塾 | なんかよくわからないブログ

塾

 僕は新潟県の小さな町で生まれた。そこには僕が中学1年~高校3年まで通っていた塾があるのだが、今回はその話をしましょう。
 小学校から中学に上がったばっかの僕は親に塾に通えと言われ渋々通うことにした。その当初「僕のほかに誰も塾なんか通わないんだろうな」と思っていた。しかし、初めてその塾の教室に入ったときの光景は僕のその考えを覆すこととなった。なんと小学校の頃の友達や、中学でできた友達が皆いるではないか。そう、この塾はこの町に住んでいる人にとってみれば有名な塾だったのだ。なんでそんなに有名なのかはその当初は全く検討もつかなかった。しかし、2~3回授業を受けた時その理由がわかった。
 その先生は一人で中学1年生~高校3年生まで面倒を見ているのだが、主に英語を教えていた(時に数学・社会・理科・国語を教えるが)、一つの学年に約30人はいる。僕の学年は当初50人は軽くいた気がする。しかし始まって一ヶ月や二ヶ月しただろうか、その半分の僕の友達は辞めていった。理由は一つだ、その先生の厳しさと言ったら並の厳しさじゃない。授業を無断に休もうなら「帰れ!」と言われる。先生に当てられて答えられなかったら軽く1時間はその場所に立たされる。僕も何度辞めようかと思ったか数え切れない。僕個人的に怖かったことは中間テストや期末テストの結果が出るたびに一人一人チェックし、コメントする。これは恐ろしすぎる。チョットでも悪い点数があると空のペットボトルや辞書で頭を叩かれる。ある時は、やっと授業が終わってほっとして気が緩んだせいか、その塾の玄関先で友達と話をしていたら「うるさい!」と言われた。そのまま先生の部屋に連れて行かれ、またペットボトルで殴られた。ほかにも壮絶な事実などもある。先生は塾の営業の範囲を平気で超えるのだ。その塾での小テストの点数が悪いと大きなゴミ袋を渡され「これに道に落ちてる缶を拾って満タンにしてもってこい」というではないか。
 こんなに厳しい先生がいていいのだろうか。
 いや、いいんです。それでも僕はそんな先生を尊敬してるのだから。
 なぜなら、その先生は確かに厳しかった、罰も厳しい、しかし、生徒に対する愛情はものすごく感じられた。しかも英語の成績が抜群に上がった。僕には先生の理念はわからないが、いつも言っている言葉があった。「遠回りするな、近道などはない。」と。実際先生の授業は甚だ細かい、高校2年生のときは英語の辞書を渡され「A~Z」まで覚えさせられた。さらにテストの結果は毎週張り出される。「これを一人で採点してるのか・・・。」と正直そんな時間が先生にあるのだろうかといまだに疑問なくらいだ。さらに先生はたまに世の中の話をしたり歴史の話をしたり我々に勇気をくれる話をしてくれる。それは決して偏った意見ではなく事実をそのまま捉え、正当な意見を口にする。先生だから妙に説得力があった。中学生高校生というガキだった僕の目から見ると先生は本当に大人の人間だったのだ。
 先生の前で何度泣いたことか、厳しい意見は言うがそれは決して間違っていなくて、最後にはやさしい言葉をかけてくれる。これにより僕の「師」の概念は具体的に「塾の先生」にあてはまる。
 このように、僕は生まれて12年もしないぐらいで、良き「師」と言うものにめぐり合えたことを幸せに感じる。
 先生の言葉でもっとも覚えている言葉で、彼の本質が浮かばれる言葉がある。僕が高校受験に合格し先生に合格の諭旨を告げた時
 「返事遅かったな、心配してたんだよ。よかったな、おめでとう!」
 なんの変哲もない言葉なのだが、正直泣きそうになった。