目に見える価値は形として人々に所有あるいは使用したと思わせるもの。
お金が一番わかりやすいが、車でも家でも食べ物でも何でもいいが、数にして表せたりする。
でも、そうでないものもある。
多くは心に起因するものだが、そうでなくても生態系や景色といった、その成り立ちが人間を起因にしないものもそうである。
と、いって人間が生きるうえで必ず存在する条件。
人間がいなくてもそれはなくならないかもしれないけど、人間がいると必ず存在するもの。
人間にとっては不可欠のもの。
とは、それを具体的な行動の中に見出すには、あまりにも曖昧すぎて測りようがないものもある。
其の中のひとつの「友愛」に関して。
まあ、これは鳩山由紀夫首相が重視する価値観の一つとして掲げているものである。
一般的にいって、愛国心なんかもそうなんだけど、政策的に何をもって実現するのかわからないのですが、友愛といっても人それぞれに違ってきてしまう。
鳩山家にとっては、13世紀から脈々とその権勢を誇り、第1次大戦までは世界の頂点にいたハプズブルク家が支配した領地国家出身の外交官・カレルギー伯爵の思想に触れた祖父の鳩山一郎が惚れ込んだことが起源のようだ。
先般、提唱された友愛外交はグローバリズムがアメリカナイズされた一辺倒の価値観の押し付けであったことに対抗して、多様な価値観を認めて、其の上で共存共栄していきましょうということになるらしい。
まあ、要するにそこそこのところで手打ちをして、争いを起こさないようにしようというのではないだろうか。
とはいえ、これを評価する側としてはどうしていいかわからない。
だって、これってお人よしってことだろ。
まあ、それはそれとして友愛は他の人がいえば異なる意味になってくる。
フランス革命ではトリコロールの自由・平等・「博愛」。
R・シュタイナーの唱えた三階層論における自由・平等・友愛。
まあ、いろいろとあるわけで、人によって解釈の違うものをどうだって言われてもちょっとわからない。
君たちの中の友愛もいろいろとあるのはわかるので、僕の友愛と折り合いをつけようじゃないかって友愛もあったりして。
この友愛は政策の複雑さをイメージによって親近性を沸かせる一種のイメージ・ブランディングではないだろうかと考えている。
人はそれぞれ、性格・人脈・才能・家系・特技・頭脳・行動力・財産・健康など、後天的努力だけでなく先天的属性も含めて、多様な属性を持ち合わせている。其の中で、たとえば彼にはラケットを買い与え、彼女には歌を歌わせ、あの人からには寄付金をお願いしといったことをいちいち言いまわるよりはみんなそれぞれ違うのだから、よろしくやってくれ、それで個別の話はそれぞれの機会にしましょうという話なのだろう。
つまり、個別の話はそれに関係する人以外にはアクセスできないってことだな、と。
そんなふうに考えれば、多少は納得いく。
大抵の人は組織において生かされているが、組織の中での規律というか暗黙の了解みたいなのがあって、自分の意見を表出できるのは、文化人とか知識人あるいはOBみたいな、いわばその利害が直接及ばないアウト・ローでないとアクセスできないみたいな、みんなそうしたいと思っていても実際には何もしちゃいけないって構造と似ているのかな。
なんだ、日本の根源的な性質が変わったわけでもないんだな。
とはいえ、その裏返しで期待もかなりあるんですけどね。
