空手武道通信 編集後記
言葉で自己を鼓舞する
疲れたら少し休み、そして、またやり始めることだ。その繰り返し、反復が大事である。その中から何かが見えてくる。その何かを見極めるんだ。
その何かがお前を救うか、お前を堕落させるかは、わからない。ただ、その何かが、お前の将来を決めるだろう。
日誌 2017年7月15日
デジタル空手武道通信を始めた。
空手教本を作り、増田武道を広めるための下地を作るのと、 IBMA極真会館の道場生のレベルを上げるためである。これからの時代、インターネットを活用したデジタルの教本が増えてくるに違いない。これでハイレベルな増田カラテを教える準備が整った。これまでの教え方では、増田武道を学んだとは言い難い。教え方が中途半端すぎた。これからは、もっとストレートに武道哲学を教えたい。そう言うと、初めからクエスチョンマークが出るに違いない。しかし、冒頭に言っておきたい、増田カラテは哲学だと(これがわからない者とは本当は付き合いたくない)。
実はデジタルカラテ武道通信に至るまで、かなりの時間を要した。にもかかわらず、「今回もみんなの心と頭には響かないかもしれないな」と弱気な声が聞こえてくる。
なぜなら、私の書くものは、英語のわからない者が、英語の文を読むようなものかもしれないと思っているからだ。また、私の話は、英語のわからない者が英語を聞くようなものだと思っているからだ。かなり努力してきたが、いつも虚無感に苛まれてきた。
おそらく私の話などは、聞いた瞬間に「はい、次!」という感じなのだろう。人それぞれ、好きなことが異なっているのは当然のことである。また、経験量と情報量、すなわち経験値が異なので、完全に他者のいうことを理解するというのは至難だと思う(そもそも、自他の理解なども難しいが)。
そんな気持ちになったのは、時々、私は英語と格闘しているからだ。と言っても、私は英語をマスターしていない。しかし、その内に英語がマスター(読んで、書き、対話できるぐらいには)できると思っている。
なぜなら、難しい?増田カラテの学習法(メソッド)を構想しているからだ。つまり、学習法を工夫すれば、難しい増田カラテをより多くの人に教えられると考えている。ただ、それを形にするには今しばらくの時間と労力が必要である。
要するに、私の頭にある、その学習法のフレームと原則を応用して英語の学習を行なえば、昔の数倍のスピードで英語がわかるようになると思っているからだ。
「英語を知ってから45年以上も経つのに、未だ英語がろくに話せない者が何を言うか」とお叱りを受けるに違いないが、今、私は英語に興味がある。なぜなら、私の英語の上達が、私の構想する空手上達法(学習法)の研究に役立つと考えているからだ。
そして、そのような学習法の開発のためのワンステップが、実はカラテ武道通信であり研究科の開設だと言うことを、ここで言っておきたい。
私は自分を鼓舞する。「難しいことをやり続けよう」「これから数年先を見据えて」と…。
「ちょっと待て」「お前、今、何歳だ」数年先など考えている場合か。そう怒る、誰かの声が聞こえる。
しかし身内にはこう返したい。「何かを極めようとするのは、とても楽しいんだ」「ご飯を食べなくてもね」
全く、私は弱気で悲観的なのか、楽天的なのかわからない。
多分身内は、いい加減にして欲しいと怒るだろう。ついには逃げ出すかもしれない。
確かに、楽天的すぎるかもしれない。また、ちょっとだけ、楽天的な気分になっているようだ。しかし、私は子供の時から「今に見ていろ」と周りに言い、かつ自分にも言い聞かせて生きてきた。そんな男は、すでにじいさんになりかけている。しかし、大きな夢を見る性分は変わらないようだ。
冒頭に、空手武道通信の創刊号の編集後記の「言葉で自己を鼓舞する」を掲載しておく。
いつも本を読み、言葉で自分を癒し、鼓舞してきた私の独り言だ。
2017-7-16:一部加筆
2017-12-27:一部修正