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masterik - 新しい朝が来た!(仮)

ブログの再会。

と、いうか再出発。

タイトルはまだ考えついてないから、思いつき?!

選挙とは誰が誰にばら撒くのかを決めることだ。

民主主義のプロセスにおいて、選挙を行う意味は有権者が自分の利益を代表する人物を選択することにある。

そして、民主主義によって選択された代弁者たちは、国や自治体に供出されたお金の配分をすることが仕事となる。

誰がどのような要求を持っていて、どの要求の集計数が多いのかを判断し、その母集団と自分を支持してくれる人の関係性を考えた上で予算配分を決定する。人々に望みがあり、それを自分が成し遂げられることで代表者は存在を認められる。そのための条件としては投票という明確な行為が関係を固定することになる。

けれども、このプロセスから抜け落ちるものがある。それはみんなが望んでいるにも関わらず、投票に結びつかないないような要望があるときだ。これにはいくつかパターンがあると思うが、①要望をする人々の意識が統一されないので問題の焦点が合わない、②問題自身があまりにも大きく括られているので配分する原資が不足してしまう、③代表者たちの処理能力を超過している等が考えられる。

①に関しては、インターネットに親しんでいる者であったり、女性だけというパターン

②に関しては、誰もが豊かに暮らせるだけの所得補償をしたり、債権・債務のデフォルトにすること

③に関しては、国会を見てよって感じです。

ところで、今回に選挙における一つの争点は政権担当能力。与党は今まで自分たちには実績があるという理由で自分たちこそ相応しいというのがある。逆に野党は今までのやり方はダメだから自分たちのやり方をしたほうがいいよというもの。

どちらにしても相手を下げて、自分を上げることで優位に立とうとする弁であるが、どちらも頼りないとみられている。


ところで、なぜテレビは政治に勝手に色をつけるのか。スポンサーなんてどっちでもいいじゃない、政治に関してはという思うのですよ。政治はある種のshowではあるが、詳細に政策の重要な論点をわかりやすく伝えていれば、国会議員も見せることよりも、考えているところを重点的にするはずだ。

日常の生活の中ではやはりきちんと真面目にやっている人たちのことを周りの人たちはきちんと見ていて、応援をしてくれる。それが選挙で選択された人たちにできないわけがない。


国会中継は意外におもしろい。何の代わり映えのない議場の中での人間の身体的な行動は驚くほど地味ではあるが、そこで戦われる議論は白熱する場面もあり、ときに緊迫する場面でお互いの主張を押し付けあうのはおもしろい。

生中継ということで、適当な時間を空けられない人が多いけれど、夜の時間帯に再放送すればいいと思ったりもする。

言葉を発するときに、


その言葉が震えているかどうかが


その人が心の底から搾り出した


その人自身のエッセンスを見分ける方法。


でも、その震えは聞こえる人にしか聞こえない。


聞こうと思わなければ聞こえない。


その震えが聞こえれば、


言葉がどんな音をしていたって、


理解できる。


逆に思ってもいないことをいくら大声で叫んだとしても、


どんなに近くにいたとしても。


聞こえない。


そうなんです。


清き一票が欲しいのなら、


その言葉に命を懸けてください。


人を殺すのは犯罪だけど、自分に対する誓いは絶対です。


その覚悟、待っています。

twitterやってみた。

意外と楽ちんだ。

なんか、かしこまっていなくて、思いついたことをひょいひょいと書き綴る。

何もまとまらなくていいし、とりあえずメモっとけってことで、後でまた思い出せる。

勝手にフォローして、相手に気がねなくていい。

ささやき

返事を返す義務もないしね。

なんとなく流行る理由がわかった。