こんなんで終わってたまるか | 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める

こんなんで終わってたまるか

 

実は数日前から腰痛がひどく、椅子に長時間座っていられない。膝の痺れで歩行がヨロヨロとする。金曜日にMRIを撮ると、ヘルニアだった。しかも2箇所ある。1箇所は過去の腰痛の原因だったもので、もう一箇所のヘルニアは膝にまで影響する箇所のようだ。また、今回発見されたところは、かなり大きなヘルニアだった。

 

木曜日は痛み止め薬も効かない痛みで大変だった。金曜日以降は、木曜日に普段お世話になっている治療院のトレーナーに体をほぐしてもらったお陰か、痛み止めの効果か、徐々にではあるが痛みは沈静化しているようだ。

 

ようやく膝と肩、肉離れがよくなってきて、これから再始動しようと考えていた矢先のことである。正直、落胆している。振り返ると、特に激しい動きをした記憶はない。以前からヘルニアだったのかもしれない。また、くしゃみでもヘルニアになるらしいから、加齢による劣化が原因のヘルニアの可能性もある。とにかく、身体の柔軟性の欠如が主な原因であることは間違いない。

ここでいう柔軟性とは、身体のしなやかさ、みずみずしさというように、私は考えている。とするならば、加齢とオーバーユースによる劣化、柔軟性の減少は否めないであろう。

 

今回、このことを皆に話すかどうか迷った。なぜなら、空手の先生の身体がボロボロだと思われると、極真空手のイメージが悪くなる。また身体能力に依存する極真空手に対し嫌味を言いたい輩にとって、悪口・極真空手批判の格好の材料になると考えるからだ。しかし、今私の道場で行っている稽古法は、極力怪我をしないように考えてあるし、身体を補強していくように改善を加え続けている。ただ、改善をすぐに行っているので、それをすべての指導員に伝えるには、時間がかかる。この空手武道通信は、その時間差を埋めるためのツールなのだが…。

 

 また言いたくないことなのだが、極真空手のイメージのために、あえて言う。すべてのオリンピックスポーツ選手を眺めても、私ほど体を酷使した、アスリートはそう多くはないと思う(みんな引退が早いから)。もちろん、ただやみくもに身体を酷使したのではなく、結果も残しつつである。私の選手時代は長い方である。ただし、少年の部活動レベルではない。10代の頃から、第一戦の選手の意識を持ちながらの選手生活であった。ゆえに目標は10代の頃から世界一であった。その後、指導者や先輩に恵まれた。そして極真空手の歴史に残るような強者との戦いを経験した。当然、自分より大きい相手との戦いがほとんどであった。

 

 また、100人組手も経験した。100人組手の経験は組手自体が過酷だったのは言うまでもないが、その準備も過酷だった。だが、身体を思う存分酷使できたことは幸せなことだった。同時に身体に対しては申し訳ない気持ちもある。思えば、10代のころは、まだひ弱だった。それが90キログラム以上の体重で、100メートル12秒台。10キロメートルが45分。垂直跳びは85センチメートルまで身体能力が向上した。また極真空手における試し割り(破壊力)の世界記録を樹立することができた(現在は更新された)。

 

 自慢したいのではない。身体の高い出力レベルを長年維持し、それを駆使することが、どれだけ身体に負担をかけるか、そのような出力レベルを想像、実感してから極真空手を批評して欲しいと思うからだ(それこそバカだと揶揄されるかもしれないが…)。さらに非合理とも思われる、100人組手という荒業を行なった。一人2分の組手を連続100人繰り返す。本当にそれを経験した人は片手の人数もいまい。その際、腎不全で1ヶ月間もベットレストの入院生活を余儀なくされた。その結果、血液のヘモグロビン量が20%落ち、持久力にハンディを負った。それでも若い頃は、体力に余裕があった。1ヶ月の入院と闘病を続けながらも、世界選手権に出場できた。

【私の特効薬】

 そんな経験を有する私だが、今はそのような力はない。そして、修羅場を耐え抜いた私の身体も加齢による劣化がかなり見える。また、心理的に道場の業務や家族に対する責任で息苦しい。

 

 それでも、私には困難に際しての特効薬がある。それは「開き直り」である。「やれるだけやるしかないではないか」と開き直るのである。つまり、困難に際して開き直れるか。そして、投げやりにならず、くよくよしないことが困難に際する時の私の「心構え」だ。その心構えでじっと耐えるのだ。もう一つ、私が考えてきたことは、その機会(困難の)を活用して、これまでとは異なることをやることだ。

 

 100人組手の後、入院を余儀なくされた時は、それまであまり興味のなかった歴史小説を多く読むことを試みた。もともと本は好きであったが、歴史小説はめんどくさい気がして、手に取らなかった。しかし入院時、家内から山本周五郎、司馬遼太郎を勧められ、その機会に多くの作品を読んだ。

 

 私の読んだ歴史小説は長期的視点による物語を描いたものが多く、闘病の際にはそれが、私の短気を鎮めてくれる効果を与えてくれたと思う。

 

 今回はどうだろうか。実は開き直るには中途半端だと思っている。脚が痺れながらも、まだ歩くこともできるし、身体が動く。さて、どうするか。

 

 私は新たな夢を描こうと考えている。否、絶対にやり遂げたいことが、私にはある。それを大まかに言えば、我が空手道の理論の完成、そして優秀な門人(黒帯)の育成である。それをやり遂げなければ、これまで私がやってきたことは、徒労に終わるかもしれないと思っている。具体的には、私が体感した感覚を完全に伝えられないとしても、いつか理解してもらえるように、型と理論、そして組手法(稽古法)を残すことである。今、その夢と現実のギャップによるストレスに苛まれている。

 

【ポンコツの身体ならば】

 これまで、私は身体の柔軟性を維持するためのトレーニングを実践してきたつもりであった。しかし、まだ足りなかったようだ。また、普段お世話になっているトレーナーに身体をケアしてもらっている時に良い話ができた。「ポンコツの身体ならば、その補強箇所を見つけ、それを補強することが大事だと思う」「今回、それを実践する中で、新たな補強箇所が見つかったのだと考えよう」。その補強は、結構、面倒臭いが、いつか誰かに役立つ時があるかもしれないと思っている。この原稿を書きながら、すでに座っているのが限界に達してきている。

 

【この機会に】

 最後に、この機会に時間と体力に過度の負担をかけない勉強法とトレーニング法を編み出し実践したい、と私は考えている。だが、私にはやりすぎる傾向がある(理想主義者だからだ)。それを改め、計画的に行動する習慣をこの際つけたい。そのような技術を身につけなければ、私の身体は壊れ、努力は徒労に終わるかもしれない。そんな危機感がある。

 

 ゆえに時間と体力をより有効的かつ計画的に使う技術を身につけることを実践したい。また、記憶力の良くない私だが、何度も判定負けし、悔しさを味わった若い頃のことは忘れない。その時、心にいつも思っていたことは、「こんなんで終わってたまるか(このまま終わってたまるか)」であった。もう私も若くはない。だが、若い頃の気持ちを思い出したい、と思っている。

【仲間に感謝する機会としたい】

 

 蛇足ながら、困難を感じる時はチャンスだということ。毎回優勝できると思い試合に挑戦しながら、優勝できなかった若い頃に思っていた。また傷病で練習ができなかった時にも。そして入院生活で動けなかった時にも。また自宅で闘病しながら練習をしていた時にも。そして、いつも困難をのりこえ用とする際、気づきがあった。同時に、自分を支えてくれる仲間がいることに感謝を感じた。今回も、困難を気付きの機会にしたい。また、あらためて仲間に感謝する機会としたい。今も私の周りには仲間がいるのだから…。

 

 さらに今回、心強いのは、スポーツ整形外科の分野で、今後日本を代表する医師となっていくと思われる間瀬先生と知己を得たことである(すでに膝の手術ではトップクラスだが、さらに上のレベルのリーダーという意味で)。

 「なっていくと思われる」と言う物言いは、上からの感じで生意気な感じを受けるかもしれない。相変わらずの口下手と医師の世界に関しては無知であるからだ、と考えてほしい。だが、社会のニーズという基準で考えた時、間瀬先生の考え方と提供する医療は、社会のニーズを捉えているのは間違いないだろう。

 

【私にはこんな体験がある】

 また私にはこんな体験がある。15年以上も前のことだが、私は経営者の勉強会(盛和塾)でブックオフの創業者に知己を得た。たまたまその時、私の道場の近くにできたブックオフの店舗の感想を述べた。本好きの私は、現在も時々ブックオフを訪れるが、私の当時の感想は「古本屋なのにどこよりも明るくて本が綺麗」「感動です」と言った。その感想が気に入ったのかどうかはわからないが、私はブックオフの創業者にかわいがってもらった。

 

 今から思えば、当時のブックオフのあり方は、世間のニーズを捉えたのだと思う。ブックオフは、その後、あっという間に全国展開を実現した。私は、そこからの学びを生かしたいと思ったが、思うようにはいかなかった。私の上から目線で生意気な性格が災いしているのだろう(これは改善するつもりはないと周りに言っておきたい。もし目障りなら、老兵は死なず消えゆくのみと考えている)。

 

 病院と古本屋は異なる点もあるが、人を感動させることが、発展する秘訣だということは共通していると思う。間瀬先生の率いる八王子スポーツ整形外科には、そんな感じを受けるのだ。

 

 さらに蛇足だが、うちの道場には鍼灸で世界レベルの先生がいる。大変心強い。私の腰が悪化した日、電話すると休診日であった。ネット情報によると西洋医学と東洋医学の先生は仲が悪いようだが(情報はあてにならない)、私には関係のないことだ。今後、両方の分野の権威から多くを学び、極真空手を武道として進化させたい。そう願う気持ち一つで行動していくつもりである。

 

 

▼パリのエッフェル塔の下で〜荻野氏と

 

 

2021/10/29:一部修正