インターネットが世の中に普及して久しいが、インタラクティブな特性を活用してオリジナルのコンテンツを世の中に発信することが難しいことだと痛感する。
現在のホットな話題は選挙。その構図は長らく政権を担ってきた自民党に対して、財政の無駄削減や官僚批判などの民主党を軸にした2党体制への流れ。そして、以前の選挙にて分裂に生まれた複数の少数政党と既存の少数政党である。
ここでマスメディアの代表格である新聞やテレビの報道は、民主優勢の政権交代を大々的に報じている。支持率の数字はどのように出したかはわからないが、ふがいない自民と未熟な民主では新しい風をふかす民主のほうがまだマシではないかという感じで編集されている。
それにつられてマスも指示するといったところだ。
でも、これって本当なのだろうか。選挙戦を展開するときに事前の約束を取り付ける票読みをする。投票を確実にしていただくように念を押す。しかし実際の投票においては誰が入れたのかなんてわからないからただの約束である。
しかし、この様子をマス媒体を使って広告をすると、それを見た視聴者はそれを基準にというかそれに引きづられて判断をする。
多くは数の多いほうが正しいという感想を、視聴者の何割かはアンチとして、そして、それが再びマス媒体にフィードバックされ再帰的に膨張し、世論が形成される。
つまり、マスメディアの提供情報を中心に世論が形成されていくということだ。
では、政治におけるマスメディアを活用した世論の形成が各政党の示したマニュフェストあるいは政見広告をもとに各自有権者が判断することで世論が形成されるより有効であるのかを検討する。
それはおそらく、日々生活の中で自らの生計を律するための活動をしている中で専門家でもない人間が自らの生活を守るためには限定された時間の中で情報を入手し判断をするしかない。
このような状況の中ではわかりやすいということが優先される。
その結果、演出によって対象層を一般受けする簡易な方法で表現できるワイドショウ的な世論誘導型の情報に頼ってしまうことになる。
で、ここで重要な論点になるのは、わかりやすく整理されたマスメディアからの情報発信がシンプルであるがゆえに強力で、そこから判断の材料がはなれなくなってしまい、誰もが同じところから情報の評価を行うことにある。
ゆえに、マスメディアの効率的な情報が多くの人の思考の中に埋め込まれることで誰もが同じ指向性をもってしまうのです。
このことからみんなが同じ事実に引きづられて、独自の判断材料をもたなくなり、別の視点から意見の形成を難しくしてしまったいるのかもしれない。
デジタル社会というのは簡単にコピペができるので多かれ少なかれオリジナルの不在が存在しやすくなり、複製がそれ独自の形を形成するという現象が起こりうるのである。
以上のようなネット時代の潮流の中で情報伝達の高速化もともないオリジナル・コンテンツの創出がむずかしくなっているのである。