富士山の麓に住むN氏宅へ遊びに行った。
N氏は昨年から山梨県に住み始めている。
その邸宅は杉の木が生い茂る林の中にある。N氏は、よく社員や友人を自宅に招き、庭でバーベキューを行い、もてなしているようだ。そのバーベキューやストーブに使う薪(まき)を確保するために、N氏は家の周りの杉を切り倒し、薪(まき)を確保している。その杉はN氏の土地の杉ではない。しかし林の管理になるからと、地主はN氏に杉の伐採を許可しているのだという。
薪(まき)は、まず薪(まき)となる杉の木を切り倒し、さらに切り倒した杉を薪(まき)用の長さ(丸太)に切断してからしばらく乾燥させる。
さらに乾燥させた丸太を斧で薪用の大きさにする(叩き割る)のが薪割りだ。
私は膝の手術後、まだ松葉杖の状態の時、FKプロジェクトの話でN氏宅を訪問した。その時始めて薪割りに挑戦した。膝の術後なので下半身を思うように使えない。ゆえに数回試すにとどめた。初めての体験の感想は「薪割りは難しい」という感じだった。しかし身体の使い方の研究のために棒を振っていたので、斧を使った薪割りはとても示唆に富むものだった。それから半年以上が経った。
【薪割りは楽しい】
今回、薪割りに再挑戦した。私の膝はまだ完全ではない。しかし薪割りの中で閃いたことがあった。そのひらめきを確かめたくで、何度も何度も薪割りを行った。気がつくと1時間以上も薪割りをしていた。右手の握力を失うほど、熱中してしまった。また薪割り2回目の感想は「薪割りは楽しい」という感じであった。
先ほど、ひらめきと表現したが、大仰だから思いつきと言っておきたい。今後、その思いつきを検証してみたいと思っている。私はいつもそんな趣味とも性癖ともつかないことをやっているが、あらゆることが連係し融合されているように感じる。以下にその思いつきを記しておく。
【一振りで薪を真っ二つにする】
ひとつ断っておきたい。私の薪割りのテーマは「一振りで薪を真っ二つにすること」である(なるべく太い丸太を)。どうしたらそのような薪割りができるかをテーマに、私は斧を振り下ろし続けた。
始めに考えたことは「薪のどこに斧を振り下ろすか①」である。次に「どのように斧を振り下ろすか②」であった。
①については、丸太の中心から、わずかだけ自分よりに斧を当てた方が割れやすいということ。②については、斧の振り下ろす際、足腰を安定させ腕にはあまり力を入れず、体幹の力で振り下ろすことである。なぜなら、そのほうが軌道(斧の)がより安定し斧のヘッドスピードが上がると思うからだ。
【真っ直ぐとは何か?】
さらに細かい点をあげれば、左手は斧の軌道を安定させるために重要だと考えている。正直に言えば、私は左手(引き手)の使い方が悪いことを自覚している。また、この部分を習得するには、もう少し棒を振り続ける必要があると思っている。
次に悩む点があった。それは斧は丸太に垂直に当てるほうが良いのか少し引くのかということである。物理学的に?は、垂直に当てるのが良いと思うが、わずかだけ引くような感じが良いのかもしれないとも思っている。次回確かめてみたい。
実は自宅で鏡を見ながら、時々私は棒を振っている。その際、なるべくゆっくりとまっすぐに振り下ろす練習をしている。まっすぐに棒を振るのはとても難しい。少々脱線するが、私は「棒振り」によって、そもそも「真っ直ぐとは何か?」を考えさせられた。私の直感では「真っ直ぐとは自然の理法にかなっていること」である。近い将来、今の仕事が一段落したら、まとめあげたい。
話を戻せば、軽い棒をゆっくりと振り下ろしたり、時には速く振り下ろしたりすると、下半身と体幹と腕(棒を持つ手)との運動連鎖(キネティックチェイン)がより意識される。また肩関節から手の関節までを含めた腕全体のインナーマッスルの強化になると思っているのだが…。また、私を悩ましていた、五十肩の症状が回復したように思っている。
もう一つ重要な点がある。右手は斧と丸太(対象物)が出会った時(ぶつかった時)、なるべく強く締めることができる方が良いのではということだ。もちろん斧と丸太が出会う瞬間だけだ。斧を力んで握り続ければ、筋肉が疲労する。これは空手の突きと共通点があると思う。
あえて言って多くが、薪割りは何回も続けて行う必要がある。1回の薪割りに力を使いすぎれば、すぐに薪割りの精度が落ちていくだろう(空手の突きも同様で、一撃必殺と人は軽く口にするが、一撃で刃こぼれや体力を消耗させることは、私の武道観とは相容れない)。
なるべく腕に力を入れずに、右手のみならず左手を協働させて斧を振り下ろすことが重要だ、と私は考えている。さらには体幹を仲立ちとする、下半身と腕との協働が斧の軌道の正確性と加速度アップの可能性を担保するのではないかと考えている。
薪割りについてのメモはこの辺にとどめておくが、斧の他に切り倒した杉の枝や、周辺の低木を処理するのに「鉈(なた)」も使って見た。
【鉈(なた)について】
少しだけ、鉈(なた)について記しておく。鉈を使うのも面白かった。
私は幼い頃、鉈(なた)は下手な使い方をすれば自分の脚などを怪我すると、父に教えられた記憶がある。ゆえに今回、左右に鉈(なた)を振り下ろしながら、鉈(なた)の軌道の先に脚をおかないよう気をつけて使った。
鉈を使ったのはわずかの時間だったが、刃の当て方、振り下ろし方によって枝の切れ方が違う気がした。時間を作り、再度、研究と鍛錬のために山へ入ろうと思っている。
誤解を恐れずに言えば、私は古典的な武器にも興味があるが斧や鉈など、実用品を使った武器術を研究したいと考えている。その延長線上に古典的武器の研究がある。私のテーマは普遍性だ。融通無碍の境地だ。
【最後に】
最後に、幼い頃の私は父とよく「たけのこ採り」に山へ行った。私は父の背中を見ながら竹林や山の中を探索して遊んだ。また竹林の中、空手の「三角飛び」や忍者(サスケ)の真似をするようにして、竹を避けながら、斜面を登ったり下ったりして、体を鍛えていた(笑)。
N氏とのひと時は父の背中や父との触れ合いを思い出させるひと時でもあった。私は子供の相手をあまりしないダメな父親である。だが今回、娘との思い出ができた。N氏に感謝したい。私はN氏独特の感性が好きである。N氏は私のような野暮で面白くもない男を大事にしてくれる。神に感謝したい。私はN氏の奥方、家族、社員も含めてN氏が幸運に恵まれるよう心から祈っている。

