増田恵美です。

 

 

 

土曜日に富士市で開催された『いのちと心のおはなし会』

おはなし会では、お話を聴いた後に、自分の経験をシェアする時間があります。

 

 

 

 

東京でのおはなし会では、長男出産時のエピソードをお話しました。

今回、「何を話そう…」

綺麗な富士山を見て思い出した、富士山にまつわるエピソードをお話したので、記録しておきますね。

 

 

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私の弟は、1980年8月14日の富士山大規模落石事故の被災者です。

 

 

 

 

私は高校2年生の夏休み、アメリカに行っていました。

帰国する飛行機に乗るため、ロサンゼルス空港に行くと、旅行代理店の男性が

お父さん「知ってます?日本では富士山が爆発したんですよ」

お母さん「ええ~!」

お父さん「というのは嘘で、大きな岩がゴロゴロ落ちて、沢山の死傷者が出ました」

お母さん「あらら」

 

 

 

 

成田空港に着くと、母が迎えに来ていました。

弟も来るはずだったので

「ひーくんは?」と聞くと

「うちで留守番してる」

 

 

 

 

家に戻ると、大きなギプスをつけた弟が寝ていました。

 

 

 

 

「どうしたの?」

 

母が話し始めました。

父の友人が、自分の子どもと富士登山をするのに、弟を連れて行ってくれたこと。

昼頃に頂上に着き、下山している頃に、テレビの速報で、富士山で落石事故が起きたことを知ったこと。

 

 

 

 

今なら「マジかよ!」ですが、当時は「マジかよ」という言葉は使ってなかったかな。

 

 

 

 

携帯電話の無い時代、家で連絡を待つしかありません。

テレビでは、死者が出ていると報道されていたそうです。

 

 

 

 


暗くなるまで連絡を待ち、両親が出した結論は

「遺体確認に行こう」

出掛ける準備をしているところに電話が鳴りました。

 

 

 

 

「申し訳ない。怪我をさせてしまいました」

連れて行ってくれていた父の友人が、離れ離れになってしまった弟を見つけ、泣きながら電話をかけてきたそうです。

 

 

 

 

怪我だけで済んで良かった。

命があって良かった。

 

 

 

 

当時中学2年生だった弟は、テニス少年。

足も速かったし、運動神経抜群でした。(今はトドのような体形ですが)

 

 

 

 

弟が下山していると、大きな音がして、振り返ると大きな岩がゴロンゴロンと落ちてきていた。

隣を歩いていた人を、大きな岩がぐちゃっと潰したのを見ながら、必死で逃げたそうです。

 

 

 

 

弟は、事故の状況を思い出すのか、夜中もうなされて何日も寝れず、母が付き添って寝ていたそうです。

 

 

 

 

その話を聞いた16歳の私は

(大変だったね)

(痛かっただろうね)

口から出たのは「ふ~ん…」でした。

 

 

 

 

自分が母になってわかりました。

自分の子どもが居る場所で、死傷者が出た事故が起きている。

連絡が取れない。

どんな気持ちでテレビのニュースを観ていたか。

 

 

 

 

どんな気持ちで

「遺体確認に行こう」と言葉にしたことか。

 

 

 

 

無事という電話があったとき、どんなに嬉しかったことか。

 

 

 

 

親になって初めてわかったことです。

 

 

 

生きていてくれるだけでいい。

存在=愛 です。

 

 

 

 

私は富士山が大好きです。

けど、登ったことはありません。

弟のことがあるので登るのは怖い…

のではなく、片頭痛持ちなので、登山はできないのですにひひ

 

 

 

 

だからね、誰かが富士登山をすると聞くと、無事帰ってきてね、って心の中で無事を祈るようになりました。

 

 

 

 

富士山大規模落石事故(Wikipedia)

 

 

最後までお付き合いくださり、ありがとうございましたニコニコ

 

 

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