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masterik - 新しい朝が来た!(仮)

ブログの再会。

と、いうか再出発。

タイトルはまだ考えついてないから、思いつき?!

インターネットが世の中に普及して久しいが、インタラクティブな特性を活用してオリジナルのコンテンツを世の中に発信することが難しいことだと痛感する。

現在のホットな話題は選挙。その構図は長らく政権を担ってきた自民党に対して、財政の無駄削減や官僚批判などの民主党を軸にした2党体制への流れ。そして、以前の選挙にて分裂に生まれた複数の少数政党と既存の少数政党である。


ここでマスメディアの代表格である新聞やテレビの報道は、民主優勢の政権交代を大々的に報じている。支持率の数字はどのように出したかはわからないが、ふがいない自民と未熟な民主では新しい風をふかす民主のほうがまだマシではないかという感じで編集されている。

それにつられてマスも指示するといったところだ。

でも、これって本当なのだろうか。選挙戦を展開するときに事前の約束を取り付ける票読みをする。投票を確実にしていただくように念を押す。しかし実際の投票においては誰が入れたのかなんてわからないからただの約束である。


しかし、この様子をマス媒体を使って広告をすると、それを見た視聴者はそれを基準にというかそれに引きづられて判断をする。

多くは数の多いほうが正しいという感想を、視聴者の何割かはアンチとして、そして、それが再びマス媒体にフィードバックされ再帰的に膨張し、世論が形成される。
つまり、マスメディアの提供情報を中心に世論が形成されていくということだ。

では、政治におけるマスメディアを活用した世論の形成が各政党の示したマニュフェストあるいは政見広告をもとに各自有権者が判断することで世論が形成されるより有効であるのかを検討する。


それはおそらく、日々生活の中で自らの生計を律するための活動をしている中で専門家でもない人間が自らの生活を守るためには限定された時間の中で情報を入手し判断をするしかない。
このような状況の中ではわかりやすいということが優先される。
その結果、演出によって対象層を一般受けする簡易な方法で表現できるワイドショウ的な世論誘導型の情報に頼ってしまうことになる。


で、ここで重要な論点になるのは、わかりやすく整理されたマスメディアからの情報発信がシンプルであるがゆえに強力で、そこから判断の材料がはなれなくなってしまい、誰もが同じところから情報の評価を行うことにある。
ゆえに、マスメディアの効率的な情報が多くの人の思考の中に埋め込まれることで誰もが同じ指向性をもってしまうのです。


このことからみんなが同じ事実に引きづられて、独自の判断材料をもたなくなり、別の視点から意見の形成を難しくしてしまったいるのかもしれない。


デジタル社会というのは簡単にコピペができるので多かれ少なかれオリジナルの不在が存在しやすくなり、複製がそれ独自の形を形成するという現象が起こりうるのである。

以上のようなネット時代の潮流の中で情報伝達の高速化もともないオリジナル・コンテンツの創出がむずかしくなっているのである。

会社はお金を稼いでなんぼ。
だから、会社のために稼いだ分に応じて給料を払いましょうということにした。
そのため、がんばった分だけ自分の収入が増えるのでやる気がでる。
結果、会社にとって売り上げが増えるのでいいことなのだ。


でも、ちょっとどこかおかしい。

ただ、やり方が合わなくなったり、時期が悪かったり、たまたまそういうこともある。


しかし、会社はまってくれないのである。
会社はそのほとんどが資本政策から資本と負債の割合を決め、負債は返済があるので期間が限定され返済する必要がある。

営業していくためには先立つ資金が必要になる。
また、給与支払いのために現金がきっちり決まっただけの金額は支払うことになる。
信用買いに関しても支払いを待ってもらっているので負債でもある。

こんなところから、常に稼いでいかなければ成り立たないのであるが、これが自分の成績と結びついているのでとにかく数字だけの世界になってしまう。


が、本来は会社にしても個人にしても、自分が得意なこと、好きなこと、やりたいこと、しなければならないことに特化して、客や取引業者の賛同を受けて社会関係をむすぶことにより成り立っているのである。

ゆえに数字は社会関係を結ぶプロセスの最後にくるもので、結果といってもいい。
ところが結果はプロセスがあってこそ成り立つもので数字だけが結果を生み出すわけでない。


プロセスと結果の因果関係のずれが生じたのが成果主義の失敗へとつながるのである。

成果主義の導入の動機付けはデフレ状況の中で賃金の下方硬直性から固定比率の増大がネックとなり、給与水準の低下と収益の上昇のために直接的な業績連動にすることによって費用の削減と生産性の向上を狙い、売り上げ及び利益率の改善を見込んだものであった。

モデルとなったのは海外の賃金体系である。

しかし、海外の賃金体系は企業内での給与水準だけで成立するわけでもなくて、セーフティネットの体系もいっしょに導入しなければ意味のないものになってしまう。


そもそも、業績連動給というのは自由主義の経済の中で語られるものであるが、たとえばその代表格のM・フリードマンは負の所得税を提案していたりもして、人々が自由を手にするためには失敗したときも安心して生活が成り立つことが経済及び社会の健全な発展につながるとしている。


けれど、そうはなっていないので、それならば企業内に安心した場所をつくってあげてのびのびやってもらうことにより、顧客や取引業者と良好な関係を築く方向にまた舵をとりましょうということになった。

でも、その顧客満足というのは本来であれば顧客が自然と喜んでくれることが理想であるはずなのに、逆に顧客満足を従業員の評価体系に組み込むことで満足の押し売りになってしまう恐れがある。
その一番がサービスの感想をアンケートの形で顧客にお願いするわけだが、アンケートのとり方にもよるが大方は好ましくないと感じる。

あとはプライバシーに五月蝿い昨今であるが、専用カードを作ったりするときに詳細な個人情報を登録しそれがマーケティングに利用されてしまうことも怖いと感じる。


商売にとっての評価は売買が成立するか否かであるので、そこで判断をすれば済むはずなのに行き過ぎを感じてしまうのである。

ひさしぶりに真面目な記事を書く。


プレゼンが不得手なばかりに仕事がにあぶれる昔気質の職人さんたち。


まず、プレゼンの定義から考える。社会の中における自分の存在を効果的に知ってもらうための表現の方法及び行為のことを指す。その方法は、自分と他人との関係性を整理して、自分が得意なことで相手ができないこと、自分がわかるけど相手は理解できないこと、自分はできるけど相手はできないことを確認し合い、ある分野では自分がやれば確かであり他の分野では相手に任せたほうが確実であると知り合うことを大切にするのである。

さて、腕は確かだけど仕事にあぶれてしまった職人さんの話だけど、まず仕事がとれない理由を探してみる。


1.職人さんのことを全く知らない。
2.職人さんのことは知っていても職人さんの腕は知らない。
3.職人さんの腕は知っていても職人さんと好みが会わない。
4.職人の仕事は気に入っているが要求する条件が適合しない。

こんなところですかね。でも、今までの社会構成だと誰々さんがこんな技術ももっているから、とにかくそのことに関しては彼にもっていこうという発想だった。でも、移動手段や通信手段の発達により、ほかの人のテリトリーと重なることが多くなり、より参照する比較対象が増加することでよりよきものに集中してしまい、かつてその地域で一番の役割ももっていたものが別のもっと優れた一番に仕事をとられるようになってしまった。その繰り返しで、今度は状況が悪くなると弱者側にたった者はさらに苦境がにたたされることになったのだ。


ここで本当は効果的にお客さんに取り入るための技術が必要になるのですが、その技術を習得していないか、知らないためにあることに関して秀でている技術をわかってもらうことができずに沈んでいってしまうのだなと思った。