2024年6月増田流エネルギー散策【奈良】 | 340,000人の治療実績を伝授する 増田流療法伝習会

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2024年6月、奈良県において増田流奈良エネルギー散策が開催されました。



◆宝山寺

0743-73-2006第一駐車場




生駒山は伝承によれば655年に役行者が開いたとされる修験道場で、空海も修行したと伝わる。その当時は都史陀山 大聖無動寺という名であったという。1678年に湛海律師が再興するが、この時が事実上の開山だと思われる。1680年正月には村人や郡山藩家老らの援助により仮本堂が建立され、後には大聖歓喜天を鎮守として祀った。1688年には新本堂が完成して伽藍の整備が終わり、寺名を寳山寺と改めた。



◆往馬大社 

0743-77-8001




創建の年代は不詳であるが、生駒谷十七郷の氏神としてこの地に鎮座し、奈良県内では大神神社や石上神宮と

 同様に神奈備(生駒山)を御神体として祀られた日本有数の古社である。また、神社の境内を覆う鎮守の杜は

奈良県の天然記念物に指定されている。



◆添御県坐神社(そうのみあがたにいますじんじゃ

047-243-1428




武乳速之命は大和の先住民の首長・長髄彦で、神武東征による大和平定の際に、捲土重来を期して蜂起を図る

先住民を説き伏せた上自害し、これを惜しんだ遺民が当地にその霊を祀ったのが鎮座の起源という。しかし明治時代以降、神武天皇敬仰の風潮の中で本名を表出することを憚り改称したという。



◆松尾寺

0743-53-5023




天武天皇の皇子・舎人親王が718年に42歳の厄年であったためにその厄除けと「日本書紀」編纂の完成を祈願して建立したと伝わる。なお、松尾寺の北方の矢田丘陵に位置する鍋藏山東明寺も舎人親王の開基と伝える。



◆薬師寺

0742-33-6001




散策当日、偶然に参加者のご縁で現薬師寺管主・加藤朝胤様にお目にかかることが出来ました。法話や講演でお忙しく、滅多にお会いできないと言う管主様に会えると言う奇跡のような出来事でした。


天武天皇が後の持統天皇である鵜野讃良(うののさらら)皇后の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願し百僧を得度させたとある。薬師寺東塔の屋上にある相輪支柱に刻まれた「東塔檫銘」にも同趣旨の記述がある。

しかし、天武天皇は寺の完成を見ずに686年没し、伽藍整備は持統天皇、文武天皇の代に引き継がれた。



◆元石清水八幡神社

0742-62-3240



元石清水八幡宮は、807817日 奈良 南都七大寺の一つである大安寺の鎮守として建立されました。

最澄・空海も修行したと記録される大安寺の僧 行教和尚が遣唐使としての帰途、大分県宇佐神宮の第一祭神 

 八幡大神(応神天皇)からのお告げで、宇佐神宮より南部大安寺本房第七院石清水房に勧請いたしました。



◆大安寺

0742-61-6312




当寺の歴史については、747年の『大安寺伽藍縁起并流記資財帳』と正史『日本書紀』『続日本紀』の記述が

 根本史料となっている。これによれば、病床の聖徳太子を田村皇子が見舞った際に、皇子に「熊凝精舎」を大寺として造営してほしいと告げた、という。南都七大寺の1つで、奈良時代から平安時代前半までは、東大寺や興福寺と並ぶ大寺であった。現在は癌封じの寺として有名である。



◆率川神社

0742-22-0832



大神神社の境外摂社で、正式名称を率川坐大神御子神社といい、また子守明神とも呼ばれる。

 推古天皇元年593年大三輪君白堤が勅命により神武天皇の皇后である媛蹈韛五十鈴姫命を祭神として奉斎したとされ、奈良市最古の神社という。後に元正天皇によって本殿の右側には媛蹈韛五十鈴姫命の父神である

狭井大神を、左側には母神である玉櫛姫命が祀られるようになった。