を率川坐大神御子神社といい、また子守明神とも呼ばれる。

 推古天皇元年593年大三輪君白堤が勅命により神武天皇の皇后である媛蹈韛五十鈴姫命を祭神として奉斎したとされ、奈良市最古の神社という。後に元正天皇によって本殿の右側には媛蹈韛五十鈴姫命の父神である

狭井大神を、左側には母神である玉櫛姫命が祀られるようになった。




2024年5月、世田谷方面において増田流東京エネルギー散策が開催されました。



◆平田神社

南新宿駅より徒歩5



平田神社は、復古神道を創始して古典文化の復興に寄与し、その学問は「草莽の国学」として日本近代化のさきがけとなり、明治維新の原動力の源泉ともなった江戸時代後期の国学者平田篤胤を祭祀する神社で、篤胤は没後1845年「神霊真柱大人(かむたまのみはしらのうし)」の諡名霊神号を白川伯王家より賜っている。

学問文化、医学健康、豊かな生活(財運)、世直しの霊験あらたかな神社として知られ、近年は、神代文字の御朱印が評判になっている。



稲荷森稲荷神社

千歳船橋駅から100m

家内安全、交通安全、健康安穏



境内に残されている庚申塔に「延宝(1673年〜1681年)の銘が入っている事、1953年まで当社の隣に湧水池があり、当地では貴重な水源だったことから、当地に人が定住するようになってから創建した

 ものと推測される。静御前が参詣したという伝説も残されている。



◆赤堤六所神社

松原駅から300m
商売繁盛、五穀豊穣、良縁祈願


 1584年に創建された。平貞盛の末裔の服部貞殷が、武蔵国府中の武蔵総社六所宮(現大國魂神社)の分霊を勧請して創建したのが起源である。服部家の祈願所という位置づけの神社であったが、近隣住民の崇敬も厚く、赤堤村の鎮守でもあった。旧別当寺は、服部家ゆかりの西福寺である。



◆身代り不動尊

上北沢駅から900m

厄除、交通安全祈願


元禄年間に武蔵の国荏原郡に悪疫が流行した際、諸国を行脚していた祐天上人が不動尊を尊信するよう教え、土地の人々がこれを信仰したところ悪疫が去り、本尊の霊験あらたかなるに感謝して堂宇を建て神社に安置したものです。 

その後、明治維新の際の排仏棄釈に会い一時民家に移されましたが、開山喜衆聖人が明治37年に開眼法要をなして現在の場所に移しました。



◆扶桑教太祠

明大前駅から140m

縁結び、安産



冨士道開祖、藤原角行師は、1752年六月三日冨士山頂に立ち「天地平安 萬人安福」を真願として冨士道をひらかれます。江戸時代には各地に冨士講が組織され、「八百八町に八百八講あり、講中八万人」と謳われました。

当宮は明治十五年、冨士講を統合し明治天皇の勅裁を賜り、神道扶桑教として特立されました。



◆牟礼神明社

三鷹台駅から700m

家内安全、五穀豊穣


1537北条氏綱の家臣北条冶部少輔綱種(牟礼の高橋家の祖)が深大寺城に対峙した際、当地陣内守護として飯倉神明宮の御分霊を勧請して創建、明治元年稲荷山(高山)に祀られていた稲荷神社を合殿したといいます。


◆久我山稲荷神社

久我山駅から400m

縁結び、恋愛成就、商売繁盛




 創立年代は明らかではないが、古来より久我山村の鎮守として祀られていた。『新編武蔵風土記稿』によると、別当寺は新義真言宗久盛山弥勒院光明寺であった。1907年には字北原にあった天祖神社を合祀した。昭和16年(1941年)には村社になった。



◆永福稲荷神社

永福町駅から400m

家内安全、商売繁盛




社伝によれば1530年に永福寺の開山秀天和尚が、永福寺境内の鎮守として、伊勢外宮より豊受大神を勧請したものされている。このように寺の鎮守として祀られたわけだが、1639年の検地の際に、永福寺村持ちの鎮守になったといわれている。


2024年7月期 増田流療法伝修会開講のお知らせ

370,000人の治療実績をもとに

治療現場においていままでの療法では 解決できなかった問題に

しっかり改善するエネルギーと技術を直接に 伝授いたします。

治療現場ではクライアント様からの

「なかなか改善できない 身体や心の苦しみ」や

治療に関わることで気がつく「目に見えないフィールド」 にぶつかることはないでしょうか?

しかし、いままでの様々な療法においては

一部の解決にしかいたらないことが ほとんどです。

私は治療の実務者として研究を続け、お客様の痛みを解決し続けています。「他では見られない成果」 とありがたい評価をいただいております。

そして、いつしか治療院としても成功につながりました。

この恩恵に感謝するとともに、このエネルギーと技術が必要な方の手に 届けばと思い心ある方に治療者として、治療院経営者としての成功のすべてを 伝授いたします。

増田流療法伝習会で学べること

・治療現場で結果を出しているエネルギーが使えるようになりま  す。

・エネルギー感覚が実感できるようになります。

・当日からすぐに治療現場で使えるエネルギーが学べます。

・手をかざす、触れるだけで、押したり、揉んだりしないので、

 体力、筋力がなくても治療出来ます。

・疲れませんし、1時間で10人以上の治療が出来ます。

・いろいろな動物の症状にも対応出来ます。

・施術家向けですが、一般の方も、家族や友人、ペットの不調に    

 も施術出来ます。

・神社仏閣で神仏とも交流出来るようになります。

■講義内容

講義-1 基本実習と伝授会 

◆「増田流療法伝習会についての思い」 

◎増田流療法伝授

・伝受後の修正実習

・実際の現場ですぐに役立つ施術 

講義-2 増田流療法者としての心得と実践技術   

◆エネルギー技術を上げるための伝授

◎セルフ修正の伝授

・ エネルギーで出来ること

・「技」「術」「心」を磨く増田流療法者としての心得

・からだの修正全般のチェック

増田接骨院は、福島県の人口も少ない山腹にある接骨院です。

しかし、日に60人を超える患者様がいらしています。

いま、東京の街中の好立地でもそれはありえないことです。

もし、増田流療法の力を得たら

あなたの治療院は変わるのではないでしょうか?

伝授者様からのご感想としては

・患者様が自転車事故で痛めて全く曲げられなかった膝が普通に膝を曲げて椅子に座れるようになりました。

・エネルギー治療3分で痛くないと感動された

・治療後、症状の消失をみました

・エネルギー治療に反対だった母が施術後に「もっとしっかり勉強してきて」と、応援してくれるようになった

・身体が楽で腰も膝も痛みが無くなり、よく歩けた

・首や腰を捻った時の左右差が無くなりとても良かった

 など次々と効果のご報告が寄せられています

増田流療法伝修会

  -募集案内-

■ 日程

 2024年7月28日(日) 午後2時~5時

■ 伝授費用 

通常価格 330,000円(税込み)

*再受講30,000円(税込み) 最新の伝授をします。

■講義内容

講義-1 基本実習と伝授

講義-2 増田流療法者としての心得と実践技術

肩こりや、腰痛はもちろん

いままでの施術で及ばなかったものにも

実感をもってすすめていけます。

参加ご希望の方は、下記の連絡先までご連絡下さい。

詳細と振り込み先をお知らせします。

■場所 渋谷区内

お申し込みいただいた方に後ほどご連絡いたします。

■申し込み連絡先

 cinanzengtian1@gmail.com

お問い合わせに関しましてもこちらにお願いいたしまします。

フェィスブックでも情報をお届けしています

■講師及び主宰

増田流療法伝修会主宰

増田接骨院 増田次男

増田流療法・神界療法・増田流療法伝修会

 商標登録済

2024年4月21日に京都.大原方面にて、増田流エネルギー散策が開催されました。

 

 

◆古知谷 阿弥陀寺

左京区大原古知平町83  075-744-2048 p

 





1609年3月、弾誓(たんぜい)上人が開山した念仏道場である。開山から4年後の1613年5月23日、弾誓は当寺で62歳で示寂した。弾誓は体質を樹脂化したうえで自ら石棺に入り即身仏となったと伝えられる。

当寺の本堂脇の巌窟内の石棺には弾誓の遺骸(即身仏)が安置されている。日本で最南端かつ最西端の即身仏とされるが、明治初年に現在の石棺に収められた後は一切公開されていない。体の保存状態が良くなかったことが原因と考えられているが、詳しい理由はわかっていない。石棺にはすぐ近くまで行くことができる。

 

 

◆宝泉院

左京区大原勝林院町187   075-744-2409

 



実光院とともに大原寺勝林院の塔頭の一つとして創建される。『声明目録』を著すなど声明の大家として知られる宗快法印によって嘉禎年間(1235年 - 1238年)に創建され、当初は了性坊と呼ばれていた。了性坊は文正年間(1466年 - 1467年)まで記録に残るが以降は断絶したとされる。

 

 

◆勝林院

左京区大原勝林院町187  075-744-2409

 



当寺は、835年、円仁(慈覚大師)によって開かれたと伝えられる。円仁は唐で経典などに独特の旋律を付けて唱える声明を学んできており、この地にそれを伝えた。しかし、その後寺は荒廃してしまう。 1013年、寂源によって復興され、勝林院が建立された。

 

 

◆実光院

左京区大原勝林院町187   075-744-2537

 




宝泉院とともに大原寺勝林院の塔頭の一つとして創建される。その後、後鳥羽天皇第10皇子の梶井宮門跡尊快法親王により、境内に後鳥羽天皇と順徳天皇の遺骨を安置して陵が造成された。後に廃れてしまったが、応永年間に宗信法印によって復興された。

 

 

◆三千院

左京区大原来迎院町540  075-744-2531

 




三千院は8世紀、最澄の時代に比叡山に建立された円融房に起源を持ち、後に比叡山東麓の坂本に移され、たび重なる移転の後、明治4年に現在地に移ったものである。「三千院」あるいは「三千院門跡」という寺名は大原に移転して以降使われるようになったもので、それ以前は「円融院」「円徳院」「梨本門跡」「梶井宮」などと呼ばれた。

 

 

◆勝手神社 



勝手神社は1125年融通念仏の祖である聖応大師・良忍が大和多武峰から声明道の守護神として勧請した言われています。その後三千院・来迎院などの魚山の守護神として崇敬されるようになりました。

 


◆出世稲荷神社

左京区大原来迎院町148 075-744-4070

 




元は豊臣秀吉の聚楽第の邸内社として創建されたものである。豊臣秀吉は幼いころから稲荷神を信仰しており、1587年に造営した聚楽第にも稲荷神を勧請した。翌年、後陽成天皇が聚楽第に行幸し、稲荷社に参拝したときに、立身出世を遂げた秀吉に因んで「出世稲荷」の号を授けたという。

 

 

◆雨宝院

上京区智恵光院通上立売西入上ル聖天町9-3  075-441-8678



伝承によれば、821年に空海が嵯峨天皇の病気平癒のために天皇等身の歓喜天を一刀三礼し、祈願して霊験を発して以来、東寺とともに皇城鎮護として栄えた大伽藍だったという。

 

◆上賀茂神社

京都市北区上賀茂本山339  075-781-0011

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賀茂別雷神社は通称「上賀茂神社」「上社」の名で親しまれる。御祭神は賀茂別雷大神。国宝2棟、重要文化財41棟を含む広大な敷地は全てユネスコ世界文化遺産に登録されている。