やめなければ、始められない。
これは単純に時間の問題なのだけれど、
ほかにやろうと思っていることがあって、そのための準備をしているか
あるいは構想を練っていて行動に移そうと考えているか、
あるいは今、ここを抜けだしたいからどうにかしたいと思っている場合、
いまやっていることは次につなげるためにやっているだと思っていたといしても、
やはり今やっていることに集中することによって、
目指す方向とは異なる方向に引っ張られてしまう。
それは時間と考えることがセットだからだと思う。
時間は何もなくて、何かあっても進んでいく。
一方で、人は常に考えることがあって、なかったとしてもないことに関して考えて、結局、何かを考えている。
だから、時間も思考も絶えず存在している。
何れも順番を追って進んでいるので、いずれかの進み具合を特定するともう一方が進み具合も特定できるといった感じだ。
だから、時間をとられるということは、特定のことを考えている、しているといったことが一つのことでしか表せない以上、本来、考えるべきときに費やす時間が、別の考えることに費やされることを意味する。
そのため、結局、自分のやりたいことをやる状況としては、やりたいこと以外のことが、時間のある一時点におさめられていると、そのやりたい以外のことでない、やりたいことが埋める時間がなくなってしまうので、やりたいことができなくなってしまう。
そんなわけで、やりたいことをやりたいのであれば、考えが足りなくても、お金が足りなくても、道具が足りなくても、協力が足りなくても、とにかくやりたいことをするために時間をつくり、やりたいことに必要なことを揃えることをとおして、やりたいことをスタートするしかない。
ちょっと前に18~25歳の時期に不況期を体験した世代は、人格形成でおいて努力だけではどうしようもないことだと考え、その後の人生において長い間、持続的にその認識は変わらないとレポートがある。
また、日本の新卒偏重の雇用環境を考えると余計にその傾向は大きくなるので、
どうしても、世の中の重苦しさというものが、人格の一部を形成してしまうような気がする。
とはいえ、本人の努力次第だという人がいるとは思うが、やはりマクロ的な社会の成り立ちでかなりの数の人がいる限りにおいて、本人の努力ばかりではどうしようもない状況はある。
このような、どうしようもない状況だと考えることが心の奥底に刷り込まれているので、安全パイをとることが最優先となり、ほかの自分のやりたいことが危険なことのように思えて、もう一歩踏み出せないだと思う。
でも、やっぱり自分の中のもやもやを解消するには、
何に時間を費やすといいのか考えることが先見で、
それ以外のことに時間を費やすことはあまり上手でないないのだと思う。
たくさんの曲がり角はいろいろと教えてくれるが、自分がどんな道に進もうとしているのかわからないのは余計危険になるので、やっぱり知っている道をよく踏みしめながら歩くことが大事になる。
そして、自分がはっきりと道だとわかる道は今歩いている道の前にしかないので、それが正しい道であるのであれば、それ以外の曲がり角は迷子になるので、やっぱり知っている道を進むよう心掛けなければならない。
迷ったら原点へ。
それが一番なのだろう。