審判所作について | 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
フリースタイル空手プロジェクトの報告をする。

 私が考える新しい武道スポーツは、選手、審判、観客のすべてが舞台俳優と考える。
言い換えれば、選手、審判、観客の役割が最大限に発揮できるように脚本を書き、ルール・システムを作っている。また、私の理想は、新しい武道スポーツを芸術に近づけることだ。

 おそらく、私の言う意味が、みんなに伝わっていない。私の能力不足だ。いずれ、山にこもり、その理論を書き上げたい。

 今回は、主審の所作についての検討事項、私の提案を報告したい。

 主審の所作の基本は両選手を1頂点とし、主審が三角形の頂点になるように位置どる。そして、選手が動く際は、正面はカメラがあるので、正面を背にしないように、主審は左右に位置どる。

 例えば、試合場の中心と試合開始戦の中央を結ぶ線を延長し、試合場を2分する。そして、試合場を正面に近い方を前面、その反対を後面とみる。

 なぜなら、主審は三角形の頂点となるのだから、その頂点は、試合場の後面を、絶えず三角形を作るように移動したら良いのではないだろうか。 それに伴い、副審の位置と役割も明確にしなければならないだろう。(この辺は、これからシュミレーションをし、検討する)。また、主審の歩法の指導もしたい(私の道場では、基本歩法を教える)。歩法の基本がなっていなければ、良い所作にはならない。

 以上を一言でまとめると、「主審はその役割遂行のために、より合理的な動きをしなければならない」ということだ。選手は、時に、非合理とも思える動きを生み出すだろう。その動きと主審の極めて合理的な動きが、試合場に幽玄さを顕現させる要因の一つになるに違いない。

 ゆえに、以上の事柄も審判法として、明確化しなければ、新しい武道スポーツは完成しないと考えている。

 さらに裏方の役割も明確化しなければならない。徹底的にやる。なぜなら、フリースタイル空手プロジェクトは、新しい社会システム(理念を含む)への提言という私のライフワークの一環であり、また、その実践の提示としての可能性があると考えるからだ(ここが私の行けないところだ。誇大妄想的で、皆と距離感を醸し出す)。

 一方、現実は支持されていないではないかとの声もあがるに違いない。また、勝手にやればという身内の声も聞こえる。

 私の言う、徹底的にやるとは、このフリースタイル空手プロジェクトが、人がなんと言おうと、私の研究論文、また遺言として残すつもりで、泥水をすすりながらでも、全力でやるという事だ。但し、命がいつまで続くかはわからないので、期限付きで・・・。なるべく急ぎたい。





$増田章の『身体で考える』