橘町界隈の歴史を次の世代に引き継ぐ | ますだ裕二「脚下照顧」オフィシャルブログ

橘町界隈の歴史を次の世代に引き継ぐ

こんばんは。
ますだ裕二です。

今日は、お昼前から一日、地元を回らせていたたきました。

地元を歩いて回っていると、
後援会の方から「先生と一緒に進めていた名板ができましたよ」と声をかけていただき、一緒に現地を確認に行きました。

名古屋城下町入り口であった「大木戸」には、その歴史を後世へと引き継ぐ名板が設置されていました。



そして、東別院にもこのような名板が


地域の皆様のお力添えで、設置まで至ったことを本当に嬉しく思います!

これからも、地域で一丸となって、橘町界隈の歴史を知っていただけるような取り組みを推進していきたいと思います。

「橘町とは」

橘町は、尾張藩2代藩主徳川光友公が和歌にちなんで名づけたとされる地名です。名古屋城と熱田を結ぶ名古屋のメインストリート本町通が貫き、城下最南端である橘町には大木戸が設けられました。


光友公が芝居の興行権を認めたことに加え、7代藩主宗春公が隣接地への遊郭の新設や芝居小屋の増設を許可したことで、南の寺町は歓楽街としてもにぎわいました。


先の大戦で中区の焼失面積は約6割に上りましたが、橘町界隈には戦災を免れた寺や商店などの歴史的建造物が今に受け継がれ、趣きのある景観を保っています。