ディエゴ・マラドーナ氏の映画「ディエゴ・マラドーナ 2つの顔」を観てきました映画

劇場に入ると、キャプテン翼で有名な高橋陽一先生が描き下ろしたポストカードを貰えました。

マラドーナ氏と高橋陽一氏とは同い年なんだそうです。

作品名の2つの顔とは1986年W杯の「5人抜き」と「神の手」の話なのかなぁ…と思いましたが、そういう意味ではないらしいです。
不安定ながら良い青年である「ディエゴ」とスーパースターである「マラドーナ」の2つの顔を指すそうです。
世界的な有名人になるにつれてマラドーナとしての顔が強くなっていったと、作中で述懐されていました。

映像はやはり、一番輝いていたナポリ時代のものが多めでしたキラキラ
バルセロナではイマイチ馴染めず1984年にナポリへ移籍しますが、そこで幸せの絶頂を迎えます。
1986年のW杯優勝と1987年のセリエA優勝と、80年代後半はタイトルを総ナメにしていました王冠2
ナポリの街も当時は、マラドーナ景気で活況だったそうですアップ

1990年のW杯の準決勝ではナポリの本拠地でアルゼンチン代表として、開催国のイタリアと対戦するという運命の皮肉に見舞われました。
ナポリ市民の中でも当時は、裕福な北部から差別されてる感は有ってもイタリア人だからイタリアを応援するフラッグかマラドーナには大恩が有るからアルゼンチンを応援する旗かで世論が割れたそうです。
アルゼンチン代表はPK戦の末イタリアに勝ちますが、決勝戦の西ドイツ戦ではスタジアムはマラドーナに対するブーイングで包まれましたブタ

1990年のW杯終了後からは、歯車が狂い出しましたショック!
薄々バレていた感が有ったマフィアとの黒い交際やコカイン疑惑や隠し子騒動が続々と表沙汰になり、イタリアでの生活に疲れてナポリの街を去ります。
ナポリに来た時は85000人に出迎えられたが、ナポリを去る時はたった一人だったとのコメントが印象的でした。
そして引退後時は流れて、母国アルゼンチンでテレビ番組に出演する姿が映像に流れて映画は終了しましたend

既にNumber誌が追悼雑誌を出していますが、こういう追悼作品はこれからドンドン増えていくと思います。
ピッチに立つと風格が有り、ボールを持つと何かを起こしてくれそうな見ていてワクワクさせてくれる選手でしたサッカー