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masterik - 新しい朝が来た!(仮)

ブログの再会。

と、いうか再出発。

タイトルはまだ考えついてないから、思いつき?!

小学生の頃、何気なく見ていたものがそのまま自分の中に飛び込んできて定着することが多かった。

例えば、小学校4年生のときに、誰かから奨められてアマチュア無線技師の免許取得講習会を受講したときだ。
無線をやることに別に興味があるわけでもなかったが、新しいことを知ることが楽しい、まあ、いうなれば好奇心の第一歩みたいなところで受講してみようかな、みたいな感じだった。

心の底からやりたいと思えるようなことだったことは確かだ。

実際、講習会を受けての様子なのだが、記憶がうろ覚えだが目の前のことに集中はしていたのだが、その本当の意味が何かを理解していたわけではない。
ただ、字面の追っていることは正確に理解はしていた。
棒読みの感覚である。

それで、最後の講習会は免許の試験になるわけであるが、当日、ぼくは特に緊張するわけでもなく、マークシートの答案用紙を見ながら、問題用紙がどんなものかをみることがいつもと変わらない風景だろくらいに考えていた。

試験開始で、問題用紙をめくるわけだが、難なく解くことができた。おそらく100点満点だったと思う。
答えがあっているかどうかだけでなく、選択肢の一つ一つがどう間違っているかもわかってしまっていたからだ。

授業以外では教科書を開くことはしなかった。

それでも、簡単だなとは思っていた。

でも、そんな勉強方法も年を重ねるごとに難しくなってきた。
とりあえず、暗記なんてことが難しくなってきたからだ。

どんなわけなのかは知らないが、とにかく日本語に疎くなってくるのである。
普通の文章もときには理解できないことすらあった。
で、どうにかしなければいけないと思い始めたときに、問題をひたすらやるということだけでなく、問題の種類を分けるということをしだすのである。
そうすることで、何が問題なのかを理解することができるので、何に注目したらいいのかわかるようになる。

でも、それでも限界がくるものだ。
大人になって、受ける試験はその問題の形を覚えたところで、形が多いために結局、何が大事なのかわからないのである。

そして、その次に考えたのが、教科書にインデックスをつけたことだ。
どの場所で問題が出るのかを見つけるためだ。
ただ、問題の場所は出題者が出したところだけを注目していることになり、其の部分を理解しただけじゃ全てを理解したことにならないことに気付く。

ここでようやく気付くのである。
他人の問題と自分の問題は異なる。
自分が理解していることと他人が理解していることは違う。
他人が知っていることと自分の知っていることは違う。
自分が理解していないことと他人の理解していないことは違う。

そんなこんないろいろな違い。
だから、理解するのは理解するということがどれだけ困難なのかということだ。

で、さらに考えたのは、何について知っているかということを知れば、相当理解が簡単になるのでないかということ。

相手との話の中で、どこの何を話しているのかわかるには、専門用語でもいいし、特定の場面でもいいし、とにかく自分と相手の中ではっきりとわかることを文章化した言葉だ。
また、ある事柄は意味することが何かを探すときには、その事柄が何で成り立っているか、ひとつひとつ確認してしていくことだ。そして、一つ一つを結びつけて、知りたいことを理解する。

こんな感じの繰り返しでいろいろなことが理解できてくる。

そう、小さい頃と違って手順を踏まなければわからないし、わからないことは覚えられない。
大事なのは名前をつけて、それを順番に整理することなのだ。

そして、順番に整理されたことが、たて・よこ・ななめとある事柄の意味が揺れないことで、それを身についたというようになるのだと思う。

長々となったが、こつこつと一つ一つを見極めて、順番を知ることが大事なことなんだと思う。

やめなければ、始められない。


これは単純に時間の問題なのだけれど、

ほかにやろうと思っていることがあって、そのための準備をしているか

あるいは構想を練っていて行動に移そうと考えているか、

あるいは今、ここを抜けだしたいからどうにかしたいと思っている場合、

いまやっていることは次につなげるためにやっているだと思っていたといしても、

やはり今やっていることに集中することによって、

目指す方向とは異なる方向に引っ張られてしまう。


それは時間と考えることがセットだからだと思う。


時間は何もなくて、何かあっても進んでいく。

一方で、人は常に考えることがあって、なかったとしてもないことに関して考えて、結局、何かを考えている。


だから、時間も思考も絶えず存在している。

何れも順番を追って進んでいるので、いずれかの進み具合を特定するともう一方が進み具合も特定できるといった感じだ。


だから、時間をとられるということは、特定のことを考えている、しているといったことが一つのことでしか表せない以上、本来、考えるべきときに費やす時間が、別の考えることに費やされることを意味する。


そのため、結局、自分のやりたいことをやる状況としては、やりたいこと以外のことが、時間のある一時点におさめられていると、そのやりたい以外のことでない、やりたいことが埋める時間がなくなってしまうので、やりたいことができなくなってしまう。


そんなわけで、やりたいことをやりたいのであれば、考えが足りなくても、お金が足りなくても、道具が足りなくても、協力が足りなくても、とにかくやりたいことをするために時間をつくり、やりたいことに必要なことを揃えることをとおして、やりたいことをスタートするしかない。


ちょっと前に18~25歳の時期に不況期を体験した世代は、人格形成でおいて努力だけではどうしようもないことだと考え、その後の人生において長い間、持続的にその認識は変わらないとレポートがある。

また、日本の新卒偏重の雇用環境を考えると余計にその傾向は大きくなるので、

どうしても、世の中の重苦しさというものが、人格の一部を形成してしまうような気がする。

とはいえ、本人の努力次第だという人がいるとは思うが、やはりマクロ的な社会の成り立ちでかなりの数の人がいる限りにおいて、本人の努力ばかりではどうしようもない状況はある。


このような、どうしようもない状況だと考えることが心の奥底に刷り込まれているので、安全パイをとることが最優先となり、ほかの自分のやりたいことが危険なことのように思えて、もう一歩踏み出せないだと思う。


でも、やっぱり自分の中のもやもやを解消するには、

何に時間を費やすといいのか考えることが先見で、

それ以外のことに時間を費やすことはあまり上手でないないのだと思う。


たくさんの曲がり角はいろいろと教えてくれるが、自分がどんな道に進もうとしているのかわからないのは余計危険になるので、やっぱり知っている道をよく踏みしめながら歩くことが大事になる。

そして、自分がはっきりと道だとわかる道は今歩いている道の前にしかないので、それが正しい道であるのであれば、それ以外の曲がり角は迷子になるので、やっぱり知っている道を進むよう心掛けなければならない。


迷ったら原点へ。


それが一番なのだろう。

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わかっているのはキレイなものが何かっていうのがまだ分かる事ぐらいかな。

日本語に色は赤・青・黒・白だけ。

その他のは、○○色となる。

それに色は匂いも意味してた。

サクラ、バラ色。

うん、納得。