アミーゴとのひととき | 武人の酔語 〜増田章

武人の酔語 〜増田章

増田章の『からだで考える』


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アミーゴとのひととき

【アルゼンチンギタリスト、大竹史朗氏と~】
先日、アルゼンチンギターの第一人者である、大竹史朗氏とランチをご一緒した。
アルゼンチンギターと云っても、ご存知ない方もいるに違いない。
かく言う私も大竹氏に会うまでは、アルゼンチンギターと言われても何のことかよく分からなかった(現在も解っているわけではないが)。

ただ、アルゼンチンはタンゴが有名なこと位は知っていた。
実は、アルパチーノが主演し、アカデミー賞を取った「セント・オブ・ウーマン」という映画が、私は大好きである。

その映画の中で、アルパチーノ演じる盲目で老人(アルパチーノは老人には見えないが、原作的には、60半ばの設定だと思う)が、若く美しい女性とアルゼンチンタンゴのダンスを見事に踊るシーンが私の脳裏に焼き付いている。

その映画のシーンを見てから、アルゼンチンは、是非一度、行って見たい国の一つになった。
そのアルゼンチン音楽界の巨匠の一人に、ユパンキというギタストがいる。
大竹氏は、そのユパンキの継承者として、アルゼンチンの人達から評価されているらしい。

今回の会食は、東京に住み始めた頃からの友人である宮沢一郎氏のセッティングであった。宮沢氏と大竹氏とは、高校時代、松濤館空手道部の同窓生である。

大竹氏の活動のホームタウンはニューヨークである。ニューヨークのアルゼンチン大使館、御用達の音楽家と言っても過言ではないような立場だと周りの人から聞いた。

現在、アルゼンチン政府の招聘でアルゼンでコンサートが予定されているらしい。しかし今後は、日本での活動も強化したいと考えているようだ。

ニューヨークでの彼の評価は、アルゼンチンギターの巨匠、ユパンキの後継者として4本指に入るらしい。ユパンキ生誕100年を記念して上梓された、「ユパンキと再び出会うための手引き」と云う本に、ブラジル人2名、アルゼンチン人1名、日本人1名が紹介されている。大竹史朗氏は、その本で紹介されたただ一人の日本人である。

先日のブログにも書いたが、大竹史朗氏が銀座で行なったコンサートに、宮沢氏の誘いで参加した。

私はそのコンサートで、「風が歌う地」という大竹氏の曲を聞き、感激した。そして大好きになった。

コンサートの後、音楽に無知な私が、生意気にも大竹氏に以下のように言葉を投げた。『私は、「風が歌う地」と言う曲がとても好きです』「この曲は、もし僕の人生が映画になるとしたら、テーマ曲にしたい・・・(笑)と。

コンサートの後、その曲が入っているCDが大竹史朗氏から送られてきた。

私はその曲をスマートホンに録音し、一日中流し続けた。「風が歌う地」という曲は、大竹氏がアルゼンチンのユパンキの家を尋ねた時、インスパイアされてできた曲らしい。

「誰かの声が聞こえるような・・・」「遠い記憶が蘇ってくるような・・・」
言葉では言い表せない感覚を私は得た。

その大竹氏が先日、日韓交流のコンサートのため、短い期間だが帰国した。

一方の私は、銀座のコンサートの時もそうだが、道場の引っ越しや何やらで、これまでの人生の中で最も忙しいとも言えるような毎日を送っている。しかも風邪をひいても休むこともできない。

しかし、私は大竹氏に会って話をしたかった。宮沢氏の協力もあり、映画音楽やTV出演の打ち合わせで多忙な大竹氏が、私の都合に合わせてくれた(本当に有り難い)。

場所は恵比寿のウエンスティンホテル、22階のフレンチレストランだった。
昼時だったが、フレンチのフルコースだったので、充分な時間があった。
様々なことを話したが、私が思っていた以上に、感性が合うことがわかった。

下に掲載している写真のまん中が大竹氏である。私とルックスや物腰は全くと云っていい程異なるが、二人の間に共通項を多く発見した。

彼は「子供の頃は、青学の中等部に通い、なに不自由のない生活を送っていた」と云う。ところが、中学生の頃に両親が離婚し、人生が一変したらしい。彼曰く、「人生を投出しかかっていた・・・」と吐露してくれた。両親の離婚というのは、とても心に影響を与えると思う。思春期なら尚更である。

なぜ、こんな話になったかといえば、私自身が先ず、「これまでの僕の人生は挫折感を克服するためのものだった」と、私の幼い頃の心情を正直に吐露したからだ。
また、大竹氏に拙著「吾、武人として生きる」を読み、共感するところが多かったと言っていただき、うれしかったからだ(うれしくなると、人との距離が急激に縮まるようだ)。

私は、彼の持つ憂いが、幼い頃の体験によるものだと理解した。

信じないだろうが、増田さんも寂しそうだと(憂いがある)言われたことがある。
要するに、増田は根暗(ねくら、もう死語かな?)なのかと云われれば、そうかもしれない。
しかし、根暗と憂いは、感じは似ているが、異なると私は考えている。
勿論、根暗と云われてもいっこうに構わない。本当は絶望の中、捨て身で生きているのだから・・・。

【大竹史朗氏の足跡~】

ここで大竹氏の足跡を大まかに紹介したい。正直、コンサートのプログラムで一度読んだきりで有るから、記憶には自信がない。本人から間違いを指摘されたら、訂正したい。

1988年、大竹氏はブローウエイのミュージカルに出演することを夢見て、渡米した(クラシックギターは13才の頃から鈴木巌先生に師事している)。

ニューヨークでのある日、ギターを弾いていたら、同じアパートのアルゼンチン人が「その曲をどうして知っているんだ」と聞いてきた。

なぜなら、その曲はユパンキの曲だったからだ。そのアルゼンチン人はユパンキと縁がある男だった。そこから、アルゼンチンギタリスト、大竹氏の物語は始まった。

【大竹氏と私の共通項】
話を戻せば、大竹氏との具体的な共通項を挙げれば、「黒沢明の映画が好きなこと」。「アルパチーノのセント・オブ・ウーマンという映画が好きなこと」「ブルーズが好きなこと」「新しいものを生み出すには古典から学ぶことだと考えていること」等々である。おそらく捜せば、もっと共通項が多いはずだ。例えば、女性の好みなど・・・。(そんな話はしなかったが・・・)。
大竹氏の女性観を感じるのに最適な楽曲が有る。それは「MARIA (マリア)」という楽曲だ(是非聞いてみてください)。


因に、大竹氏が着目している古典は「バッハ」だそうだ。
また、アルゼンチン音楽の弱点は、アフリカの音楽の要素(多分パーカッション?の要素だと思う・・・よく憶えていない)が入っていないことだと語っていた。更に「スペインのフラメンコが最高」だとも語っていた。

そこで私は、すべては「融合」が重要だと感じた。スペインの音楽は「融合」しているのだろう。


【スペイン】
実はこれまで、スペインを訪問したことが、4回程ある。スペインはとても魅力的な国だ。私は松井章圭氏、アンディー・フグ氏、マイケルトンプソン氏と共に映画の撮影のため、スペインに2週間弱、滞在したことがある(残念ながら、その映画は完成しなかった)。

その時、サラゴサという街でお祭りがあった。私達一同は、その祭りに合流した。そこで私はフラメンコを目の当たりにして、とても感動したのを憶えている。生(ライブ)で体験したフラメンコは最高であった。私はスペイン人と結婚しようと思ったくらいだ(冗談です・・・笑い)

【ユパンキについて~ヒロシマ】

最後に、ユパンキについて少しだけ書きたい。ユパンキは反米の徒であり、反政府的であるとして眼を付けられ、一時期亡命していたようだ(念のため断っておくが、私は反米でも親米でもない)。

また、ユパンキは広島を訪れ、「ヒロシマ~忘れ得ぬ街」という詩を書いている。
大竹史郎氏はその詩に曲を書き、ユパンキが共作として認可した。大竹氏のアルバム「風が歌う地」の最後に収録されている。

その詩には、原爆で亡くなった方々の鎮魂と平和への祈りとが込められてるに違いない。また、大竹史郎氏の曲と演奏にも、ユパンキのみならず原爆被害者への追悼と鎮魂の思いが込められていると感じた(是非、皆さんに聞いて欲しい)。


思い出せば、私が通った写真学校で、土田ヒロミ先生という写真家の授業を受けたことがある。私はその先生が好きだった。その先生の代表的写真集に「ヒロシマ」というものがある。

人は笑うだろうが、私の夢には、空手を人類の平和共存に役立たせたいという祈りが包含されている。ただ、今の空手界の現状は、そんなことを語るには、あまりに低レベルの状況である。しかし、どんなに些細な行動でも、必ず全体に繫がっていると私は思う。そして、一人が真剣に思い行動すれば、世界は変わると考えている。

長々と書いたが、今回のセッティングしてくれた宮沢氏も、いじめによる子供の自殺を無くそうと、NPOを立ち上げ頑張っているらしい。音楽家と空手家、そして社会起業家、「神様ありがとうございます」「御陰さまで、これからの付き合いが楽しみなアミーゴ(友)とのつながりを持てました」

おそらく、みんな自分のために生きているんだろう。それはそれで良い。しかし、本当に自分を活かす者は、必ず回りにも良い影響を与えているはずである。私はそのことを信じている。



【追伸~カミナンテ】

大竹氏は、「増田さんはカミナンテだ」と言う。
「カミナンテ」とは、スペイン語で「道を往く者」という意味らしい。
大竹氏はヤクザな空手家をカミナンテと評してくれた。光栄なことである。
実は、私が拓真(タクシン)と命名したことの意味は、自分自身の本質を見極め(自分自身を拓き)、自己(良心・セルフ)を開いていくこと。また、「神・天・サムシンググレート」とつながる道を追求していくことだ。

大竹氏とは、お互いにカミナンテでありたいと話し合った。

もう一つ、次に大竹氏と合うときは、ファーストネームで「シロウ」「アキラ」で呼び合いたいと思っている。

また、私にはアイディアがある。それは、お互いファーストネームで呼び合う、「ファーストネーム・クラブ」を作ることだ。そして、年齢、業種の境界を設けない、友人とのつながりを作りたいと考えている。



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